17話 夢じゃない
「シャリア」
私の名前を呼ぶ声がする。優しい声音が心地よい。何度も私を呼んでいる。それに加えて、肩を揺すられた。
目の前は真っ暗。どうやら、昨晩の看病に疲れ果てた私は、知らない間に眠ってしまったようだ。意識の浅いところを浮遊しているような感覚。
もぞり、と体を動かした。肌に触れているのは掛け布だろうか。眠りを邪魔しようとするものを遮るべく、私は掛け布を頭から被った。けれど、私を呼ぶ声が止むことはなかった。
「シャリア」
「むぅん……! もう! 寝かせてよ……!」
辛抱堪らず、大きな声を上げて抵抗した。
――ようやく聖女のお役目から解放されて、自由になったのよ。自分の夢をかなえる一歩を踏み出して、大先生の指導に揉まれながら労働と休息のバランスも程々に、って。
そこまで考えられるほど、意識がはっきりとしてきた頃。ようやく、私を呼んでいたのがガルヴィンだと気付いた。
私は弾かれたように起き上がった。ガルヴィンが横になっていたはずのソファーに寝かされている。彼はどこ――?
そこでばちりと、かち合った視線。ガルヴィンはソファー近くの床に膝を着き、私の様子を窺っている。見ると、彼の顔色はすっかり良くなっていて、私は安堵の溜め息を漏らす。けれど、私は先ほど、病み上がりの彼に強く当たってしまったのだ。
「あ……、ごめんなさい。それに寝床まで――」
おずおずと謝罪の言葉を口にした。けれど、ガルヴィンは「気にしていない」と言わんばかりに、首を横に振ったのだった。それから、申し訳なさそうに口を開く。
「俺の方が君に迷惑をかけた。用心棒、失格だな」
「そんなことないわよ」
今度は私が彼の言葉に、首を横に振った。あの頃とは違い、互いに支え合っているのだとガルヴィンに伝える。すると、満更でもない表情をしてみせた彼に、私は「元気そうね」肩をすくめたのだった。
それから、おもむろにガルヴィンの額に触れた。よし、彼の体温は正常だ。
「熱は下がったようだけど……。まだ、完全に解熱した訳じゃなさそうね。体調はどう?」
「問題ない」
「発疹はまだある……。大先生から流行り病の予後を聞いておかないと――」
彼の首元から覗く発疹は、彼が未だ万全の状態ではないと告げていた。私は考え込むように顎に手を当てた。それから、身支度をしようとソファーから立ち上がろうとした矢先――ガルヴィンは私の腕を引いたのだ。
再び、ソファーに腰を下ろすことになった私。ガルヴィンの意図が分からず茫然としていると、腕に触れていた彼の手は私の両手を包み込んだのだ。
ガルヴィンはじっと私を見つめて告げた言葉。
「あの言葉は……、俺が視た都合のいい夢ではないな?」
「な、なにが?」
「君が俺を好いていると――」
「ちょちょちょ、ちょーーーーと!?」
大声を上げて、ガルヴィンの言葉を遮った。それと同時に思い出すのは昨晩の出来事。互いに想いを口にして、告白を交わした。――恥ずかしさで溺れそう。
握られた両手。きっと、昨晩のことを蒸し返すつもりだ。今の私の顔は真っ赤なことだろう。だって、顔がこんなにも熱い。
一方のガルヴィンは、途中で会話を遮られたことに、怪訝な表情を浮かべている。
「何だ」
「あなた! 寝ぼけてたんじゃないの!?」
「いいや? 正気だったが」
平然と告げられた事実に、私は魚のように口をぱくぱく開閉している。これはガルヴィンによる確認だ。
(輪に掛けて、恥ずかしいじゃないのよ……!)
取るべき対応の正解が分からない。――だって、恋心を告げるだけで精一杯だったのよ?
