18話 流行り病の秘密と大先生
それから、しばらくして――。
私はガルヴィンの横顔を見つめていると、変化に気付いた。彼の首元に手を当てて、体温を確認する。
「また熱が上がってる……」
顔色はすっかり良くなっていたけれど、どうやら薬効の一時的なものらしい。ぽつりと呟いた私の言葉に、ガルヴィンは苦い顔をした。その後すぐに、咳き込む。
私は眉を下げて、彼を慰めるように背中をさすったのだった。
「駄目よ、寝ておいて」
そう声を掛けると、ガルヴィンは渋い表情で目を伏せた。私に迷惑が掛かると思っているのだろう。
私は首を横に振り、それから、ソファーではなく自室へ行くよう促す。そちらの方が体も休まるだろう。けれど、ガルヴィンは離れがたいとでも言うように、私の肩に額を押しつけてきた。
――何よ、可愛いじゃない。ガルヴィンのふとした仕草に、ときめいてしまった。
しかし、このままではいけない。まだ流行り病の被害は拡大しているはず。一刻も早く、大先生の所へ行かないと。巡り始めた思考は、私に焦燥感を抱かせる。
私は、肩に埋められたガルヴィンの鼻先を指でピンと弾いた。「痛い」と、恨めしそうに私を上目遣いで見やるガルヴィンに、安心させるように声を掛けた。
「ほら、大丈夫。大先生を手伝ったら、すぐに帰って来るから」
「ん」
短く返事をした彼は名残惜しいとでも言うように、体をゆっくりと離した。そのとき、少しだけふらついた体。私は慌てて支える。それから、ガルヴィンが自室へ向かうのを手伝った。
彼が寝床に着くのを見守り、私は部屋を出ようと背を向けた。
「それじゃあ、行って来るから。安静にね」
「おい、シャリア! 待っ――」
ガルヴィンが何かを言い掛けたが、きっとまた「お小言」だろう。そう決めつけて、私はそそくさと逃げるように部屋を後にしたのだった。
◇
私は道を急ぐ。慌てて出掛ける準備をしたためか、髪が乱雑に跳ねている。けれど、それを気にしている余裕もない。
ようやく辿り着いた目的地。私は勢いよく、診療所の扉を開いた。
「大先生! 遅くなって、すみません!」
「ったく、呑気なもんだ! ほら、来たのなら手伝いな!」
悪態をつきながらも迎えてくれた大先生。私は急いで、身支度をしたのだった。
それから――、あの日のように慌ただしく大先生の診療を手伝った。患者が途切れた、一時の合間。大先生は「少し、診療を中断する」とだけ言い残し、診療所の奥へ消えた。
私は慌てて、診療所の看板を変えるために玄関先へと走る。扉に掛かった看板。一時閉院を知らせるものに変えて、診療所の中へ戻った。
どうしたのだろう、と不思議に思うよりも前に、私は大先生に呼ばれたのだった。
「小娘」
「はい?」
「ひとつ、いいことを教えてやろう」
一体、何を教えてくれるのだろう。わずかに湧いた好奇心。私は手を止めて、大先生のもとへ足を向かわせた。
彼女は椅子に腰掛けて、体を休めていた。けれど、手は休む間もなく動き続けている。乾燥させた薬草の擦れる音が、しんとした診療所に響く。
しばらくして――大先生の口から、意外な言葉が放たれる。
「この流行り病は、特定の人間には感染しない」
「えっ――?」
「もちろん、かかりにくい体質の人間だっているかもしれない。だがね、そんな訳ないんだよ。……今までの助手たちは皆、流行り病に倒れてしまったからね」
流行り病は瘴気に起因しているから、その考えに至るのは容易なことだった。
そして、不意に垣間見えた大先生の過去の話。確かに今思えば、おかしい点に気付く。
この診療所には大先生たった一人だけ。一定周期で訪れる流行り病を、彼女ひとりだけで対処してきたとは思えない。これまで、何人もの助手が流行り病に倒れ、後遺症を抱える体になってしまったのか。それとも――、見送ったのか。
大先生が弟子入り志願者に試練を課し、素っ気ない態度で人を迎える理由が解ったような気がした。
言葉に詰まった私の意図を汲んだ彼女は、溜め息混じりに言葉を続けた。
「あの病はね、聖女は罹らないんだよ。もちろん、聖女だった者にもね」
聖女は瘴気と対を成す存在だからだ。唯一、瘴気を癒やせる存在。だから、流行り病には罹らない。
その結論に至るのは簡単だった。しかし、そこでふと湧いた疑問。
