19話 一難去ってまた一難
大先生に私が聖女だと知られた、といっても師弟関係に変化はなかった。それは嬉しさを感じると同時に――。
(大先生、前よりも人使いが荒くなっているような……!?)
慌ただしさが増した診療所内を駆け回る日々が続いた。
瘴気に起因して発生した流行病は依然として猛威を振るっている。毎日、診療所を訪ねてくる患者の数は留まることを知らない。もちろん、回復に向かっている患者もいるけれど――。決定的な収束とまではいかないようだ。
大先生は調剤していた手を止めて、渋い表情で告げた。
「おかしいね」
「どうしたんです?」
「いや……。いつもの流行り病なら、とっくに収束してもいい頃だ」
私の問い掛けに、大先生は薄っすら感じていたであろう違和感を口にした。――既に、他の診療所とも連携している状況。交代で休息をとり、必要な薬草があれば互いに補い合っている。
けれど、今の状況が長引けば共倒れになることは容易に想像できる。
大先生は考え込む仕草をすると、言葉を続けた。
「けれど、今回の流行り病は続いている。お前さんが摘んで来た薬草の量にも、限りがある。あたしの薬草畑に残っている分も……わずかだ」
私は告げられた言葉に小さく頷いた。
畑で育てている、あの不思議な薬草。既に畑の大半を収穫してしまっている。既に薬として煎じたものも含めても、数は多くない。
大先生は薬棚をちらりと見やった。それから、乾燥させている途中の薬草へ視線を移した。
「嵐が来ないと、あの薬草は育たない。だから、薬草が収穫できるまでの繋ぎとして、去年収穫した薬草を備蓄しておくんだが――」
そこで言葉を切ると、彼女は大きな溜め息をついたのだった。
「今年は残りそうにない。苗は残しておかないと――」
「大先生、それって……」
考えられる最悪の事態。私は言葉を失った。薬草の欠品による薬不足が起これば、迎える結末は――。その先を想像して、私は息を呑んだ。
結末を想像したのは大先生も同じだったようだ。彼女は思い詰めた表情で告げる。
「ああ。非常にまずい状況だ」
それは初めて目にする大先生の表情だった。それだけ現状はひっ迫しているのだろう。
私は考える。自分にできること、手助けできること――何か、一手を。
(……やっぱり、癒やしの祈りを捧げるしかないの? でも、ガルヴィンとの約束も、大先生の言葉も――)
ガルヴィンからは聖女の力を使うなと言われている。大先生も同じ。二人とも私を案じてくれているのに、当の私は何も返せていない。そんなもどかしさを抱える。
考え込んでいると、突如として――ピン、と弾かれた額。衝撃と痛みに、私は思わず声を上げた。
「あイタ……!」
「馬鹿にするんじゃないよ! これまで人の力で乗り切ってきたんだ。なんとかなるさ」
大先生の言葉には不思議な力があると思う。言い聞かせるように告げられた言葉に、胸が少しだけ軽くなった。それほどまでに、私は沈んだ顔をしていたようだ。
大先生は視線を手元に戻すと、再び薬草を煎じ始めた。作業を進めながら、口を開く。
「お前さんが正体を隠したい内情もよく分かる。こういうのは、気持ちが決まるまで秘密にしておくもんだ」
「あり、がとうございます……」
私は言葉に詰まってしまった。どこかむずがゆい。すると、大先生は眉をひそめて口を尖らせた。
「む、何だい」
「ふふっ……。大先生って優しいな、と思って――」
「やかましい」
突き放すように告げられた言葉でも、私にとっては温かい言葉だった。大先生が、街の皆から「マザー」と呼ばれる理由が分かったような気がした。
* * *
診療の手伝いを終えて戻った私は、畑の前にしゃがみ込んでいた。緑豊かだった畑は今や閑散としていて、寂しい畝が目立つ。
私が考えることはひとつだ。
「疑似的に嵐を再現できればいいのだけれど……。う~ん……」
残った薬草を増やすには、それが一番手っ取り早い。けれど、遠い空を見上げても、風を感じても嵐が来る気配は微塵もない。
視線を薬草畑に戻すと、考え込む仕草をする。そこで思い出したことがあった。
(そうだわ。前にガルヴィンが言っていた――、薬草に癒やしの祈りを捧げるというのは……)
試してみる価値はあるかもしれない。私はきょろきょろと周囲を見渡した。
ただでさえ、ここは人気のない町外れの一軒家。鬱蒼とした森が近いため、魔物との遭遇を恐れて人が近付くこともないはずだ。ここであれば癒やしの祈りを捧げても誰にも気付かれない。
私はそう確信して「よし」と意気込んだ。そっと両手を組み、祈りを捧げる。聖女の力を使うのは、あの国で偶然にも瘴気を癒やしたとき以来だ。けれど、今の私ならもっと上手くできる、そんな自信があった。
――美味しい食事もばっちり、大先生の気遣いもあって、ほどほどに休息も取れている。ガルヴィンと生活を共にして、大先生という師も得た。
力を使った特有の浮遊感を感じながら、温かな光に包まれる。光は私と薬草を包み込んだ。けれど――。
「やっぱり……変化なし、ね」
薬草は増えることもなければ、光り輝くこともない。なんら変哲もない薬草のまま。
私は大きく溜め息をついて、肩を落とした。それから、しゃがみ込んだ膝に肘を置いて、頬杖をつく。今一度、思考を巡らせた。
「う~ん……。嵐と言えば、強風に大雨……」
あの日の出来事を順番に思い出して、頭の中を整理していく。
嵐が去った後の澄んだ空気、爽快な空。降った多量の雨は川の水を増やし、土壌を満たす。それは不純物をも洗い流す――要は自然の「浄化作用」だ。
私はそこで思考を止めた。目を見開いて、辿り着いた可能性を口にする。
「土と空気を癒やして浄化すれば……! もしかしたら……!」
思い出すと、初めて目にした瘴気は黒い霧だった。空気中に漂う瘴気は流行り病となって感染が広がる。瘴気は風に流れて、ゆくゆくは微量ながらも土に蓄積されていき――。下手をすれば、生活水だって瘴気に汚染されるかもしれない。
その結論に至ったとき、試してみる価値は大いにあると考えた。私は力強く頷くと、目の前に広がる畑を見た。
(少しだけ……。お願い、少しだけなのよ……!)
