6話 彼が去った後、私の心は
* * *
遠征出立式を終えた後。新しく護衛騎士として配属されたのは、ガルヴィン様と正反対な騎士だった。
私はちらりと、背後に佇む彼を振り返る。護衛騎士であるはずの彼は、不機嫌そうに溜め息をついている。そんな彼を目にして、心の中で思うこと。
(よく喋る……。見目が良い聖女を口説く……。くせに、態度が悪い……! 身分の高い貴族には、そんな素振りを見せないのがもっと嫌……!)
たった数時間で知り得た、彼の特徴を頭の中で羅列した。――彼は典型的な野心家なのだろう。確か、どこかの貴族の末っ子で跡取りになれないため、こうして教会入りしたとか。
彼は周囲の護衛騎士様を一瞥した後、吐き捨てるように言い放つ。
「遠征に志願した奴の尻拭いとは……。私はこのような所で終わるような人間ではないっ……!」
私は小さく溜め息をついた。これでは、聖女と護衛騎士の関係を築くのは前途多難。下級聖女の監視役といっても最低限の人間関係の形成は必要だ。しかし、彼のおかげで、私の追放計画は急激に加速するだろう。
(ガルヴィン様がいないうちに、追放されて……この国を去るのが一番いいんだわ)
きつく唇を結んで、ガルヴィン様を想う気持ちに蓋をしようと決意した。――彼が遠征に志願した理由は最後まで聞けなかった。
けれど、これでいいのだ。私のような聖女として失格な人間よりも、彼が騎士として誇りを持てる適任者がいるだろう。そう結論付けて、思考を止めた。
それから、いつものように下町へ出向こうとすれば――。なんと彼は私の手首を掴み上げたのだ。彼は厳しい視線で一瞥し、叱責する。
「聖女シャリア。教会に寄付のない民への癒やしはご法度だ。それも――、庶民など教会の威厳に関わる」
「あ、あのっ……! 痛いので離してもらえますか!?」
悲痛な声を上げれば、彼はうるさいと言わんばかりに眉をひそめる。その次には、乱暴に解放された。
私は鈍痛を残した手首を庇いながら、彼を睨みつける。こんなことでは抵抗にもならない。けれど、ただ無下に扱われるよりはいいだろう。悔しさで唇を噛み締めながら、心の内に叫ぶ。
(ううっ……、違うの! ご法度でいいのよ! だって、私は追放されたいんだから!)
私は反抗の意を示すかのように、大きく鼻を鳴らしてみせたのだった。
◇
監視の目をかいくぐり、ようやく下町を訪れた日。診療所跡地は下町の皆の団らんの場として賑わっていたはず。しかし、今は見る影もなく、閑散としていた。
私は息をひそめ、恐る恐る周囲の様子を窺う。新しい護衛騎士の彼は、下手をすれば下町の皆に剣先を向けるような危うさがある。私はそれを警戒していた。
戒律違反を犯して追放のために、下町へ足を運んでいたはずなのに。いつの間にか、下町の皆のことが大切になっていたから――。
すると、こちらに駆け寄って来る足音があった。私ははっとして、その人物の名前を口にする。
「マーシャおばさん……!」
「シャリアちゃん、会えてよかったよ! でも……もう、ここには来ない方がいい」
私たちは会えなかった分、心配だったと伝えるかのように、互いの手を握った。マーシャおばさんの手は少しだけ震えていて、ことの深刻さを物語っているようだ。
私は彼女の忠告に困惑しつつも、その理由を尋ねる。
「えっ……、どうして……ですか?」
「魔物討伐遠征があっただろう? 騎士様の人員不足もあってか、教会のお偉いさんたちが苛立っているみたいで……。ほら、教会にばれたら……シャリアちゃんの立場上、良くないんだろう?」
マーシャおばさんが語ったのは遠征の影響だった。それに、私の悪事を理解したような口ぶりだった。
私は思わず口ごもる。
「それは……」
けれど、マーシャおばさんはゆっくりと首を横に振った。その次に、彼女が紡いだ言葉は私を安心させるものだった。
「大丈夫。私の膝はもう痛くないし、あの子供たちもシャリアちゃんのお陰でだいぶ良くなったようだから」
それも束の間。彼女はそこで言葉を切ると、残念そうにその先を続ける。
「それに――、私の薬草畑も枯れてしまったからねぇ……」
「そんな……」
「隣国に息子夫婦がいるんだ。こっちに来ないかと誘われて……近いうちに、そこへ引っ越そうと思っていてねぇ。そこは移住者にも手厚いから」
そう語ったマーシャおばさんは快活に笑ってみせた。彼女の生きがいだった薬草畑をなくして、住み慣れた場所を離れる。それは不安で仕方ないことだろう。でも、私が彼女に掛けられる言葉は決まっていた。