ガルヴィンが手を握った意味。頭は理解しているつもりでも、心が追い付いていない。
私は再び、大きな声を上げる羽目になってしまったのだった。
「一度しか言わないって言ったでしょ!」
すると、ガルヴィンは一瞬だけ目を点にする。その次には、獲物を捕捉したような目つきで告げた。
「言っていない」
「なにが!?」
「一度しか言わないとは、言っていない」
「うぅ~!」
痛い所を突かれてしまった。言い返す言葉を見つけられず、私の口から出たのはただの悔しそうな呻き声だった。
寡黙で口下手だったガルヴィンに口で負けるとは――、一生の不覚。恥ずかしさと悔しさで、視界が滲んだ。けれど、それすらも愛しいと言わんばかりにガルヴィンは目を細めたのだった。
そもそも、二人で生活するようになってからというもの。ガルヴィンは口数が増え、表情も以前より分かりやすくなったように感じる。――でも、これは全て私の心の変化でもあったのだろう。好きな人の表情の変化は良く分かるし、知りたいと思うもの。
ガルヴィンは「話を戻す」と告げてから、しれっと言い放った。
「晴れて想いを交わした訳だが……」
「――言い方!」
思わず、突っ込みを入れてしまった。それでもなお、じっと私を見つめるガルヴィン。私は視線を逸らして、もごもごと口をまごつかせながら言葉を口にした。
「べ、別に今まで通りでしょ……!」
「ふっ……そうか」
ガルヴィンの精悍な顔がふわっと柔らかくなった。それを目にした途端、またも跳ね上がる心臓。
私は耐えきれず「そうよ!」と大きな声を上げたのだった。――少しずつ、距離を縮めるのは悪くないかもしれない。
◇
ひとしきり、なんとも言えない雰囲気に包まれた後。ガルヴィンには私の隣に座ってもらった。いつにも増して距離が近いように思うけれど、気のせいだと自分に言い聞かせておこう。
それから、私は話題を変えるように咳払いをした。告げたのは私の中で浮かんだ疑問。
「それにしても――流行り病に罹ったガルヴィンに付きっきりだったのに、私は感染していないなんて」
どこかおかしい。そう考えるのは必然だった。大先生もあれだけ感染者と接しているにもかかわらず、ぴんぴんしている。ここまで怒号が飛んできそうなくらい元気だ。
すると、隣から咳き込む音が聞こえた。私は慌ててガルヴィンの背中をさすった。――まだ彼は万全の状態ではないのだ。
「ガルヴィン……!?」
「……咳き込んだだけだ、心配するな」
そうは言っても、心配なものは心配だ。――流行り病が発症してから、薬を飲ませるまでの時間によっても効力が変わってくるのかもしれない。そんな憶測が脳裏をよぎった。
私は俯いて、ぽつりと言葉をこぼす。
「私が、大先生に薬草を届けるのが遅かったから――」
「どういうことだ……?」
怪訝な表情でガルヴィンが聞き返す。私は、かいつまんでガルヴィンに薬草のことを告げた。
流行り病と薬草の関係。そして、嵐。――夜通し薬草を摘んだことは黙っておこうと思っていた。けれど、有無を言わさないガルヴィンの鋭い眼光に、根を上げたのは私の方だった。
ガルヴィンの追及は続く。
「危ないことはしていないだろうな……?」
「してないわよ……! 夜に出歩くのは怖かったから――」
「それは懸命な判断だ」
「どういう意味……?」
今度は私がガルヴィンに尋ねたのだった。彼は小さな溜め息をついて、語り始めた。
「最近、護衛の仕事が増えていた。この国の近辺でも魔物が増えているらしい」
「それって――」
「瘴気の影響がこの国まで広がっている、と考えて良さそうだ」
彼の言葉で、思い出したのは瘴気と対峙したときのこと。背筋が凍るような錯覚を起こす。――私の変化に気付いたのだろうか。
ガルヴィンは気遣うように、そっと肩を寄せた。触れる肩のわずかな体温。それは一緒に「悪事」を働いていたときを思い出させてくれた。じんわりと、不安な気持ちが消えて行く。
ガルヴィンは私を一瞥すると、言葉の先を続けた。
「流行り病の混乱に乗じて、街に出現するのも時間の問題だと……俺は考えている」
「それは――」
有事だろう。けれど、私たちは解決する術を持っていない。それに、瘴気対策や防衛を担うのはもっと国の偉い人の仕事だ。私にできるのはせいぜい、大先生の手伝いをして流行り病の感染抑制くらいだろう。
ガルヴィンも思う所があったようで、呆れたように言い放った。
「この国の人間は平和ボケしている」
「ちょっと……ガルヴィン」
「移民を大量に受け入れているのもそうだ。魔物への備えも見受けられない。無謀すぎる」
徐々に、病み上がりで話す話題ではなくなっている。これでは議論だ。私は我慢できず、わっと声を上げた。
「と・に・か・く! ガルヴィン、今のあなたの仕事は休むことよ!」
「…………」
「無言で訴えても駄目。私は大先生のところに行って来るから――」
そこまで言い終えて、私は立ち上がった。出掛ける身支度もしなければいけない、と思考は慌ただしさを増していく。足を一歩踏み出したときだ。不意に、ガルヴィンが声を掛けてきた。
「それ」
「ん?」
「着けたままなんだな」
彼の言葉の意味が理解できず、一瞬、考える。視線を追うと、私の胸元で揺れる呼子笛に辿り着いた。――ガルヴィンが贈ってくれた呼子笛。
「あ、あなたが勝手に着けたんじゃない!」
照れ隠しのために、またもや大きな声を上げる羽目になったのだった。