心の中で祈りながら、両手を強く握った。それと同時に、ぎゅっと目を閉じる。
畑の土と、ここ一帯の空気を浄化する。とても限定的な範囲で、初めての試み。成功する保証はない。けれど、やらないで後悔するよりずっといい。
脳裏に浮かんだのは流行り病で苦しむ人々――そして、ガルヴィン。彼らの回復と安寧をひたすら願った。
癒やしの力を使ったとき特有の浮遊を感じなくなった。恐る恐る瞼を開く。目の前に広がっていた光景は――。
畑は微量ながらもきらきらと光り輝き、息を大きく吸い込めば澄んだ空気が肺を満たす。これは土壌とそこら周辺の空気が浄化できた、ということに他ならない。――浄化に成功したのだ。
「やった……! やったわ……!」
感極まって、私は大きく声を上げた。これで、畑に残った薬草の成長促進が期待できるだろう。
けれど、得も言われぬ達成感と同時に押し寄せたのは、約束を破ってしまった罪悪感だった。
(ガルヴィンには秘密にしておいた方が良さそうね……。それに、お腹が空いたわ……)
胸元で拳を握り締めて、心に決めた。さらに、瘴気を癒すとその反動とでもいうように、空腹に見舞われる。けれど、今は食べ物を用意するだけの体力もない。
私はいそいそと自宅に戻った。けれど、出迎えはなく、しんとしている。どうやらガルヴィンは自室で眠っているようだ。ほっと胸を撫で下ろし、体を休めようと椅子に腰掛けたのだった。
◇
「シャリア」
ふと掛けられた声に、意識が覚醒する。私は勢いよく体を起こした。どうやら、椅子に腰かけたはいいものの、机に突っ伏して眠ってしまったようだ。
私は目を擦りながら、ガルヴィンの声に応える。
「ん……、眠っちゃってたみたい。それより、ガルヴィン……起きて大丈夫なの?」
「ああ。随分と楽になった」
ガルヴィンはそう告げて、私の目線に合わせるように屈みこんだ。――これは触れて熱を確かめろ、とでも言っているのだろうか。そんな彼の仕草が可愛らしいと思う。
私は肩をすくめながら、彼の額に触れた。うん、平熱だ。咳の症状もなくなったようだ。
(よかった……。本当に)
安堵に目を細める。すると、今度はガルヴィンが心配そうな表情を浮かべたのだ。
「俺が言えた立場じゃないが……疲れが顔に出ている。少し休むんだ」
「でも――」
「あんな君は、もう見たくない」
その言葉は、あの国で疲弊していた私を指しているのだろう。
ガルヴィンは悲しそうに眉を下げた。それから、彼の手は私の顔にかかった髪をよける。離れ際に、名残惜しそうに私の頬を撫でた。
本当に心配してくれていると分かるほど、私の胸は締め付けられる。ようやく開いた口から出た声は、少し掠れていた。
「…………そうね。ありがとう」
私は椅子から立ち上がる。「部屋に戻って休むわ」とガルヴィンに告げて、背を向けた。
(でも……、流行り病の収束にためには根源を絶つしか……ないと思うのよ)
唇をぐっと噛み締める。今日、畑を浄化して考えたことがあった。――瘴気による土壌と生活水の汚染だ。そうなれば、流行り病だけの問題ではなくなる。
大先生が掛けてくれた「気持ちが決まるまで」という言葉。――悠長にしていられない、と逸る気持ちがあるのも確かだった。




