16話 続く渦中の中で
私はソファー近くの床に膝を着き、彼の容体を確認する。
ランプの明かりが照らし出したのは、ガルヴィンの首筋にある発疹。それは流行り病に罹ったのだと一目で分かるものだった。ソファーに横たわるガルヴィンは浅い呼吸を繰り返している。
目の前の光景に、私は動揺していた。
(どうして――! ガルヴィンが感染しているの……?)
彼は魔物討伐遠征に赴き、過大な功績を残した英雄だ。そんな彼が、流行り病に倒れるなんて想像もしていなかった。――病床にふせる母の記憶が蘇る。
「いやよ……」
口からこぼれた言葉。それだけ、私の中でガルヴィンの存在が大きくなっていたのだと――自覚した。誤魔化してきたはずの恋心に、もう嘘はつけないのだと悟った。
きつく唇を結び、しっかりしろと言わんばかりに両頬を叩く。
(落ち着くのよ、私……。看病の心得はあるわ)
それに加えて今日、大先生から教わった知識もある。――本当はすぐにでも大先生の所へ薬を貰いに行きたい。けれど、容体の悪いガルヴィンを残して行くのは憚られる。
瘴気による病の蔓延。それによって、魔物も活発化するかもしれない。闇夜に紛れた魔物と遭遇する可能性も捨てきれない。そうなれば、私が動けるのは早くても夜が明けてからだ。
(考えなきゃ……、どうにか……)
堂々巡りの思考。幸いにも手だけは動いた。彼の発疹への処置、浮いた汗を拭きとる。――高熱に浮かされるガルヴィンを目にして胸が痛んだ。
この状況下で思い出す。私は診療所で、患者に癒やしの祈りを捧げようとしていたのだと。ここであれば、誰の目にもつかないはずだ。そう思い至り、私は祈るようにそっと手を組んだ。
そのとき――。
「シャリア……」
私を呼ぶ声が耳に届いた。ガルヴィンだ、彼が目を覚ましたのだ。けれど、その後に続いた言葉はか細く掠れていて、それ以上は聞き取れなかった。
私は弾かれたように、彼の口元へ耳を寄せた。逸る気持ちを抑えて、なるべく穏やかに声を掛ける。
「ん? なぁに……?」
耳を傾けて、彼の言葉を待つ。ガルヴィンの口から告げられたのは――。
「俺に……癒やしの力は……使うな」
「えっ……」
私は言葉を失った。驚きの余り体を起こし、彼を見つめた。――どうして止めるのだろう。ガルヴィンの意図が分からない。きっと苦しいはずなのに。戸惑いを隠せなかった。
ガルヴィンは腕をもたげ、ゆっくり伸ばした。彼の手は私の手首に触れる。私の手は――祈るために組まれたままだ。ガルヴィンは私の祈りを妨害しようとしている。
彼は息も絶え絶えという様子にもかかわらず、必死に言葉を紡ぐ。
「も、し……聖女の力を狙う奴らに勘づかれたり、したら……また」
「で、でも! こんなに高い熱……! それに、ここは街から離れているし、きっと大丈夫――」
「いいな……?」
私の言葉を遮って、ガルヴィンは低い声で告げた。同意しか許さないとでも言うように鋭い視線が私を射抜く。
そうなれば、私の方が折れるしかない。震える唇をどうにか動かし、精一杯の笑顔を貼り付けた。
「え、ええ……分かったわ。……もう休んで」
優しく告げれば、ガルヴィンは安心したように目を閉じた。けれど、苦しそうに呻いている。
私は握られたままになっていた手を、そっと離した。
(ガルヴィンは……聖女の私じゃなくても……、こんなに大切にしてくれるのね)
心の中で呟いた言葉。その温かさはじんわりと広がって行く。
熱に浮かされながらも、ガルヴィンは私を気遣い、心配してくれていた。私の中に浮かんだのは決意。
(今度は、私が彼を助けるのよ……!)
すぐさま思考を巡らせた。
突然やってきた嵐。嵐がトリガーとなって、育ち始めた薬草。それに流行り病。それはまるで、嵐が全てを運んできたような――。
辿り着いた答えに、私は家を飛び出した。――腕に籠を抱えて。
(薬草を大先生に届けなきゃ……!)
畑へ駆け出して、暗闇の中、できる限りの薬草を摘んだ。
* * *
夜明けと共に、私は診療所を目指して駆けた。摘んだ薬草を籠いっぱいにして。
診療所に辿り着く頃にはすっかり陽が昇り、一日の始まりを告げていた。けれど、まだ診療所は閉まっている。――背に腹は代えられない。
私はけたたましい音を立てて、扉を叩いた。しかし、反応はない。大先生に怒られることを覚悟して、掛け声と共に扉をさらに強く叩いた。
「だ、大先生! これ……これを! お願いです!」
「な、なんだい……! こんな時間に!」
途端、響き渡る怒号と開いた扉。大先生だ。彼女は私の腕に抱えられた籠を目にすると、にやりと口元を上げてみせた。
「――ああ、正解に辿り着いたようだね」
そう告げると、大先生は私を診療所の中へ招いてくれた。
「流行り病の緩和には、この薬草が必要不可欠。こいつは、瘴気に耐性がある珍しい薬草なんだ」
大先生の有り難い講義。けれど、私は正解に辿り着いたことを喜ぶ余裕もなかった。焦りだけが渦巻いている。
そして――、大先生の口から告げられた言葉は無情なものだった。
「ちょうど薬を切らしたところだった」
「え……」
漏れた声は自分でも分かるほど、失意に満ちていた。手足の先が一気に冷えて、最悪の事態を理解する。
(ガルヴィンの薬が――ない!)
