10話 追放、そして自由への旅立ち
雑踏する馬車の乗り合い場。私の視線を釘付けにしたのは――。
「ガルヴィン様……どうして、ここに?」
戸惑いながらも浮かんだ疑問に答えはない。
ガルヴィン様は周囲を見渡すような動きをしたかと思えば――、バチリと視線がかち合った。
(えっ……!? 目が合った……? まさか、私を探して……?)
私は咄嗟にフードを深く被り直した。――裁判でガルヴィン様の善意を無駄にしたのは私だ。彼の怒りに触れたのではないだろうか、と今になって冷や汗が額に浮かぶ。
しかし、どうやら時既に遅し。彼は一直線に私のもとまで歩みを進めると、ぴたりと足を止めた。その長身がゆえに、そびえ立つ壁のように感じられる。
(お、終わった……)
これでは追放を前に、違った罪で囚われてしまいそうだ。それほどまでにガルウィン様が放つ威圧感は凄まじい。さすが魔物討伐遠征の英雄だ、と他人事のように心の中で呟いた。
すると、彼はじっと私を見つめて――ゆっくりと口を開いた。
「シャリア。君の願いを聞き、共に行こうと思う」
しばしの沈黙。
私は彼が告げた言葉を理解できず、茫然と立ち尽くす。
(んん? それはどういう意味……? 共に、行く?)
脳内で繰り返した彼の言葉を理解したとき、私の口からこぼれたのは呆気に取られた声音。
「え……? 叙勲を受けたのでは――?」
「一代限りの爵位など、あってないようなもの。君が自由を求めたように、俺も自分の道を選んだ」
彼は間髪をいれず答える。力強く、さらに言葉を続けた。
「爵位など捨てて、君と共に行きたい。それに俺はずっと君に想いを寄せていた」
私をじっと見つめる、ガルヴィン様の真剣な眼差し。私は彼の言葉に理解が追い付かず、ただ茫然と立ち尽くすしかなかった。
いくら考えても、彼に告げられた想いと行動力の極端さを理解できないでいた。
(わ、私……! 好かれるようなことをしていない……! それに、人ってもっと打算的なものじゃない!?)
そこで思考を一旦、放棄してよく見ればガルウィン様の身なりは旅装束だ。裁判のとき目にした英雄の姿ではない。それに、護衛騎士としての姿でもない。今の彼はありのままの姿で、ただの青年だ。
その事実に気付いたとき、私は弾かれたように彼を見やった。彼の瞳に映った私は、困惑と嬉しさがせめぎ合っているような――なんとも情けない顔をしていた。
ガルヴィン様は思い出を語るように、優しく話し始める。
「子供の頃。足に傷を負った俺を唯一、癒やしたのは君だった。その頃からずっと――」
「え……?」
突拍子もない言葉に、私は困惑した声を上げた。ガルヴィン様を癒やしたことなど一度もないはず。
けれど、そこでふと思い出すことがあった。いつだったか、子供の頃に見た真剣な眼差しと重なる。あれは癒やしの力が発現して間もない頃。まだ、父に売られる前の出来事だった。
足に怪我を負い、動けない男の子。――ガルヴィン様に重なる面影があった。黒髪で、真っ直ぐな視線と夜のような瞳。
(あのときの、彼の眼差しと同じ……? でも――)
慌てて首を横に振る。今、記憶を辿っている場合ではない。思考を現実に戻す。
(いや、今はそれどころじゃないわ……爵位を捨てる? 英雄としての立場も捨てて?)
ここ数分で起こった出来事を反芻する。
ガルウィン様は追放されたいと願った人間のために、ようやく手にした爵位も、名誉も捨てて着いて来るだなんて。人が決断できる範疇を超えているのではないか。
(いや、いやいや……重い! 重すぎる……!!)
いくら状況を整理しようとしても、理解が追い付かない。私は考えすぎたあまり、眩暈を覚えそうになる。
すると、ガルヴィン様はそっと口を開いた。
「シャリア。どうか、返事を聞かせて欲しい」
そう言って、手を握られた。交わした視線は外されることなく――。それは私に淡い期待を抱かせるには十分な熱を持っていた。
(薬草の収穫を手伝ってくれるガルヴィン様がいても……悪くない、かも? いや、でも! でも――)
彼に淡い想いを抱いていた私。追放されて自由を手に入れたかった私。何もかも、私にとって都合のいい状況。そこでふと思い至る。
私を送り届けた騎士は「ガルヴィン様の言いつけ」だと言っていた。情報収集した追放劇と違ったのは、ガルヴィン様は私を監視する役目を担ったのではないか。騎士は国に忠誠を誓うものだから――そんな疑念が湧いてくる。
あのときに、ふと父に売られた記憶が蘇ってしまったせいで、ガルヴィン様を疑ってしまう。そして、そんな自分が嫌になる。
しかし――、ガルヴィン様の熱い視線を受けて、今までの彼の言動が私を裏切らないと物語っているようで。
そこでふと、彼の腰につけられた装飾品に目を奪われる。あれは――。
「私が贈った香り袋……」
「ああ。君がくれた香り袋が、俺を守ってくれたんだ」
ガルヴィン様は目元を綻ばせてそう言った。その言葉に、胸が熱くなる。――ほんの少しだけ、彼と過ごす日常を想像した。
朝露に濡れた薬草を二人で摘んで。それが終われば、ゆったりとした時間の中、朝食を食べる。温かい食事と何気ない会話。
開いた診療所では、身分に関係なく癒やしの力を使う。薬草を煎じて、必要な人に分け与える。ああ、もちろん、少しだけ対価を頂いても罰はあたらないはず。そんな――、平穏な日々を。
握られた手にわずかに力が籠っていることに気付き、はっと現実に引き戻される。
私が目指す平穏な暮らしは、私だけのもののはず。意を決して、震える唇をそっと開く。
「ついて来られるなんて、困ります!!」
澄みきった大空に、私の動揺めいた叫びが響き渡った。その言葉とは裏腹に、私は顔に血が上るのを感じていた。頬が熱い。
思わず叫んだ私の言葉に、ガルヴィン様は静かに微笑む――その瞳に、優しい温かさを灯して。
乗り合い馬車は揺れる。不慣れな道中、ふと視線を目の前に向ければ――、首を傾げてみせる彼がいる。
「どうした? シャリア」
「なんでもないわ……、ガルヴィン。……か、勘違いしないでよ!? 用心棒として、あなたを雇ったんだから!」
優しい視線を受けて、私は胸の高鳴りを誤魔化すように声を荒げた。
「ひとまず、定住する場所を決めないと――」
私の追放計画は、半分成功。――願った平穏な生活は幕を開けたばかりだ。




