26話 波乱の幕開け
そうして、私とガルヴィンは診療の手伝いを終えた。
――エリオット様は「また明日もお願いしますね、先輩」と嫌味ったらしく別れの挨拶を告げたのだった。
私は引き攣った表情筋を誤魔化しながら、どうにか笑顔で応えたものだ。
すると、いつもの護衛騎士がエリオット様を診療所まで迎えに来ていた。そんな護衛騎士も下町に馴染む格好をしているではないか。エリオット様に振り回される彼の心労を想像すると頭が下がる思いだ。
(エリオット様、お忍びというほど忍んでいないのはいかがなものかと……)
という、突っ込みは誰にも告げることなく、胸の中にしまい込んだのだった。
自宅に戻った私たちは束の間の平穏を得る。
診療の手伝いで疲れた体を休めようと、私はソファーに腰掛けた。――慣れとは怖いもので、ここ最近の忙しさを平常とさえ思ってしまう自分がいることに驚く。けれど、これは悪い意味での慣れだ。
すると、ソファーに腰掛けた私の隣にガルヴィンも同じく座った。彼は私の顔色を窺うように、おずおずと口を開いた。
「シャリア、昼間のことだ。……やはり、この国を出た方が――」
そこまで言いかけて、視線を逸らした。ガルヴィンなりに、私がエリオット様からの過度な期待に応えるのではないか、と心配しているのだろう。
私はガルヴィンを見つめながら、自分の気持ちを告げる。
「ううん。私ね、今の生活が好きなの。それを手放したくないだけなのよ」
――だから、自分に出来ることをしたい。それが薬草の栽培であれ、瘴気に汚染された環境を癒やすことであれ。
あの国では、教会に言われるがまま聖女の力を使っていた。あの国で疲弊していた頃とは違う、充実した毎日。経験を積んで、自らの知識で人を助ける。自分の意思で聖女の力を使うことに、きっと大きな意味がある。
そう告げると、ガルヴィンは「そうか……」とだけ、言葉を返したのだった。
これはあくまでも私の願望だ。私の我儘にガルヴィンを付き合わせる訳にはいかない。けれど、そんな気持ちと相反するかのように、彼と共に在りたいという気持ちがせめぎ合う。――なんて、複雑なのだろう。
顔を俯かせたガルヴィンに、私はそっと問いかける。
「ガルヴィンは……どうしたい?」
「君となら、どこへでも行こう」
すぐさま答えたガルヴィン。いつも必要な言葉しか口にしない彼らしい返答だった。途端、先程の沈んだ表情が嘘のように真剣なものに変わった。彼の真っ直ぐな視線が私を射抜く。
私の心臓がどっと跳ねた。顔に集中する熱を誤魔化しきれない。
言葉を失った私に、ガルヴィンは心配そうに顔をのぞき込む。
「どうした? どこか痛むのか?」
「いいえ、大丈夫よ……!」
彼の真っすぐな眼差しに見つめられて、私は慌てて返事をしたのだった。
* * *
翌朝。
私は弾かれたように目を覚ます。悪夢をみていたかのような疲労感。途端、変な胸騒ぎがして、慌てて外へ飛び出した。
目に飛び込んできたのは――、朝だというのに薄暗い空。天候が曇りという訳でもない。太陽は昇っている。そうなれば原因は――空気だ。空気がよどんでいて、ほのかに薄黒い。
「なに、これ……」
私の口から出た声は掠れて、戸惑いに満ちていた。――大先生なら、何か知っているかもしれない。そう思い至った私は身支度を簡単に済ませて、家を飛び出した。
私を呼び止めるガルヴィンの声を背に受けながら、ただただ診療所への道を急いだ。
診療所に着くや否や、私は扉を勢いよく開け放った。
「大先生……! これは一体……!」
荒々しく声を上げた私に大先生は「騒がしい」と告げ、呆れたように大きな溜め息をついた。
「はぁ……、西の方から瘴気の波が襲ってきたそうだ。今はまだ瘴気が薄いが……」
