第50話:RUN!RUN!RUN! アイからは逃げられない
「だいぶ体形が元に戻ってきましたね。山田さん。
そろそろ走り出してもいいのでは?」
遠回しに、まだ春ごろの体形に戻りきっていない、というようなことをアイが言ってきた。
俺は言い返すのも億劫で、「そうだな」とだけ返した。
事実、少しはましになってきたとはいえ、依然としておれの腹回りは確かな存在感を放っていた。
食欲の秋だといって、パンやご飯を食べまくって来たのだ。
そう簡単に痩せるわけがない。少しずつやっていくしかない。
しかし。
「走る?」
いったんスルーしたものの、聞き返さずにはいられなかった。
放っておいて、あとで大変なことになってから「あの時言ったでしょう」といわれるのは御免だ。
確認しておこう。
走るというのは、あれだろうか。急ぐ的な意味あいだろうか?
まさか、ウォーキングで精いっぱいの俺にマラソンをさせようとは言いだすまい。
「走るって、まさか歩かずに走れってことか?」
「そうです。というか、単語の意味を知らない人じゃないんですから、妙な聞き方をしないでください。
普通に走るだけですよ」
アイは平然と答えた。
俺の方がおかしなことを言っているというみたいにだ。
「おいおい、俺は今でもいっぱいいっぱいなんだぞ。
限界ギリギリ。これ以上はオーバーワークだ」
「とてもそうは見えません。
それに、ここのところ体重の減少が停滞気味です。
負荷をあげる必要があると思います」
……まあ、そうだろう。
ダイエットに停滞期はつきものだ。
一週間やそこらウォーキングを頑張ったぐらいで、これまでの不摂生が帳消しになるわけがない。
そんなことが可能なら、多種多様なダイエット情報がひっきりなしに考案されるはずもない。
「走りたくない」
「……」
俺は端的に言った。
本音である。
言っておくが、俺はこれまで真面目にウォーキングを頑張って来た。
決してさぼったりはしていない。
そりゃあ、すこしばかり興味があるものがあれば寄り道したり、立ち止まったりはあるが――そんなのは、犬の散歩でもよくあることだろう。
それなのに、走る?
横暴である。
もっと長い目で見てほしい。
狭い日本、そんなに急いでどこに行く。
のんびり歩いて行こうじゃないか。
そもそも北海道に向かっていたはずなのに、九州に方向転換している時点で急ぐ意味は消滅している。
人類と同じく消えている。
この場合、消したのはアイになるのだろうか。俺だろうか。
提案したのはアイで、決断したのは俺なのだから、共犯ということになるだろうか。
共犯というならば、俺が太ったことにしてもそうだ。
食べたのは俺だが、用意してくれたのはアイだ。
立派に共犯関係が成立している。
ならば、俺ばかりが苦行を強いられるのは間違っているのではないか。
そう、苦行だ。
走るということは、俺にとっては苦しくて、なるべくなら避けて通りたい行為だった。
「走らなくてもいいんじゃないか? 少しばかり歩く時間を増やすとかさ。
なんなら、おやつの回数を減らしたっていい。もっと他に方法はあるはずだろ?」
アイが黙ったままなので、今度は遠回しに走りたくないと言ってみた。
「……そんなに走るのが嫌なんですか?
理解不能です。
効率よく痩せられて健康にも寄与するというのに。
そんなに嫌がる意味が分かりません」
「自由自在に飛べるお前にはわからないかもな。
地を這う人間にとっては、走るということは命を削るに等しい行為なんだよ」
「『命を削る』ですか。
くだらない屁理屈をこねているようにしか見えませんが……」
アイは見透かしたようなことを言ってきた。
ちょっと大げさに言いすぎたかもしれない――軌道修正が必要そうだ。
「それなら、少しだけ走るのはどうですか? ずっと走るわけではなく。
少し歩いて、少し走る。それならできそうじゃないですか?」
「それ、めっちゃきつい奴では……」
楽をしようと思ったら、ハードルを上げてこられた。
走るは歩くよりも負荷が高い行為なので、組み合わせれば合計の負荷は低くなる――と思っているかもしれないが、そんなわけはない。
それはいわゆるシャトルランみたいなもので、一定速度で走り続けるよりもきつい。
それなら、たらたら走ったほうがましだ。
そんなアスリートの訓練メニューみたいなのをやったら、倒れてしまう。
「どうですか? 山田さん」
アイが詰めよってくる。
どうやら冗談ではなく、ガチで選べということらしい。
「走るか、歩いて走るか、どっちにします?」
「いつのまにその二択から選ぶことが決まってるんだ!
