第十五章 東方の巫女
ソードスワード市国から、はるか東にあるデロスの国。
デロスは深い緑に囲まれた山あいに、民家がぽつりぽつりと点在する田舎の国だ。
夕暮れ時、西日を右頬に受けながら、レンズの大きな丸眼鏡をかける少女ミリィ・ボルトキエルは、この土地で最も大きな建造物の【デロス神殿】の頂上から下を眺めていた。
ミリィのえんじ色の髪は短めで、×印の髪留めをアクセントにしている。
目に映るのは山景色だけ。
デロス神殿は地上から相当高いところにある。
神殿にゆくには、地上から気が遠くなるほどの長い階段を登らなければならない。
柱で囲まれたあずまやに、十歳くらいの幼女がゴザの上に坐っている。
えんじ色の髪をツインテールに結んだ幼女は、あずまやの隅で炊かれる香炉の煙に巻かれて、うつろな目をしている。
その幼女は、デロス神殿の巫女、ダル・メイサ・ボルトキエルである。
「メ・イ・サ、そろそろ家に戻ろうか」
ミリィはハスキーな声をかける。
「うん……」
ミリィに呼ばれても、幼女の意識はもうろうとしている。
巫女装束として身にまとっている、白色の振袖の着物の重さにつられて、両肩が露わになっている。
「メイサ、そんな格好、誰かに見られたらまずいよ」
ミリィは香炉の火を消して、備えつけのうちわで彼女の顔を扇ぎ、新鮮な空気を送った。
「うん……、あっ、ミリィ」
幼女はミリィを認識し、茶色い光彩のつぶらな瞳をしばたたかせる。
ミリィは、憐れみと慈しみをもって、幼女の頭を撫でた。
そして、えんじ色のツインテールに指を入れてなめらかな髪を何度もすいた。
「ミリィよ。汝に神託を下す」
ダル・メイサは神妙な声色になった。
「!」
「手を洗ったかや? 汚い手でわらわの髪を触るでない……」
「やなこったね」
ミリィはメイサのツインテールをもみくちゃにした。
「こっこら、精霊の神託であるぞー」
ダル・メイサはミリィの体をポカポカ叩く。
「いまは精霊が降りてきてないでしょ、メイサ」
「ちい、やっぱり、わかるかあ」
二人は笑った。
ミリィは、巫女装束の着くずれを直してやった。
下半身のたけの短い袴の色は藍色だった。
藍色、トライアード教のカラー。
「ああ、やだ。えんじ色にしたいな」
すこしいらだたしげにミリィはつぶやいた。
ミリィはオレンジ色のジャケットにノーネクタイの白シャツ姿だ。
ミリィはトライアード教からデロス神殿を任されているが、藍色を身につけようとしない。
「今日のお告げを受けに来たのは三人だったねー」
「おつかれ」
ダル・メイサは、香炉の煙に巻かれたなかで、精霊の神託という名の言葉を紡ぐ。
その言葉は、あきらかに彼女が語るものではない。
彼女は【精霊】という人格となって言葉を発する。
「自分で何をしゃべったのか、思い出せないんだよねー」
そうダル・メイサは言う。
彼女は、精霊が憑依する体質のようなのだ。
しかし、必ず精霊が降りてくるわけではない。最近、ダル・メイサはめっきり素のままだ。
「今日も精霊は降りてこなかったなあ。神託を仰ぎに来た連中の相談内容は、商売と、恋愛と、家庭についてのありきたりだったし」
それでも、幼いメイサがそれに答えるのは難しい。
煙のなかで、ミリィは、仰々(ぎょうぎょう)しいセリフをメイサに小声で伝えて、メイサは神託を下す。
ミリィとダル・メイサは、廃れたデロスの国の神殿で、巫女の稼業をやっている姉妹である。
この行いを初めて三年目。
まだ、ミリィは妹の性質に半信半疑だ。
精霊なんて本当にいるのだろうか。
(あの言葉は、誰が発しているだろう、メイサの深層意識からでているのかもしれない。けれども、降りてきた精霊の言葉は、メイサや私の知識経験をはるかに上まわっている)
ともかく、彼女の肉体と精神に良くない行為であるのは確かだった。
「明日からしばらくお休みしよう。うちに帰ろう」
「うーん、どうだろ、遠くから神託を受けに来る人はぼちぼちいるよ」
一応、巫女としてプロ意識があるダル・メイサだった。
「いいよ。明日は休もう。しばらく、煙じゃなくて、いい空気を吸って、おいしいものを食べようよ」
「じゃあ、神殿にしばらく来なくてすむね」
巫女服のダル・メイサは背伸びした。
幼いながら、相当疲れがたまっているようだ。
「さあ、もうじき日が暮れる。帰ろう」
ミリィはダル・メイサを抱きかかえようとする。
「ミリィ、大丈夫だよ。メイサはね、自分で降りられるよ」
「そう」
残念な顔をしてミリィは彼女を下ろす。
小さな体のダル・メイサは、おぼつかない足取りで長い階段を下った。
「あっ」
途中でダル・メイサのえんじ色のツインテールがふらついた。
ミリィは彼女を抱きとめた。
「あぶない」
「疲れているのかな~」
彼女は苦しそうに数回咳をした。
地上近くになれば、神殿で炊かれる香炉の煙もなく、山に囲まれたきれいな自然の空気になっているはずだ。
ダル・メイサの体はむしろあの香炉の煙に慣れていた。
その煙に巻かれているほうが、かえって具合がいいくらいだった。
「ねえ、ミリィ? 夕ご飯はあれ?」
「もちろん。スウプカレー、骨付きチキンのやつ」
「やったー」
「メイサは、スウプカレーが好きだな」
「メイサはね~、鳥の骨を持って、がつがつ食べるのが楽しい。ぐつぐつ煮込んでいるから食べやすいよね。ミリィは料理が上手だね」
「異教徒の国に旅行に行ったときに、料理の腕を磨いたのさ。鍋に何本も鳥足を煮込んであるよ」
二人はすこし歳が離れている。彼女たちは仲良く手を繋いで家へ帰った。
・・・・・・・
好物の骨付きチキンのスウプカレーを堪能したあと、ダル・メイサはソファの上ですやすやと眠った。
皿には鳥足の骨が三本あった。
(メイサ。満足そうな顔をしているね。よく食べたなあ、そんなにおいしかった? ああ、メイサをこのまま巫女にしておいていいのだろうか。精霊の寄り代なんて、ふつうじゃない。けれども、巫女としてのメイサの神託は評判がいいらしい。煙のなかで、人が変わったように、参拝者の身の上相談にきっぱりと答えるメイサ。あれは一種の才能だ。私も巫女を目指したけどなれなかった)
ミリィはダル・メイサの寝顔に見入っていると、彼女は苦しそうに咳を始めた。
「は、発作か、待ってて」
ミリィは、神殿のてっぺんで炊いているあの香の欠片に火をつけた。
ダル・メイサの呼吸は次第に楽になっていった。
そして、ふたたび安らかな寝息をたてはじめる。
「この煙に、すっかりメイサが慣れてしまっている……。とくべつな薬効なんてないんだけどね」
そのとき、家の扉から乱暴なノックが鳴った。




