7話 待ち望んだ断罪
私の目に映った光景。
光の波が黒い霧を押し返し、飲み込むように――瘴気を浄化した。迫っていた黒い霧は跡形もなく消え去り、残ったのは枯れた草花だけ。
「……どういうこと……?」
掠れた私の声が、やけに大きく耳に響いた。へたりと地面に座り込んだ目の前には、なんら変哲もない街並みがいつもと変わらぬ時間を進めている。
それは、ただの下級聖女である私が瘴気を癒やした、という紛れもない事実がそこにあった。しかし、その事実は誰にも知られてはいけないことだと、すぐさま思い至る。
瘴気の黒い霧を光が包み込んだ光景を遠くから見た人がいるかもしれない。それこそ、マーシャおばさんや少年が教会に助けを求めて、大聖女様が瘴気を浄化するため、この場にみえることだって――。
その可能性を考えて、私は恐る恐る口を開く。
「そうだわ……私は何もしていない。そうよね……?」
困惑する私の口からこぼれた独り言は、風に乗って消え去ったはず――だった。すると、砂利を踏みしめるような音が私の耳に届く。
私は慌てて音がした方向を見る。しかし、そこにいるはずの何かは姿を見せず。瘴気によって朽ちて崩れ落ちた物だろうか。そう結論付けて、ただの杞憂であったと胸を撫で下ろした。
途端に、どっと押し寄せる疲労の波。――瘴気を癒やした反動だろうか。この疲労は、毎日貴族を癒やして回っていた頃を思い出させるものだった。
私は地面に両手を着いて、ぐったりと俯いた。呼吸が浅くなり、視界が狭まる。
「つ、疲れ……が一気に……。お腹空いた……。眠たい……」
駄々をこねるように悪態をつく。そうでもしないと、このまま意識を失ってしまうだろうと、どこか冷静に考える自分がいた。
(あの子とマーシャおばさんは無事に逃げられたと……、思う。……ひとまず、帰ろう……)
そう思い至ると、私は本を抱え直す。重たい体を引きずりながら帰路についたのだった。
* * *
翌日。
私は疲労が抜けない体をどうにか動かし、食堂へ続く廊下を歩いていた。壁に手を着いて体を支える。その足取りは重い。
そんな中で思い出すのは昨日の出来事。
(ガルヴィン様は……魔物と戦っているのよね。あんな、禍々しい瘴気から生み出される生物と……。どうか、ご無事で――)
目を伏せて、心の中にガルヴィン様と過ごした日々を思い出す。――彼の無事を祈らずにはいられなかった。
すると、廊下の先から見知った顔が向かってくるのが見えた。いけ好かない新しい護衛騎士だ。
彼は私の前で足を止めると、含みを持たせた笑みを浮かべながら口を開いた。
「聖女シャリア。昨日はどこへ行っていた?」
その問い掛けに、私は怪訝な顔をする。どこへ行ったも何も――。お役目である貴族への癒やしの祈りを終えた後、いつものように下町へ繰り出していたのだ。もちろん、下町に行く際は、いけ好かない護衛騎士を撒いたはず。
しかし、このタイミングで私は戒律違反を犯した、と自白するのか。それとも、私が瘴気を癒やしたと告げるのか――。いいや、後者はなしだ。
私は口を閉ざし、思考する。
(事情を聞き出すため、あの子やマーシャおばさんに危害を加える可能性も……あるかもしれない)
それ程までに、教会の腐敗は進んでいる。私は脳裏に浮かんだ一抹の不安に、唇をきつく結んだ。
迷った私が口にした答えは――。
「……昨日は、お役目を果たしていました」
「ほぉ……」
すぐさま返ってきた反応は、要領を得ないものだった。さらに、彼は私を品定めするように見ている。
嘘は言っていない。それに、自由時間に私が何をしようと、彼には関係ないのだから。私はこれでもかと顔をしかめて、不快感をあらわにする。
「むっ……。何か、ありましたか?」
「いいや。いい答えが聞けてよかったよ」
彼は小馬鹿にしたように鼻を鳴らして、そう口にした。どこか含みを持たせた言い方だ。
(一体、何なのよ……。もしかして……、後をつけられていたのかしら……)
颯爽と去って行った彼の背中を見送りながら、私は悪態をついたのだった。
