3話 交流と思わぬ刺客
◇
そうした日々が積み重なり、すっかり下町に馴染んだ頃。
診療所跡地には交流を重ねた下町の皆が集まるようになっていた。そこは、かつて人々を治療していた痕跡もなく、苔むした石畳は放置されていた月日を物語る場所だった。だが、今は子供たちが走り回る笑い声と、大人たちの何気ない日常会話がその場所を包み込んでいる。
それは私に複雑な気持ちを抱かせる。ほんの少し戒律違反を犯して、私は早々に追放される計画だったはずなのに――。
監視役であるはずの護衛騎士、ガルヴィン様はいつも変わらず佇んでいるだけなのだ。
(それがいつしか、下町の皆との交流にまで繋がるなんて……。誤算だったけれど、悪い気がしないのよね)
私はそう心の中で呟いた。
彼らは癒やしの祈りを終えた私に、感謝の言葉と労いの言葉を掛けてくれるから。中には、果物や干し肉といったお裾分けをしてくれる人もいた。それは今まで感じたことのない、温かな感情を知るには十分で。
貴族を優先させるという教会の教え。寄付をしていない、または寄付できない人々。つまりは市民と聖女の私的な交流は戒律で禁じられていた。それでも、下町の皆の温かさに触れる度、私はこの戒律を破る誘惑に駆られたのだ。
祈りを捧げ終えた私は、そっと瞼を上げた。そこに座るのは、膝を悪くしてしまったマーシャおばさん。彼女は膝をしきりに擦っている。――痛みが少しでも緩和できればいいのだけれど。そう思い、私はじっと彼女の様子を窺う。
すると、マーシャおばさんはにっこりと微笑んで、口を開いた。
「シャリアちゃん。今日もありがとうねえ」
「とんでもないです。膝の調子はどうですか?」
「あぁ、痛みがすっかり引いたよ」
その言葉に、ほっと胸を撫で下ろす。――いつしか、私の祈りを必要としてくれる人は子供たちだけではなくなった。それに伴ってか、私の癒やしの祈りは様々な傷や病を癒やせるようになっていった。
教会のお役目で、貴族たちへの癒やしを行う日はその多さに疲れ果ててしまうことが多い。けれど、合間をぬっての交流は癒やしの祈りを捧げても、どういうわけか疲労をさほど感じない。
(どうしてだろう……、不思議よね。ただ単に、私の気持ちの問題なのかしら)
ひとり思いにふけっていると、マーシャおばさんが声を掛けてくれた。
「聞いたよ? なんでも、薬草に興味があるんだって?」
私は頷いて、懐かしい記憶を思い起こした。
「はい。昔、学んでいたんですけど……。今はこの通り、聖女のお役目ですっかり遠のいてしまって……」
いつの間にか、薬草への興味を誰かに漏らしていたようだ。その誰かが、薬草を育てているマーシャおばさんに伝えたのだろう。――それは聖女の力が発現する前。私の髪が、まだ栗色だった頃の話だ。
変に感傷的な気持ちになってしまった。それを誤魔化すように、耳に髪をかける仕草をする。
すると、その話を聞いたマーシャおばさんは残念そうに眉を下げた。
「そうかい、残念だねえ……」
「まぁ……、仕方ないことだと思っていますから」
作り笑いを浮かべた私に、彼女は胸を痛めたのだろう。胸元で手を握り締めている。――聖女のお役目と、自分がやりたかったこと。このどちらかを選ばないといけないと言われたら、周囲は聖女のお役目を選べ、と声を揃えて言うに違いない。
すると、マーシャおばさんはにっこりと笑って、こう告げた。
「――そう言えば、魔物が苦手な香りを放つ薬草というのもあるんだよ」
「へえ……!」
思わぬ言葉は、私の好奇心を刺激した。彼女の皺だらけの手は、薬草を摘んだ時についたであろう土の匂いがまだ残っていて、信頼できる言葉だと直感が告げていた。
それに、魔物という生き物。それは人々の生活を脅かす存在だ。
(……詳しくは私も知らないけれど)
魔物は警備体制が強化された王都の中心や、騎士団が駐在する教会近辺では滅多に遭遇することはない。万が一、魔物が侵入し、遭遇したときのために教会騎士団がいるのだろう。――教会の上層部だけを守るために。
