20話 不穏な影
* * *
朝日を背にして佇むガルヴィン。私は彼を見送るため、玄関先へ出向いていた。
ガルヴィンは軽く装備を確認した後、腰に着けた香り袋へ大事そうに手を触れた。――なんだか、見ているこっちが恥ずかしくなるような光景だ。また今度、新しい香り袋を新調しよう。
そんなことを考えていると、ガルヴィンは準備を終えたようだ。ぱっと、顔を上げて口を開く。
「それじゃ、行ってくる」
「まだ休んでいればいいのに――」
そう告げた私の言葉に、彼は首を横に振った。
「今回は外せない護衛の仕事だ」
「そうなの?」
「報酬が随分といい。……隠してはいるが、身分の高い人のようだ。お忍びというやつだろう。隣町から、この町までの護衛を――」
私が知らないだけで、ガルヴィンは腕の立つ護衛として引っ張りだこなのかもしれない。彼はあまり護衛の仕事のことを話したりしないから――。
ほんの寂しさを抱えつつも、私が掛けた言葉は本心だった。
「無理しないでね」
「それは……君に言われたくはないな」
しかし、言い返されてしまった。それどころか去り際に、ガルヴィンは私の髪を手に取って、キスを落としたのだ。
私がぎょっとして目を見開いていると、クスクスと笑われてしまった。――想いを通わせてからというもの、ガルヴィンは度々こうして私をからかう。
私は恥ずかしさと怒りで、震える拳を握り締めた。我慢の限界に達して、大きな声を上げる羽目になってしまった。
「もう……! 分かったから、いってらっしゃい!」
照れ隠しのために張り上げた声すらも、ガルヴィンには通用しないようだ。彼は微笑ましいと言わんばかりの笑みをたたえて、出立した。
◇
ガルヴィンを見送った後、私はいつものように診療所へ赴いていた。
すると、大先生が作業していた手を止め、神妙な面持ちで口を開く。
「隣町に魔物が出たそうだよ」
「えっ……」
私は驚きの声を上げた。これまでは町の外、それもずっと遠くで目撃されるだけだったはずの魔物。それが町の中まで侵入したとなると――。瘴気は拡大している、その考えに至る。
それに今朝、ガルヴィンは隣町へ仕事に出掛けている。彼を心配する気持ちが溢れ出す。けれど、大先生から掛けられた声に、はっと意識を現実に戻した。
「魔物が嫌う香りを放つ薬草、お前さんは知っているかい?」
「は、はい!」
「それなら話が早い。香り袋を用意しておくに、越したことはないね」
彼女はそう告げて、作業を再開したのだった。
(ガルヴィン、大丈夫かしら……)
ずっと彼のことが頭を離れなかった。けれど、私は不安を振り払うべく、首を横に振ったのだった。
◇
時間は流れる。私は診療所の裏庭に出ていた。
ガルヴィンを心配していても始まらない。彼には私が贈った魔物除けの香り袋があるし、何より剣の腕が立つ。心配はいらない。そう自分に言い聞かせて、大先生の手伝いをこなした。
気分を変えようと、青空の下でひと思いに伸びをする。
「ふぅー……、午前の診療もひと段落ね。あとはこれを干して――」
視線の先には山積みにされた洗濯物。病床のシーツや処置で使用した布だ。快晴の下で干す洗濯物は気分がいいだろう。でも、それはどこか瘴気による影響の残滓を暗に示しているかのようで――。
考え事をしていると、重たい足音が聞こえて来た。それは鎧を纏っているのだと分かるものだった。ガルヴィンのような商人や旅人の護衛を生業とする者や国を渡る人たちであれば、鎧は必要ない。――ということは騎士だろうか。足音は幾重にも重なり、複数人で移動しているのだと分かる。
この町は比較的、治安がいいはず。懸念点を挙げるとすれば、近辺に出現した魔物だ。――魔物の出現を受けて、騎士が動き出したのだろうか。
巡る思考の末に、私は近付く足音に身構える。
(ここは無難にやり過ごした方がよさそう……)
そう考えるのは当然だ。私には知られたくない秘密がある。
幸いにもここは診療所の裏庭。目立つ場所ではないし、他人から見れば私はただの診療所のお手伝いさん――のはずだ。