◇
その数日後――。
私の前に現れたのは、厳格な出で立ちをした司教様だった。ここは教会宿舎。私に割り当てられた部屋の前で、彼は威圧的に佇んでいる。背後には護衛である騎士が数名控えていた。
物々しい雰囲気に何事かと、周囲の聖女やその護衛騎士が足を止めている。そうなれば、自然と視線はこちらに向く。
すると、司教様は苛立ったように口を開いた。
「聖女シャリア。先日の瘴気を癒やしたのは貴様か」
ドキリ、と私の心臓が跳ねた。事情を説明しようと、口を開くが声が震えて上手く言葉にできない。
「わ、私は――」
「言い逃れをしようとも無駄だ。貴様の護衛騎士が証言した」
司教様は私の言葉を遮った。それどころか、思わぬ展開。どうやら、あのいけ好かない護衛騎士は私の後をつけていたらしい。私は困惑して、何を言おうとしていたのか、言葉を忘れてしまった。
私が茫然と佇んでいると、彼は構わず言葉を続ける。
「瘴気を癒やすのは大聖女様の大切なお役目。それを奪うということは、大聖女様の立場を脅かす者である!」
司教様の言葉から察するに――どうやら、私は戒律違反よりも大罪を犯してしまったようだ。
「それに――、みすぼらしい老婆と子供が貴様の戒律違反を証言した。それも、貴様の方が聖女としての在り方を示している、と教会を批判したのだ!」
司教は息を大きく吸い込むと、芝居じみた様子で言い放つ。
「即刻、裁判である!」
どうやら私の思惑とは異なることで糾弾されるようだ。
(でもこれは、ついに訪れたチャンス……!?)
追放される、という計画が一気に動き出したのだ。
ただ、心残りがあるとすれば――マーシャおばさんと少年のこと。しかし、今は彼らがどうなったのか、知る術はない。
(二人とも、きっと無事よね……)
罪人の証でもある手枷をはめられながら、そう願うほかなかった。
* * *
そうして――あれよあれよという間に裁判当日。
もちろん、私は囚われの身だった。――実のところ、囚われの身であれば貴族へ癒やしのお役目がない。そのため、睡眠不足や疲労、その他諸々の不調が解消された。よって、体調がとてもいい、というのは皮肉なものだ。
私は簡素なベッドに腰掛けて、その時を待っていた。屈んで頬杖をつきながら、心の中で呟く。
(やっぱり、ガルヴィン様と離れることになって正解だったのよ。護衛対象の聖女が罪人だなんて……彼の出世にも響くもの)
もの思いにふけっていると、突然、乱暴に檻の扉が開かれる。姿を現したのは教会の騎士だった。彼は重々しく告げる。
「罪人シャリア、時間だ」
連行されたのは教会の大広間。そこは裁判というに相応しい造りをしていた。
聖女が戒律違反を犯し、さらには大聖女様の立場を脅かすという大罪を犯した裁判。という物珍しさから、貴族たちが傍聴席でひしめき合っている。――あの中には私が癒やした貴族もいるだろう。
結局、聖女の存在価値というのはこの程度なのだと、言われているような気分だ。
司教様が私の罪状を読み上げていく。そうして、私を裁くのは――。
(王太子殿下と、その婚約者である大聖女様……)
私は彼らに視線を向ける。初めて、お目にかかった大聖女様。ところが彼女は「大聖女」という名前と立場には――似つかわしくない格好をしていた。深く被った純白のローブには光に反射するものが縫い付けられていて、恐らく――宝石の類だろう。
(あれ……? 思っていたお姿と違う……?)
違和感を確信に変える前に、罪状が言い渡された。教会の戒律違反、寄付していない市民を癒やしたこと。大聖女様の立場を脅かしたこと。
結果は決められているようなものだ。――いや、むしろ分かりやすくていいかもしれないと、ふっと目を伏せる。
しかし――、突如として大広間の扉が開け放たれた。
「待っていただきたい!!」
大広間に響く、決意に満ちた声音。皆が驚き、扉の方を見やる。
そこにいたのは――。
「ガルヴィン様……?」
私の掠れた声は、大広間の喧騒に消えた。




