第十六章 ガチっすよ、メイサちゃんは
「誰?」
ミリィ・ボルトキエルは、眼鏡の奥の瞳を凍らせて、鍵を頑丈にかけた扉の内から相手をうかがった。
「アネキ、あっしです」
「なんだ」
ミリィの見知った声だった。
扉の先には、ダークブラウンの髪をポニーテールでアップした少女が、ぎこちない愛想笑いを浮かべて立っていた。
十代のスリムな体型で、小顔の整った顔立ちだが、垢にまみれて黄色い顔をしている。
「アネキたち、今晩は神殿に泊まらず帰ってきたんすか。一宿一飯をいただけませんかねえ。へへへ」
アップポニテの少女は、藍色の丈の短いジャケットに白い開襟シャツを着ている。氷のような冷たい視線を送るミリィから許しを請うように、笑顔を必死でつくっている。
「一宿一飯? おまえ、すでに何泊もしているだろ。おまえ、格好がきったねーな。服がぼろぼろじゃないか。カレーの匂いに釣られてきたのか?」
ミリィの問いに、少女はうんうんとうなずく。
彼女の名前は、ブリジット・アンリ・パティ。
西方のソードスワード出身でトライアード教・福音調査団に属していた。
「アネキ、へへっ、おみやげも用意していますよ」
ブリジット・アンリ・パティは、背中に隠し持っていたカモ二匹を両手に持って見せた。
「ぎゃっ、びっくりしたー。夜分に驚かすなよ。メイサも寝ているんだからさ」
ミリィは胸に手を当てて、ひと呼吸する。
ブリジットは、ロングボウや短剣使い手で、カモやキジのほか、鹿狩りもできる技量がある。
「これと交換でお風呂借りていいすか?」
「鳥は羽をむしって肉にしてから持ってきてよ。それじゃないと料理できないよ」
「へへ、アネキは随分とヤワだなあ。神殿住まいだからっすか? へへへっ」
ブリジットはまだ、への字の口のぎこちない笑顔だ。
「いいから、入れ」
ミリィは少女を家に入れた。
ミリィとメイサの家は、丸太小屋でできた小さなものだ。食堂と寝室のほか、浴室がいちおう備わっている。
いっぽう、デロス神殿は、豪奢な寝室、休憩室と、ボルトキエル姉妹の食事から何まで面倒をみてくれる女官付きだ。
「ダル・メイサちゃんは、ガチものの巫女ですからね。ほんとうガチですよ」
テーブルの上に出されたスウプカレーをすすり、鳥足にかぶりつきながらブリジットは言った。
「おまえら、福音調査団が、精霊憑きのダル・メイサを聖人と認定したから、デロス神殿にいなきゃないけないハメになったんだ」
ミリィは眼鏡を布で拭きながら、不満をもらした。
「そのとき、あっしは団員としてデロスに来ましたが、それから三年、あっしはここに居着いている、ただの狩人っす。たまに教会にパンをもらいに寄ったりしているっす」
「お前、変人だな」
「ガチな巫女ほどじゃないすっよ。奇跡なんて信じてませんでしたからね」
福音調査団は、『超人的な力を持つ者』を探し出し、ほか、『超自然現象』を聞き集め、それが神の恩寵によるものかを現地に赴いて調査する。厳格な審査の結果、それぞれを『聖人』、『奇跡』と認定し、崇敬の対象にして、トライアード教を強化する。
精霊憑きの現象をみせるようになったダル・メイサは、デロスにやって来た福音調査団の審査を受け、『東方の巫女』の称号を得て、若干七歳にして聖人と認定された。
それから、姉のミリィはデロス神殿でメイサの補佐を任されるようになった。
デロス神殿は、大昔に神器を持つ勇者が天啓の門を出現させて、その門を開いたと言い伝えられている場所だ。
別の見方をすれば、トライアード教団は、ボルトキエル姉妹を通じて、デロスでの勢力を保持しようとしているので、ミリィは、教団を快く思っていない。
