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第8話「誰にも言えない、二人の秘密」

第8話「誰にも言えない、二人の秘密」



「では、これは取引です」


わたしは令嬢の顔でそう切り出した。


心臓は取引なんて言葉とは程遠い速さで打っていたけれど。


敵国の皇子と秘密の協力関係を結ぶ。


——もし露見すれば、わたしの命はないだろう。


---


礼拝堂の跡で、わたしたちは向かい合っていた。


「わたしは、自国の内側にいる『火をつけようとしている者』の正体を追っています。あなたは、自国の中で戦を望む者を止めたい。目的は戦争を起こさせないこと。同じです。なら、情報を交換しましょう」


わたしは指を一本立てた。


説明するときの昔からの癖だ。


「あなたは帝国側で起きることを。わたしは王国側で起きることを」


エリアスは腕を組んで聞いていた。


わたしの言葉の一つ一つを検分するように。


「なぜ、わたしを信じられる」彼が、低く問う。「お前が掴んだ火種を、わたしが利用しないと、どうして言える。敵に手の内を明かすのは愚かだ」


(……出た。慎重な人。嫌いじゃない、その警戒心)


「言えません。だから全部は明かしません」


わたしは、まっすぐ彼を見返した。


「あなたも、帝国側で掴んでいることを全部は話さないでしょう? お互い、切れるカードから、少しずつ。信頼は、一度に渡すものじゃなくて積み上げるもの。——危なっかしい綱渡りですけど、それが現実的だと思いません?」


エリアスは、しばらく黙っていた。


それから、ふっと、息を吐くように言った。


「……お前は令嬢らしくないな」


「よく言われます」


「褒めている」


さらりと、彼は言った。


(不意打ち、やめてください。心臓に悪い。——いえ、悪いのはわたしの心の方かもしれない)


わたしは咳払いで動揺を隠した。


「ただし、条件があります。この関係は誰にも知られてはなりません。あなたにとっても、わたしにとっても」


「分かっている」


エリアスの声が、低くなった。


「ライエルの公爵令嬢が敵国の皇子と通じている。


それが知れれば、お前は——」


彼は、そこで言葉を止めた。


言えなかったのだ。


「お前は処刑される」と。


わたしのことを、心配して。


その沈黙が、どんな言葉よりも雄弁だった。


---


「殿下」


わたしは少しだけ笑ってみせた。


怖がっていることを悟られないように。


「わたしは最悪を想定するのが得意なんです。露見すれば破滅。それは最初から織り込み済みです」


「織り込み済み、か」


エリアスが、ふっと息を吐いた。


それは、わたしが初めて見る、彼の笑みに近い表情だった。


ほんの少し口元が緩んだだけの。


けれど、その「ほんの少し」に、わたしの胸は、ぎゅっと締めつけられた。


(反則。冷酷なんて嘘じゃないですか。……誰にも見せたくない。わたしだけが知っていたい)


そう思った瞬間、自分の独占欲にぎょっとした。


---


別れ際。


連絡の手段を決めた。


ヤコブの商隊とエリアスの従者を介して、密書を交わすこと。


「従者の名はノエルという」エリアスが言った。「飄々とした男だが口は固い。信用していい」


「ノエル、ですね。覚えました」


ノエル。


飄々とした従者。


この秘密の橋を往復する仲介人。


今はまだ顔も知らないけど、じきに会う時が来るだろう。


わたしは頷いて、踵を返そうとした。


その時。


「ヴィオラ嬢」


初めて彼がわたしを名で呼んだ。


公爵令嬢でも、アッカーマン家でもなく。


ヴィオラ、と。


倉庫街では「お前」と突き放したその口が、今は、わたしの名前を確かめるように呼んだ。


振り返ると、エリアスがまっすぐにわたしを見ていた。


月光の中で、琥珀の瞳が静かに揺れていた。


「敵同士だ。それは変わらない」


「……はい」


「だが」


彼は、一拍置いた。


「お前を危険な目には遭わせない。それだけは約束する」


言葉は短かった。


けれど、その短さの中に彼のすべてが詰まっていた。


(……ああ、もう。だめだ。この人の「約束する」は、ロデリック様の千の甘言より、ずっと重くて甘い)


