21話 番犬と呼子笛
呼子笛の伸びやかな音が周囲に響く。肺に吸い込んだ空気が底を突き、音が途切れると――。
「呼んだな?」
彼の声を聞いただけで、不安や恐怖が吹き飛ばされる。気が付けば、騎士に掴まれていた私の手首は自由になっていた。
その代わり、私の手を取るのは見知った一回り大きな手。わずかに開いた唇から発した声は掠れていた。
「嘘……。本当に、来るなんて――」
驚愕、安堵――いろんな感情が混ざり合う。涙で視界が滲む。手の甲で拭った涙は熱く、ようやく晴れた視界に映ったのは――。
「シャリア」
私の名を嬉しそうに呼ぶ、ガルヴィンだった。――素直になれない私。「呼びつけられたのに、どうして嬉しそうなのよ」と、言ってしまいたい気持ちをぐっと抑える。
すると、肩を強く抱き寄せられた。彼の腕の中に収まるような形で抱き留められる。途端、どっと心臓が跳ね上がった。
混乱しそうになる私。けれど、頭上から掛けられた声は酷く冷静だった。
「こいつらは、何だ」
何、と聞かれても――。ガルヴィンの問いにすぐさま答えられるほど、私は冷静ではなかった。咄嗟に、浮かんだ言葉を口にした。
「ええと――……誘拐犯よ!」
「そうか」
端的に答えたガルヴィン。表情が一瞬にして変わる。冷えた空気を纏い、彼の瞳の奥に殺意が宿る。静かに告げられた言葉が、目の前の騎士たちの結末を物語っていた。
「それなら、加減はいらないな」
「なっ……貴様! 我々の邪魔を――」
騎士は言いかけた言葉を呑み込む。ガルヴィンが目先に剣先を突き付けたのだ。――緊迫した状況。私は思わず、息を呑んだ。
さらに、ガルヴィンは冷たい声音で言い放つ。
「邪魔はしていない。誘拐犯から大事な人を守るだけだ」
私の肩に触れた手に力が込められる。彼はそのまま言葉を続けた。
「――流石に、いいとこ見せないとな」
柔らかな声音を耳が拾う。不敵な笑みを浮かべたガルヴィンが、やけに頼もしく私の目に映ったのは気のせいではないだろう。
肩に触れていた手が離れたと思った瞬間――目の前で起こったことに、理解が追い付かなかった。
ガルヴィンは同じく剣を抜いた騎士たちをことごとく無力化したのだ。それも、彼が持つ剣は護衛の仕事で使っている、いわば陳腐なもの。倒れている騎士が持っていた剣と比べると差が歴然だ。
私は目の前の光景が信じられず、小さく呟いた。
「うそ……」
「驚くことでもないだろう?」
「自衛にしても、やりすぎよ……!」
こともなげに答えたガルヴィンは、ことの重大性を理解していないようだ。この認識の差に呆れ、勢いよく声を上げた私。これからを考えると頭痛がする。せめてもの慰めで額に手を当てた。それから、聞きたいことを口にする。
「それで? どうやってここまで来たの? 護衛の仕事は?」
ガルヴィンを質問攻めにしてしまった。けれど、彼は平然として答える。
「それは魔術道具だ。以前の国でもらい受けた。特殊な仕掛けがしてあるそうで――」
「そ、んな……貴重な物…………」
爆弾発言を受けて、私は言葉に詰まってしまった。
魔術道具なんて代物、私のような市民には到底手の届かない逸品だ。そもそも、聖女として教会に属していなければ存在すら知らないもの。――あの国では聖遺物として保管されていた。歪んだ信仰によって倉庫に箱詰めにされ、ガラクタ同然の扱いだったはず。けれど、例えガラクタであったとしても教会が得た物を手放すとも思えない。
それをガルヴィンは討伐遠征で得た権力を使って手に入れたのだろう。「もらい受けた」と言っているが、彼のことだ。きっと、英雄の称号を思いのまま、幅を利かせたに違いない。
頭を悩ませていると、背後から怒号が飛んできた。
「人んちの前で何をやってんだい!」
私とガルヴィンは声がした方へ振り返る。
そこには騒ぎを聞きつけたであろう大先生が、腕を組んで立ち塞がっていた。彼女は私とガルヴィンを見た後、地面に転がっている騎士たちへ視線を向けた。それから、彼らが完全に気絶しているのか確認している様子だった。
「なんだい、王国騎士団がこんな辺鄙な町まで――」
怪訝な表情を浮かべた大先生はそこまで口にすると、ぴたりと動きを止めた。彼女の視線の先にいるのは――私だ。
「……小娘」
「は、はい……」
「中へ入りな」
重々しい空気の中、大先生に促されて私とガルヴィンは診療所へ足を踏み入れたのだった。
慌ただしく診療所へ入ると、大先生はすぐさま口を開く。
「その番犬を連れて、裏口から出るんだ。今日はさっさと帰りな」
「え、でも……」
私が言いかけた言葉は制止された。大先生が首を横に振ったのだ。彼女は裏口への扉を視線だけで示すと、さらに言葉を続けた。
「おおかた、小娘の聖女の力を嗅ぎつけたんだろう」
「そんな……どうやって……」
呟いた言葉は、大先生の呆れたような溜め息でかき消される。その上、彼女はじっとりとした目をしながら私に視線を寄越した。
「どうやっても何も、お前さん。不用心だろう」
「ぎくっ!?」
「染料が落ちた銀髪のままで出歩くわ――」