「お前は、十四歳くらいで団員になっていたよなあ。いまは、十七か。それでもわたしより若いな。前々から、クロスボウの腕はあったよな」
「あっしは、どっちかというと武力を買われてましたからね」
ブリジットはさりげなく空になった皿を差し出しておかわりをねだった。
「まったく、帰る家はないのか?」
「へへ。ないっす。山の掘っ立て小屋にひとりで住んでます。もう、調査団とはぐれたし、故郷に戻るつもりもありませんよ。お互い様じゃないですかあ?」
アップポニテの少女はすこし真面目な顔をした。
少女の表情変化に、ミリィは反応した。
「うっ、確かに、わたしたち姉妹は両親を病で亡くしている。もし、ダル・メイサに精霊憑きの体質がなければ、あてのない貧しい生活をしてただろうな」
「でしょでしょ、あっしたちは助け合わなきゃいけないんすよ」
「わかった。わかった。とりあえず藍色のジャケットは脱げ。オレンジ色のジャケットと、白シャツに着替えろ」
藍色の衣服を身にまとうことは、トライアードの人間であると自ら申告することだ。
それは、ミリィにとって屈辱なのだ。
「それから、早く風呂に入れ。お前の顔、垢まみれで、きったねーんだ」
ミリィはそう吐き捨てながら、身なりを整えたら相当の美人であるブリジット・アンリ・パティを羨ましく思っていた。
ミリィ・ボルトキエルの眼鏡の奥の涼しい眼とハスキーボイスは、それはそれで魅力がある。
「へへ。世話になるっす」
したり顔になるブリジットの目的は風呂だったのか。
「お前の世話ばっかりしているな」
「だから、お互い様でしょ。鹿でもなんでも狩ってきますってば。あっしの武力が必要になりそうなんですよ。どうやら」
「本当か」
その時、ミリィとブリジットが対面するテーブル席に、ソファで寝ていたダル・メイサがいつのまにか座っていた。
「メイサ、起きたのか」
メイサは半分眠って、ツインテールを左右にゆらゆらさせている。
『勇者が出現した。剣と、知恵の輪の勇者が二人現れた。天啓の指輪を持つ者もデロスの地に参じるであろう』
ふだんと変わらない、幼い声。
「きゃはっ、いまのセリフ、精霊の? ガチ。ガチっすよ、メイサちゃんは」
ブリジットは嬌声をあげて手を叩いた。
「メイサしっかりしろ」
ミリィはメイサの肩を揺さぶった。
「うん……、ちょっと、眠ったかな……、あっ、パティだ。遊びに来たの?」
機嫌よくメイサは、ブリジットに抱きついた。
「へへっ、あっしが伝えるべきこと、メイサちゃんが先に言ってしまいました。教会の鐘が鳴っていたでしょ。勇者が出現したそうで、デロスにいろんなやつがやってきそうですよ」
「本当か。教会からそれを告げるように、言伝を持っておまえは来たのか」
「まあ、そうっす」
「勇者って、天啓の門を開きにくるんだろ」
「まあ、そうっす」
「東方の巫女はどうなるんだ」
「どうなんでしょうね。あっしが守りますよ。こう見えても、武力には自信ありますからね」
いままで、デロス神殿を預かっているが、これからトライアード教団が干渉してくるだろうとミリィは嫌な予感がした。
ダル・メイサが教団によって担ぎ出されたならば、同じくメイサは教団の一存によってどうとでもなってしまう。
「パティ、お風呂入れば? くさいよう」
「ええええ、まじっすか」
「お湯は沸かしているぞ」
「じゃあ一番風呂を頂戴いたしますー」
この小さい家の隅々を知っているブリジット・アンリ・パティは浴室に向かった。
アップポニテをほどき、 ダークブラウンの髪を下ろした姿は美しいに違いない。
「垢をこすったら美人だからな。あの変人」
ミリィは舌打ちした。
勇者が現れても、デロスが平和でありますように。




