29話 聖女と英雄の姿
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いよいよ、第三波が予見される日だ。どんよりとしていた空がさらに黒紫色へと変貌する。――予測されていた時刻よりも数刻早い。
その証拠に、ざわざわとした胸騒ぎがする。神経を逆撫でするような不快感。これは私の聖女としての力が瘴気を察しているのだろう。
私はガルヴィンと共に、町の門の近辺まで出向いていた。周囲の騎士たちも同様で、しきりに西の方角の様子を窺っている。
町の集会場に避難した人々や、住民は屋外へ出ないよう通達されている。エリオット様も、安全な場所で指揮をとっている――はず。私はこれから起こることに覚悟を決めた。
すると、頭上から降り注いだ声があった。
「瘴気、第三波を目視で確認! 及び、魔物が到達しました! 前衛、これより戦闘に入ります!」
高見台の騎士から伝令だ。
途端、私の隣に佇んでいたガルヴィンの気配が変わる。ピリピリとした緊張感。
(魔物……やっぱり出たわね……!)
町の門には魔物が侵入しないよう、バリケードが張り巡らされている。けれど、そのバリケードのすぐ近くで魔物の唸る声がする。もし、瘴気の浄化が遅れたり、騎士たちが魔物の討伐を仕損じれば町の中に被害が及ぶだろう。
私は視界に入る魔物の影をきつく睨んだ。まだ遠い。けれど、バリケードを突破されてもおかしくない状況だ。
途端、視界を遮る影があった。目の前に立ちはだかるのは頼もしい背中。私は彼の名を口にした。
「ガルヴィン……!」
「露払いは任せろ」
彼は力強く告げると剣を抜いた。きらりと鈍色の刃が反射する。ガルヴィンは一気に駆け出した。背中はみるみる小さくなり、バリケードを優に超えて行く。
魔物が次々に吠える。けれど、ガルヴィンは剣を振るのを止めないだろう。先に戦場と化していたバリケードの向こう側から、騎士たちが士気を上げるための声援が聞こえて来る。
しかし、それを嘲笑うかのように瘴気の波が迫っているのだと、私の直感が告げる。
(今までとは規模も瘴気の濃さも段違いだわ……! でも――私にできることを考えるのよ……! )
私の脳裏をよぎったのは大先生からの課題。あの薬草の生育方法だ。嵐が自然作用で水と土を浄化したように、私も聖女の力を嵐のように振るうことができれば――。
(って、そんなことできる訳ないじゃない!)
できることとすれば、瘴気の波に対抗すべく、癒やしの力を波のように放つこと。けれど、第二波で癒やしの波は多少なりとも押し戻されてしまった。それが第三波で通用するとは思えない。
嵐がもたらす風や雨の浄化作用――それらを最も効率よく再現できるものを思考する。そして――、辿り着いた答え。
(壁よ……! 壁をイメージすればいいんだわ! お願い、うまくいって……!)
周囲一帯を取り囲むような壁をイメージする。その壁に瘴気の波が触れれば、浄化できるだろう。でも――、それは一時しのぎだ。
浄化の壁が瘴気に耐えられる時間も、強度も未知数。――それならば、こちらが力尽きるよりも前に瘴気を浄化してしまえばいい。
私は力強く叫んだ。
「瘴気なんかに、私の大好きな日常を奪わせないんだからっ……!」
両手を強く握り締めて祈りを捧げ、癒やしの力を集中させる。
そのとき――浄化の壁に瘴気の波が押し寄せた。思惑通り、瘴気は壁に触れたそばから白い霧となって空気中に消えていく。しかし、波と表現されただけのことはある。一向に押し寄せる波の威力が衰える気配はない。
私は顔を上げて、大きく叫んだ。
「そうよ、だから――こうするのよ!」
浄化の壁は高くそびえ立つ。私はイメージする。嵐のときの豪雨を。イメージ通り、浄化の壁は形状を変化させ、雨のように光の粒子となって降り注いだ。降り注いだ光は波を打ち消し、次々と瘴気を浄化していく。
眩い光で霞む視界。どうにか目を凝らして瘴気の動きを確認する。どうやら、浄化の雨は瘴気から生まれた魔物にも有効なようだ。降り注いだそばから、魔物が溶けるように姿を消していく。
魔物と対峙していた騎士たちは、その光景をただ呆然と眺めていた。しばらく、すると――静寂が訪れる。瘴気の波を完全に消し去ったのだ。
途端、私は地べたに座り込んだ。安堵で腰を抜かしたようだ。それに加え、聖女の力を振り絞った結果、疲労で震える手足は思うように動かせない。
(良かった……これ、で……)
心の中で呟いた言葉も途切れてしまった。地べたに座り込んでも、ふらつく上半身。最後の力を振り絞って、地面に両手をつく。けれど、視界が揺れた。
――もう、駄目だ。次に目を覚ましたときには私の中の聖女の力も、大先生のように枯れてしまうかもしれない。でも、それでも構わない。ただ変わらぬ日常に戻るだけだ。その日常を、私は守ったのだから。
体が傾き、地面が近くなる。それに抵抗する術はない。そう思い、瞼を閉じた。けれど、私の体に触れたのは冷たい地面ではなく――温かな体温だった。
ゆっくり瞼を開くと、視界いっぱいに映るのはガルヴィン。魔物が消え去ったことで、私のもとまで駆けつけてくれたのだろうか。
彼は悲痛な表情で、私の名を呼ぶ。
「シャリア……!」
ガルヴィンに大丈夫だと伝えないと、ただ疲れただけだと。何か言葉を発しないと――。そう頭では考えるものの、疲れ果てた私の口は思うように動いてくれない。私はしばらくガルヴィンの腕の中で抱かれていた。
震える唇がようやく発した言葉は――。
「おなか、空いた……」
消え入るように呟いた。後に続いたのは、空腹を知らせる腹の虫。
ガルヴィンは一瞬、目を丸くする。それから、肩を小刻みに震わせて――。
「ふ、はははっ……! 君は本当に――」
私が初めて目にした、ガルヴィンが感情を爆発させて笑う姿。これまで見たことのない、少年のような無邪気な笑顔を浮かべていた。
突き抜けるような晴天の下。愛しさに満ち溢れるような、彼の笑い声が響き渡ったのだった――。