しかし――。
「失礼ですが、お嬢さん。お話を伺っても?」
まさか、騎士に話しかけられるなんて予想外。ここは診療所。「お話」というのは大先生に用事があるのだろう、私はそう自分に言い聞かせて、振り向いた。
そこには重厚な鎧に身を包んだ騎士が複数人、佇んでいた。彼らは見慣れない格好をしている。普段から、町で見かける警備隊ではないことは一目瞭然だ。
私は動揺を隠して、こともなげに答えた。
「……診療なら、午後からになります」
「診療をお願いしたい訳ではありません」
「じゃあ――」
そこまで言い掛けて、はっと息を呑む。目の前の騎士との会話に意識を向け過ぎていた。いつの間にか、私は逃げられないように囲まれていたのだ。
――怖い。不安で手が震えた。けれど、ここで隙を見せれば、あっという間に誘拐されてしまうかもしれない。私はきつく彼らを睨みつけた。
目の前の騎士は軽く会釈をして、手を差し伸べた。
「どうか、我々と共にお出で下さい」
「お、お断りします……! 大体、何も聞かされていないのに――」
私はすぐさま拒否した。後に続けた言葉も至極真っ当なことだと思う。ただの一般人だからと言って、説明もなしに連行するのはあんまりだろう、と抗議の声を上げたのだ。
しかし、騎士のうちの一人が私の言葉を聞いて、突然、焦りを隠そうともせず声を荒げ始めた。
「お願いです! どうか、この国の危機を救っていただきたい!」
私は混乱の渦に吞まれようとしていた。訳が分からない。
「わ、私に言われても……!? 一体、何の話ですか!?」
「殿下のお話だけでも――!」
矢継ぎ早に放たれた言葉。紳士的な騎士が制止するも、彼は聞く耳を持たず。焦りをあらわにしたままだ。大きな声を上げたため、周囲の視線が徐々に刺さり始めた。何事か、と囁く声が聞こえてくる。
そして、焦りは私に伝播する。
(殿下……!? 殿下って……この国の王族のことよね……!?)
血の気が引いた。この人たちと関わってはいけない、と瞬時に判断した。――今までの彼らの言動。下手をすれば、私に聖女の力が宿っていると知られた可能性がある。
(しらを切って、逃げ切るしかない……!)
一番恐れていたことが、今起ころうとしている。気をしっかり保って、彼らを威嚇するように睨みつける。
しかし、焦っている様子の騎士はさらに声を荒げて、腕をもたげたのだ。その光景がやけにゆっくりと感じられ、制止する声が遠く聞こえる。
「来ていただかないことには……!」
「ちょっと!? やめて下さ――」
告げようとした言葉は、突然の痛みによって遮られる。私は思わず声を上げた。
「痛っ……!」
痛みを感じた方を見やれば、騎士が私の手首を掴んでいたのだ。あの国にいたときも、似たようなことがあった。そう思った瞬間、脳裏に蘇ったのは――少女だった頃の私の記憶。
母を亡くして喪が明けないうちに、父から教会入りを告げられた。突如として変わってしまった髪色、役に立たなかった薬草と努力。喪失感と悲しさも相まって、私が私じゃなくなるような錯覚を抱いたのをよく覚えている。
教会の人間が迎えに来た。父に金貨がたっぷり入った布袋を渡したのを目にした時、私は売られたのだと理解した。けれど、私も現実主義者。血は争えない。懐に忍ばせた布袋を悟られまいと必死に隠して――。
教会で待ち受けていたのは過重労働。偽りの教え。せっかく、あんな地獄から逃げ出したのに――。
(また、あの日々に戻るなんて――絶対に、嫌!!)
心の中で思い切り叫ぶ。せめてもの抵抗だ。両足を力いっぱい踏んばって、掴まれた手首を振り払おうとした。
しかし――、騎士の腕力に適うはずもなく。私の抵抗は徒労に終わった。引きずられる体はバランスを崩し、首から提げていた呼子笛が飛び出してしまった。
呼子笛を目にした瞬間、私の脳裏に浮かんだのは――。
(ガルヴィン……!)
縋るような思いだった。考える間もなく、手が動く。捕まれていない手で呼子笛を掴み、思いっきり吹いた。
肺に吸い込んだ空気がなくなるまで、ずっと――。