私は眉を下げて、そっと口を開く。
「それは良かった……! 薬草畑のことは……残念ですけど」
「まぁ、潮時だよ……。だから、この本を貰ってくれるかい?」
「えっ……!?」
「シャリアちゃんになら、託せるからね」
強い意志を宿したマーシャおばさんの表情が、私の胸を刺す。――皆、いつも通りに暮らしていたいだけなのに。私の心には、そんな思いが浮かんでいた。
すると、路地の曲がり角からひょっこりと顔を覗かせたのは、あのやんちゃな少年。私とマーシャおばさんは驚いて、互いに顔を見合わせる。
少年は私たちの姿を目にして、ぱっと表情を明るくした。そうして、彼は私たちのもとまで駆け寄って来る。
「あ! マーシャおばさんも来てたんだね!」
「どうしたんだい……!?」
「シャリアお姉ちゃんを見かけたって聞いて……。お話したくて」
彼は私を見て、おずおずと語り始めた。
「お姉ちゃん、僕ね。遠くの町へ行くことになって……。妹の胸の病気がよくなったから、遠くまで行けるようになったんだ!」
「そ、うなの……! よかった」
「うん。あとね、父さんと母さん、国を渡るって言ってた。お姉ちゃんのように、いろんな人を癒やしている聖女様が沢山いるところへ行くんだって」
少年はそこで言葉を切ると、寂しさを誤魔化すように俯く。しかし、次の瞬間には勢いよく顔を上げた。
「……今まで僕や妹を癒やしてくれて、ありがとう! 元気でね!」
気丈に笑ってみせた彼に、私は精一杯の言葉を贈る。
「ええ、君の旅路に祝福があるように祈っておくわ」
それは彼らの近況を知らせるもので――。度重なる別れの寂しさが、私の胸を突き刺す。しかし、そんな寂しさには蓋をして、冷静に思考する自分がいた。
(うん、それがいいわ。この国にいても……、教会が手を差し伸べるのは決まった人たちだけだもの)
脳裏をよぎるのは、遠征出立式。奉仕とは名ばかりの、教会を挙げての煌やかな式だった。私は暗い気持ちを払拭するかのように、首を横に振る。
そうして、マーシャおばさんと少年と別れの挨拶を終えたとき――。ざわざわとした、得体の知れない感覚が呼び起こされる。凶事を予感させる胸騒ぎ。ぎゅっと、譲り受けた本を胸に強く抱きしめた。
私は周囲を見渡す。そこで目にしたのは――、黒い霧が立ち込めていく光景。まるで生きているかのように動く霧は、離れた場所にも届く悪臭を放っていた。
「あれは……?」
疑問を口にすると、すぐさま答えが示された。霧に触れた草花が、途端に枯れ果てたのだ。それに人が触れれば――、容易に想像できる結末。恐怖のあまり、身の毛がよだつ。
私は咄嗟に、声を上げた。
「あれが、瘴気なの……!?」
「お姉ちゃん……! 何か、あっちに――」
「逃げないと! 一緒に行きましょう! マーシャおばさんも!」
少年の手を引いて、一緒に駆け出した。マーシャおばさんにも逃げるよう促す。すると、彼女はうろたえながらも、懸命に言葉を発した。
「は、早く教会に伝えないと……! 大聖女様のお力を……」
「マーシャおばさんも、早く逃げて!」
私の大きな叫びが木霊した。
マーシャおばさんが発した言葉。それは大聖女様のお役目――「癒やしの力で瘴気を消し去る」こと。これだけは、聖女の頂点である彼女にしか成し得ないことだ。
しかし、そこで私の中に浮かび上がる疑問。
(瘴気は大聖女様が癒やしているはずなのに……。どうして、町のこんな場所に――)
答えは出ない。けれど、今やるべきことを考える。
私は少年の手を離し、足を止める。慌てて振り返ったマーシャおばさんと少年に向かって叫ぶ。
「先に行って!」
「でも――」
「いいから!」
言葉を遮り、マーシャおばさんと少年の背を見送った。
(ああもう! ……やるしかないわ!! ガルヴィン様も魔物と戦っている。私だって、できることをするのよ! 少しでいい、二人が逃げる時間を稼げれば――)
私にできること。それは祈ること。
下町の皆と過ごした時間、ガルヴィン様と過ごした時間。それは擦り減った私の心を癒やすかのようで――。彼らの怪我や病を癒やしていたつもりが、いつの間にか私自身が癒やされていた。温かな気持ちを思い出す。
途端、白銀の光が足元から波打つ。
光の波が黒い霧を押し返し、飲み込むように――瘴気を浄化した。
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