俺の提案はどこへ行った!」
いつの間にか外されていたということでもない。
はなから候補にすら上がっていない。
検討さえしてもらえていない。
一考の余地すらないというのか。
少しは真面目に取り合ってくれてもいいのではないか。
「私の話を聞き流そうとする人の提案を、私が考慮するとでも。笑止ですね」
知らぬ間に虎の尾を踏んでいたらしい。
静かに怒っている。
「私が山田さんの投げやりな反応に気づかないとでも?
私を甘く見過ぎです。
あまり、なめないでいただきたい」
なんでこんなに怒ってるのかわからない。
確かに適当に返したが、相槌はうったのだからいいじゃないか。
ちゃんと聞きかえしたし……。
理不尽としか言いようがない。
「そんなに怒らなくてもいいじゃないか。
別にお前のことを軽く見ているわけじゃない。
ちょっと考え事をしてただけで……」
「……今だけではありません。
私が真面目に今後の移動計画を説明しているのに、
『疲れているからあとで』だの、
返事をしたのに『そんなの聞いてない』だの。
いい加減にしてください」
「……」
思いのほか、まっとうな怒りだった。
というか、思い返してみると、確かにここのところ雑に対応しすぎた感はあった。
アイを疎ましく思ったとかではない。
単純にモチベーションの問題だ。
大崎までたどり着き、当面の目標としていた北海道が近づいてきたところでの逆戻りだ。
頭では納得し、決断したが、心はそうもいかない。
どうしてもやる気が出ないのだ。
効率とかなんとか、そんなものでは奮起することは出来ない。
来年食べられるであろう新米では足りない。
今の俺に必要なのは、頑張ればすぐ手に入る報酬だった。
ダイエットにしてもそうだ。
自分では結構頑張ってみたつもりだが、最近ではほとんど変化がない。
停滞期なのはわかっていても、徒労感がある。
「少し言い過ぎました。
大人げなかったですね。
すみませんでした、山田さん」
俺が何も言えずにいると、アイの方から折れてくれた。
俺の方が人生経験ははるかに上だというのに、なんて大人なんだ。
「俺も悪かったよ。アイ。
雑に扱って悪かった。
これからは気を付ける」
「では、これで手打ちとしましょう。
それで、先ほどの二つの案ですが、どっちにしますか?
両方でもいいですよ?」
どうやら、その話は続行らしい。
アイの提案(強制)からは逃げられない。
※※※※※
「はい、RUN! RUN! RUN!」
アイが軽快な音楽と共に、耳元で走れと連呼してくる。
「ひいっ、ひいっ、ふうっ……」
必死に走る。
五分後。
「よく頑張りました。クールダウンです。
はい、WALK、WALK、WALK。
止まらないで」
また耳元でアイが叫ぶ。
俺は走るのをやめ、歩きに戻す。
立ち止まることは許されない。
五分走って、三十分歩く。
そんなことを休憩を挟みながら、何時間も続けていた。
もう考え事をする余力もない。
ただアイの指示に従って、走り、歩き、休む。
それを繰り返す。
最初は死にそうだったし、今もそうだが、身体は動いている。
これまでのウォーキングで、それなりに体力がついていたらしい。
アイはそのことを見抜いていた。
指摘は正しかったというわけだ。
まるで熟練のパーソナルトレーナーだ。
そして指導方法も、俺にはあっていた。
有無を言わさず、身体を動かさせる。
俺はすぐに得られる報酬を欲しがったが、俺に必要だったのは強制してくる存在だったのだ。
そういえば、仕事でもそうだった気がする。
無茶振りばかりされたが、それを乗り越えることで力をつけてきた。
当然、失敗もしたが、それも失敗という経験だ。
あの怒りも、失敗も、理不尽も、今の俺を作っている。
叩きつける相手はいなくなってしまったが。
無駄ではない。
それがわかったところで、きつさも辛さも嫌さも何も変わらない。
自分から進んで経験したいとも思えない。
それでも俺の身体は動けていた。
「はい、WALK、WALK、WALK。
止まってますよ。山田さん。
休憩はまだ早いです!」
「もう少し手加減しろ!
きついもんはきついんだよ!」
これからも動き続ける。
悪態をつきながら。
弱音を吐きながら。
多分、この先も。
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