このままでは流行り病で、彼を失ってしまうかもしれない恐怖に襲われた。――目の前が真っ暗になりそうなくらい、血の気が引く。
そのとき――バァン、と勢いよく背中を叩かれた。私は弾かれたように思考を取り戻し、叩いた張本人を見やる。大先生だ。
彼女は頼もしい笑みを浮かべている。そして、快活に告げた。
「さぁ! 手伝いな! この隙に薬草を煎じておくんだよ」
「は、はい!」
私は慌てて、大きく返事をした。――大先生に事情を説明できないまま薬を作り続けた。今はただ、それが近道になると信じて。
そうして、ようやく目途が立ったとき。私は意を決して、声を上げた。
「あ、あの! この薬をひとつ分けていただけませんか!」
「……なんだい」
「その、実は――」
不機嫌そうに尋ねられれば、正直に話す他ない。私はガルヴィン――、同居人が流行り病に罹っていることを告げた。
すると、大先生は紙袋を手にすると、それを私に向かって突き出した。
慌てて手を出す。ポン、と渡されたのは薬袋だった。目を丸くしている私をよそに、大先生はこともなげに告げた。
「ほれ、流行り病の薬だよ。長引いたときのため、多めに持たせてやる」
「あ、ありがとうございます……! 大先生!」
「ふん。昨日の駄賃だ」
何度も礼をして、私は帰路を急いだ――。
* * *
帰り着くと、急いでガルヴィンの容体を確かめる。
「……良かった。悪化はしてない」
彼は未だ高熱に浮かされているものの、発疹の広がりは見られない。私は安堵の吐息を漏らした。今のうちに水を用意しておこうと、台所へ向かう。
すると、眠っていたはずのガルヴィンがもぞりと動いた。それから、ゆっくりと瞼が開かれる。彼は私を探すように、視線を動かしている。
「シャ、リア……?」
「起こしちゃった……? ごめんなさい。でも、ちょうどよかった」
私はそう告げて、水と薬を手に取ると彼のもとへ戻った。
「薬よ、飲める?」
「ん」
ガルヴィンは短く返事をすると、体を起こす。まだ苦しそうだ。呼吸を整え、ようやく薬を口にした。
薬を飲み終えると、再びソファーに横になる。ガルヴィンの自室まで運んであげたいけれど、私だけでは彼の体躯を支えることができない。悔しさと申し訳なさで、唇を噛んだ。
すると、彼の方が申し訳なさそうに口を開いたのだ。
「……すまない」
「ううん、違うの。この国に来てから――ううん。あの国にいた頃から、いつもあなたに頼り切っていたのは私。こんな時くらい、いいじゃない」
これは私の本心だ。恥ずかしさを隠すために、少しだけ冗談っぽく告げたことは許して欲しい。
するとガルヴィンは、しばらくの沈黙の後。ぽつり、ぽつりと語り始めた。
「俺は――君に救われた」
「な、なによ……突然」
「今度は俺が守る番だと……ずっと思って――。でも、それ以上に……君に惚れて、いる。だから…………」
動揺する私をよそに、彼は熱っぽく呟く。
「…………君を追いかけて、良かった……。離ればなれに、ならなくて……」
ガルヴィンの言葉通りだ。魔物討伐の英雄と追放された聖女。本来ならば、共に歩む未来はなかっただろう。けれど、ガルヴィンの想いと行動のおかげで今の私たちが在る。
私は――、思いを告げた。
「ええ、私もそう思うわ。だって、私も……あなたの事が好きだから」
彼が護衛騎士だった頃から、本当はそうだった。けれど、恋心を認める勇気がなくて。こうして共に生活して、ガルヴィンの心を知って――ようやく勇気を持てた。
「あなたのことを用心棒だなんて、言ってごめんなさい。私、本当は――」
そこまで言い掛けて、ふと気付く。ガルヴィンの規則正しい寝息が聞こえてきたのだ。――薬の効果が出始めたのだろうか。
「え……寝ぼけてたの? 嘘でしょ……!」
思わず、勢いに任せて叫んでしまいそうになった。けれど、ガルヴィンを起こさないよう必死に声を押し殺す。
二人で交わした告白は、ガルヴィンにとって全て夢現となっただろう――。
「こ、こんな恥ずかしいことってある……!?」
押し殺した叫びは、誰にも知られることなく消えた。