胸が、痛いくらいに熱かった。


これが、人を好きになっていくという感情なのかもしれない。


だが、恋ではない。


認めてはいけない。


敵国の皇子。


婚約者持ちのわたし。


滅びゆく国。


三重の壁に囲まれた、この想いは、絶対に誰にも言えない。


たとえ恋だとしても、私は認めない。


——皮肉なものだ。


この初めての感情をくれた人物が、敵国の皇子だなんて。


それなのに。


「殿下も。どうか、ご無事で。……望まぬ戦を止める、その日まで」


エリアスが目を見開いた。


そして、ゆっくりと頷いた。


---


礼拝堂を出ると夜風が頬を撫でた。


冷たいはずなのに、わたしの頬は熱を持ったままだった。


ヤコブが商隊の陰で待っていた。


にやにやしながら。


「お嬢様。ずいぶんと長いお話でしたねえ」


「……仕事の話です」


「へえ。仕事の話で、そんなに頬を染めるんですかい」


「ヤコブ」


「へいへい、何も見てませんよ。何も聞いちゃいません。商人ってのは、見ないふりと聞かないふりで、飯を食ってるもんで」


その軽口に少しだけ救われる。


せめてこの男くらいは、茶化してくれた方がいい。


生真面目に「危険です」と諫められたら、わたしは今夜、決意が揺らいでしまいそうだったから。


「……それより、ヤコブ。今夜のこと、皇子のことは他言無用ですからね」


「それはもちろんです。俺の命とプライドに賭けても口外しませんよ」


「お願いね。これからは、もっと慎重に。わたしたちの命が、あなたの口の固さにかかってるの」


軽口を叩きながら内心では震えていた。


今日のことが誰かに知れたら——それだけで、わたしの首は飛ぶ。


文字通りに。


わたしは夜空を見上げた。


二人だけの秘密が、今夜始まった。


敵国の皇子との、誰にも言えない協力関係。


露見すれば、破滅。


——けれど。


彼に会える口実ができてしまった。


それが、いちばん危ないことだと、本当は分かっていた。


会えば会うほど引き返せなくなる。


露見の危険は会うたびに膨らんでいく。


なのに、わたしの胸は、次に会える日を指折り数え始めている。


(怖い。本当に、怖いのに。——どうして、こんなに会いたいんだろう)


怖いと会いたいが、胸の中で同じ大きさで殴り合っている。


震えているのか、高鳴っているのか、自分でも区別がつかない。


たぶん両方だ。


ふと、別れ際の彼の横顔がよぎる。


「望まぬ戦を望む者が、すぐ近くにいる」と言ったときの、あの翳り。


彼のすぐ近くには彼を縛る誰かがいる。


血のつながりか、立場か——あるいは。


(……彼の隣には、わたしの知らない世界がある)


そう思った瞬間、胸の奥が、ちりっと焦げた。


なぜ、彼の「すぐ近く」に、わたしは妬くような気持ちを覚えるのだろう。


彼が誰に縛られ、誰に囲まれて生きているのか。


知らないことの一つ一つが、小さな棘になって刺さる。


(……この気持ちには、名前をつけたくない)


つけてしまったら、もう後戻りできない気がした。


冬至の大舞踏会まで、十ヶ月。


砂時計は、相変わらず落ち続けている。


それでも、わたしの世界は、昨日までと、もう違っていた。


禁断の秘密を抱えて、わたしの戦いが、同時に始まる。


——次に密書が届くのは、いつだろう。


そんなことばかり、考えてしまう自分が少しだけ嫌で。


少しだけ愛おしかった。


本日の投稿は終了となります。

次の投稿は8/12の12:40となっておりますm(__)m

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