しかし、下町の市民や街を出たとき、旅路であればそうはいかない。
「私らみたいな町のモンは自分たちで身を守るしかないからねぇ」
そう告げたマーシャおばさんは、この日のために用意していたのではないか、と思うような分厚い本を籠から取り出した。
「良かったら、祈りを捧げてもらっているお礼に伝えてもいいかい? きっと、役に立つよ」
「ぜひ、お願いします!」
勢いよく答えた私に、彼女は大きく頷いてみせた。よく見ると、マーシャおばさんの籠の中には薬草が入っている。忘れかけていた、好奇心と探求心。久しぶりに、胸が躍った。
子供たちも交えながら、マーシャおばさんは薬草について話を聞かせてくれた。
しかし――薬草の話に夢中になるあまり、近付く人影に気付かなかったようだ。唐突に、背後から掛けられた声があった。
「何をしていたのかね?」
「司教様……」
振り返ると、そこには司教様がこちらを睨みつけていた。糾弾するような視線と、威圧感に満ちた声は私を追い詰める。
下町と言えど、人が集まりすぎたのだ。そうすれば、戒律違反に目を光らせている司教様がいてもおかしくない。それに商人は教会との接点を作ろうと、密告紛いのことをする。
私は咄嗟に、おばさんに目配せをして、ここを去るように促す。振り返れば、下町の皆とガルヴィン様が視界に入る。
すると、ガルヴィン様は私の意を汲んでくれたようで、皆に立ち去るように促していた。――蜘蛛の子を散らしたように、人がいなくなる。
(駄目だわ……。今、戒律違反が知られてしまうと、黙認していたガルヴィン様も罰せられてしまうかもしれない……! あくまで追放されたいのは私だけだもの……)
この状況を乗り切るための案が思いつかない。ガルヴィン様を巻き込んでしまうのではないか、と不安に駆られ、唇が震えた。
「あの、えっと……」
言いよどむ私の前に、割って入ったのはガルヴィン様だった。彼は司教様の糾弾する視線を遮るように、私を背に庇う。そして、臆することなく司教様に状況説明を始めたのだ。
「司教。お恥ずかしながら、私が護衛中に手首を痛めてしまった。聖女シャリアは私のために癒やしの力を使ったのです」
「そうか……。ならば問題ないだろう。護衛騎士の体調は聖女の安全を左右するからな」
ガルヴィン様の鋭い眼光と、威圧感に気圧された司教様は、後ずさりながらもっともらしい言葉を口にした。
その一方で、私は混乱していた。普段の寡黙なガルヴィン様とは違い、饒舌に話す姿もさることながら、私の戒律違反を見逃していたのは事実だったのだ。
(ガルヴィン様……、どうして私を庇うような嘘を――? 彼の行動が、私の追放計画を狂わせるはずなのに……)
彼に抱いた感情の答えは出なかった。
不服そうに去って行く司教様の背中を、睨みつけるようにして見送るガルヴィン様。彼の横顔に、普段は見せない微かな苛立ちが浮かんでいた。彼は私を庇った理由を語らず、ただ静かに視線を遠くへ投げていた。
* * *
そうして、帰り着いたのは教会宿舎――、ではなく教会倉庫がひっそり佇む場所。人気のない、この場所で束の間の休息を享受した。
私は倉庫へ繋がる石階段に腰を下ろして、重い溜め息をついた。
「ふぅ……」
「聖女シャリア。少し休もう。肩を貸そうか?」
「ええ……、少しお願いします……」
その言葉と共に、ガルヴィン様は私の隣に腰を下ろす。お言葉に甘えて、彼の大きな肩に寄りかかると、誤魔化していた疲労がどっと押し寄せてきた。私の意思とは無関係に、体の重心が彼の方へ傾いていく。
しかし、彼が何かを語ることはなく――。
(やっぱり、無言のまま。……本当はお優しいのね)
隣に座るガルヴィン様の整った呼吸が安心感を与えてくれた。
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