大先生の発言に、近くで話を聞いていたガルヴィンは「ほぅ……」と、意味深な声を漏らし、わずかに目を細めた。――これは非常に良くない状況。
焦る私をよそに、大先生は言葉を続ける。
「それに癒やしの祈りを捧げたね? どうやったのかは分からないが……、薬草の収穫量が戻っているじゃないか」
「うぅっ……!」
私はくぐもった声を漏らした。厳密に言えば、薬草の追加収穫の目処が立ったため、ありったけの薬草を大先生に渡していたのだ。
ガルヴィンの前で、この話は非常に良くない。恐る恐る振り返ると――無表情のガルヴィンと目が合った。
「シャリア」
「わーーーー! 今は逃げます! ありがとう、大先生っ!!」
名を呼ばれた瞬間、私は叫び声を上げて裏口へ駆け出した。
「どっちから逃げてるんだい」
去り際の背中に掛けられた大先生の呆れたような声。――「両方です!」と叫ぶ隙もなく、私は帰路についたのだった。
◇
自宅に戻るや否や、私はガルヴィンに問い詰められることになる。
追い詰められた私は、観念してソファーに腰を下ろしたのだった。そんな私を逃がさないと言わんばかりに、ガルヴィンは床に膝立ちとなり、私の両手を握っている。
ガルヴィンは一呼吸置くと、尋問を始めた。
「さて、聞かせてもらおうか?」
「……滅相もございません」
視線を合わせたくない、絶対に。今のガルヴィンの鋭い眼光で問い詰められれば、全て素直に話してしまいそうだ。
「シャリア、癒やしの祈りを捧げたというのは?」
「そのぉ……薬草不足で、流行り病の薬が足りなくなるかもしれない、とのことでして」
「ほぉ」
「なので試しに、土と空気の浄化をシマシタ。結果、薬草不足は解消デス」
ただの相槌のはずなのに、ガルヴィンの低い声は私を追い詰める。あっという間に口を割ってしまった。
「なるほど。それで俺の調子も途端に良くなった訳だ」
「へっ……? 薬で良くなったんじゃないの……?」
私は素っ頓狂な声を上げた。その話は聞かされていない。
「熱は下がったが、発疹と酷い咳は続いていた。けれど、ある日を境に突然――体が楽になった」
彼の言葉で思い出したこと。そう言えば、自室で療養していたはずのガルヴィンが護衛の仕事へ行くと告げたのは――。
「君がここら一帯に、癒やしの祈りを捧げたと言うのなら合点がいく」
「そ、そんなことしてないわよ!? 畑の周辺だけって、思って……祈ったのに……」
あの日、確かに土地と空気の浄化は成功した。けれど、広範囲に及んでいるなんて思いもしなかったのだ。
ガルヴィンは私をじっと見つめて、考えられる可能性を口にした。
「聖女の力が増しているのか……?」
「私に聞かないでよ!」
「とにかく、この国を離れるのか――」
「嫌よ……!」
彼の提案に、私は弾かれたように声を上げた。握られた手にぐっと力を込める。
他所から来た私だけど、女将さんは店で働かせてくれた。大先生と出会って、師を仰いだ。薬草畑も軌道に乗って、少しずつ夢に向かっていたはずなのに――。流行り病を皆で乗り越えて、日々平穏に暮らしたい。
聖女だから? 癒やしの力を持つから? 私がここに残りたい理由に大義名分なんてものはない。
そこまで巡った思考は、ガルヴィンによって遮られる。彼の真剣な眼差しが私を射抜く。
「シャリア」
「だって、せっかく大先生に弟子入りできて、薬草畑も――」
「気持ちは分かる。だが、また聖女として役目を果たして、君が疲弊するのは……」
彼の言い分は理解できる。聖女の力を搾取され続けた私を、一番近くで見てきたガルヴィンだからこそ、思う所があるのだろう。
ガルヴィンはそこで言葉を切ると、軽く首を横に振った。そして、より一層真剣な眼差しを向けて来た。
「正直に言おう。俺は、この国の人間よりシャリアが一番大事だ。誰よりも君を、好いているから――」
私を心配しているという建前を捨てた、直球な言葉だ。項垂れるように「分かってくれ」と告げられた言葉。それは昼間に見た、自信に満ちあふれるガルヴィンとは正反対な印象を受ける。
私が口にした答えは――。
「一晩、考えさせて……」
「分かった」
複雑な思いを抱えたまま、私たちは対話を終えたのだった。
* * *
翌朝。結局、考えがまとまらず一夜を過ごした。睡眠が足りていないのか、扉を何度も叩く音が聞こえてくる。幻聴か、耳鳴りか。
ドンドン、ドンドン――。
幻聴でも耳鳴りでもないようだ。一定の間隔で繰り返される音に、私はついに我慢の限界を迎えた。
「はい、どなたですか――」
怒りを隠すこともなく、勢いよく扉を開いた。
そこで目に飛び込んできたのは――、目を引く金髪と碧眼。青年は礼儀正しく、胸に手を当てると一言告げた。
「予言の聖女よ、お会いできて光栄です」
誰が、何だって――?
理解が追いつかず、頭の中で何度も言われた言葉を繰り返した。そうして、ようやく「予言の聖女」が私に向けられた言葉だと気付いたとき。
「はっ……!? はぁぁあーーー!?」
私の悲鳴にも似た叫び声が、そこら一帯に木霊した。