(でも、それって――)
私は疑問の答えとなる言葉を口にした。
「大先生も……?」
「ま、アンタにどんな事情があるのか。知ったこっちゃないけどね。……それにこの仮説は、あたしだけが知っている」
――大先生に気付かれたのだ。私が聖女であることに。
けれど、彼女は「そんなことはどうでもいい」と言わんばかりに、首を横に振ってみせたのだった。口にした仮説も、大先生の経験からくるもなのだろう。他の誰かが勘づいたとしても、彼女なら強引な態度と口で言い負かしてしまいそうだ。
今の私の胸中を占めるのは、正体を知られてしまった焦りではなかった。この人に師事を仰いで良かった。そう思ったのだった。
ほんの少しでも、大先生を知れたような気がして、私は笑みをこぼす。
「ふふふ……」
「何を笑ってるんだい。それにほら――髪に気を付けな!」
「あっ――!?」
大先生に言われて、私は肩にかかった髪を見た途端、大きく声を上げた。――染料が落ち、銀髪があらわになっている。銀髪は聖女の証。その特徴はこの国においても同じだったようだ。
それにあのとき、ガルヴィンが言い掛けたのは髪色のことだったのだ。
大先生は私の髪をまじまじと見ると、鼻で笑った。
「今日、うちに来たときは半信半疑だったが……朝と比べると色落ちが進んでいる」
だから、大先生は診療を中断させたのか――と、そこで合点がいった。口では皮肉屋な一面もあるけれど、私の正体が周囲にバレることを心配してくれたのだ。
「小僧の看病で忙しかったんだろう。でも、不用心だ。さては、汗に弱い染料を使ったね? まだまだ、ひよっこだ」
「うぅ~……! 大先生!」
彼女の言葉に、私は泣きそうになりながら――この国に来てよかった、そう思えた。ひとり感激している私を尻目に、大先生は呆れたように鼻で笑ってみせたのだった。
そこで私は大先生に尋ねる。流行り病に感染した患者に、癒やしの祈りを捧げる治療は可能なのか、と。
彼女の答えは――。
「あたしゃ、役目を終えた人間だ。それは分からない。それに、お前さんが力を使って患者を癒やしてしまったら、商売上がったりだよ!」
私は、その言葉が意味することを知っている。大先生に宿ったはずの癒やしの力は「枯れてしまった」のだ。
それに――最後の言葉は、なんとも大先生らしいものだった。私を心配してくれているのだろう。だって、知っているもの。大先生が相場の薬屋よりも安く、薬草を譲っていること。――私が目指した薬草師の姿を目にしている気がした。
すると、大先生は不機嫌そうに、口を開く。
「それはそうと――誰かに見られてやしないだろうね?」
「た、多分……?」
「はぁ……」
首を傾げた私に、大きな溜め息をついた大先生。――慌ただしく家を出たから、髪のことなんて気にも留めていなかった。それほどまでに、私はこの国に馴染んだと勝手に思っていたようだ。
大先生は言い聞かせるように語った。
「いいかい? 老人はともかく、この国で銀髪は珍しい。珍しいという事は――悪目立ちする」
――失敗した。全身の血の気が引いた。
あの国のように、教会に属した聖女がたくさんいるものだとばかり思っていた。
大先生は青ざめた顔をした私に、何かを感じ取ったのだろう。溜め息をつきながら、口を開いた。
「……まぁ。今はどこも、かしこも流行り病で手一杯だ。他人なんざ、気にしちゃいないだろう」
慰めの言葉とも受け取れた。俯いた私の目の前に差し出されたのは、奇妙な柄の三角巾だった。毛先が見えないように髪をまとめ上げて、これを被れば隠せるだろう。
目をぱちくりさせている私をよそに、大先生は素っ気なく言い放った。
「しばらくは用心しな。これでも被っておくんだ」
「は、はい……! ありがとうございます……!」
私は大きな声でお礼を告げて、三角巾を受け取った。大先生の気遣いに、感謝の念で胸がいっぱいになる。
私は手際よく髪をまとめ上げて、三角巾を身に着けた。
(誰の視線も気にならなかったから――きっと、大丈夫よね?)
一抹の不安を覚えながらも、私は再開された診療の手伝いに奮闘するのだった――。
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