「瘴気の波……ですか?」
聞き慣れない単語に、私は同じ言葉を繰り返す。けれど察するに、流行り病とは別物のようだ。
大先生は苦渋の表情をしながら、言葉を続ける。
「ああ、兆候はあった。とある国が丸ごと瘴気に呑まれちまったのさ。それを知らせに早馬がここまで来た」
「……そんなことって!?」
あり得るのだろうか。それに加えて、大先生にその情報をいち早く知らせたとなると、エリオット様が一枚噛んでいるのだろう。
彼女が語る「兆候」。それは未だ収束する気配のない流行り病のことだろうか。流行り病の根源である瘴気が押し寄せる――それが瘴気の波。
私はあの国で目にした瘴気を思い出す。――触れた途端、草場は生気を失ったかのように枯れ果てた。それが波となったのだから、迎える結末は容易に想像できた。
大先生は憂いを隠すかのように目を伏せて語る。
「あり得る話だ。いくら聖女を抱えた国だったとしても、その聖女たちの力が弱ければ瘴気を癒やすことも、魔物を消し去る力もない」
――ドクン、と私の心臓が跳ねた。鼓動が徐々に早くなるのが分かる。
私は知っている。力の弱い聖女が生まれては、癒やしの力が消えていく。彼女たちを守る騎士は魔物を討伐するために駆り出され――。巡る思考に、私は手先の末端が冷えていくのを感じていた。
大先生は苦渋に満ちた表情を浮かべながらも、冷静に状況を捉えているようだ。その続きを静かに語った。
「国の外で発生していた瘴気が、徐々に町中へ。それが増え続ければ病は蔓延し、治療する術もない。民がいなければ、国は国として成り立たない。辿り着くのは『滅び』だよ」
私が想像していたことは、大先生の言葉によって確信に変わる。瘴気がもたらす末路だ。
大先生は腰を叩きながら、往診の準備を始めた。それだけではない。診療所の備品をことごとく箱に詰めるよう指示を出したのだ。
「しばらくすれば、瘴気を逃れ、助けを求めて人が大勢流れてくるだろう。そして、この国はそれを受け入れるだろうさ。ここは――そういう国だ」
彼女は告げた。国を渡った人の受け入れ、炊き出し、怪我を負った人の診察を一か所で行うという。流行り病の感染を抑制しつつ、国を渡った人を受け入れるには効率のいい方法だ。
不幸中の幸いか今現在、この町にはエリオット様が滞在している。国の危機にどう動くのか、話を聞けるはずだ――。
そうして、大先生に連れられて足を運んだのは町の集会場。そこには既に、他の診療所の薬草師や助手が準備を進めていた。そこに、すっかり見慣れた金髪が皆に指示を伝えていた。
私は大先生の手伝いの合間をぬって、こっそりと彼に声を掛けた。
「国の中枢へ帰らなくていいんですか? エリオット様」
「幸い、信頼のおける宰相と家臣がいるので。今ごろ、移民の受け入れと瘴気対策案を練っている頃でしょう」
私の疑問に答えた彼は、こともなげに言ってのけた。それどころか――。
「僕はここに残ります」
「えっ……でも、指揮は――」
「問題ありません。あらゆる場合を想定していましたから。僕が前線で指揮をとった方が指示も通りやすい」
驚きの声を上げた私をよそに、エリオット様は「それに」と続け――。
「真の聖女の力をこの目で見る、またとない機会でしょうから」
笑顔でそう告げた彼は、いつもの「いけ好かない王子」だった。けれど、その言葉に隠された覚悟は私でも理解できたのだった。
私は息を呑む。そして、心の中で彼の言葉の重みを反芻する。
(この人……自分を人質にしているんだわ……。そんなの責任重大じゃない……!)
思わず声を上げたくなったが、私はぐっと我慢したのだった。
エリオット様の期待と、私の意思。それは利害が一致しただけなのだから――。




