↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
29/32

第29話「断罪する側とされる側が入れ替わる夜」

第29話「断罪する側とされる側が入れ替わる夜」



「アッカーマン公爵令嬢ヴィオラ! 貴様はフローラ嬢を妬み、再三にわたり害そうとした! この婚約は破棄する!」


王宮の大広間に、ロデリックの芝居がかった声が響き渡った。


冬至の大舞踏会。


シャンデリアの光。


詰めかけた貴族たち。


原作で、何度も見た場面だった。


悪役令嬢が、衆人環視の中で断罪される、あの夜。


(……ようやく、来たわね。婚約破棄。喜んでお受けします――と言いたいところだけど)


問題はそこじゃない。


壁際で、宰相オスヴァルトが、満足げにこの茶番を見ている。


彼にとって、この断罪劇は、ただの婚約破棄ではない。


「悪役令嬢を裁くライエルの正義」を演出する、開戦世論の号砲だ。


今朝、その号砲のもう半分——偽旗が、もう不発になっていることを、この人はまだ知らない。


---


わたしは、令嬢の礼を執った。


震える膝で、それでも背筋を伸ばして。


朝のミューレンから、荷車で半日。


泥のついた裾を、控えの間で着替える間も惜しんで、わたしはこの広間へ駆け込んできた。


普通なら、断罪される側が、自ら断罪の場へ駆けつけたりはしない。


(でも、いいの。わたしは、断罪されに来たんじゃない)


シャンデリアの光が、わたしが前世を思い出したあの夜と、同じように目に刺さる。


あのときのわたしは、この光の下で、亡国の結末を思い出して、震えていた。


今は震えていない。


膝は笑っているけれど、背筋だけはまっすぐだ。


「ロデリック様。一つだけ伺ってもよろしいですか」


静かに、わたしは問うた。


「——証拠は?」


広間がざわついた。


俯いて泣き崩れるはずの悪役令嬢が、顔を上げて、証拠を求めた。


その想定外に、ロデリックの頬が引きつる。


「しょ、証拠だと? フローラ嬢を階段で突き落とそうとし、ドレスを汚し、再三にわたり——」


「階段の件は、突き落とそうとしたのではなく、よろけたフローラ様を、わたしが支えた場面ですわ。汚れたドレスも、わたしが替えのドレスを手配いたしました。——その場にいた侍女たちにお確かめください」


ロデリックが並べ立てる「いじめの証言」は、すべて、わたしが事前に先回りして潰してきた、フローラ救出の場面だった。


証言が、一つも成立しない。


(断罪劇のシナリオ、わたし前世で何周も読んだのよ。台本を知ってる役者に、アドリブで勝てると思った? ――こっちは、証拠という名の議事録を、半年かけて全部とってあるの)


そのとき、人垣の中から、栗色の髪の少女が進み出た。


フローラ・ベルク。


原作のヒロイン。


わたしが妬み、いじめ、身を滅ぼすはずだった、相手。


「……お待ちください」


震える声で、けれど、まっすぐに。


彼女は、衆人環視の真ん中へ、自分の足で歩み出た。


純真なこの子にとって、それがどれほど怖いことか。


膝が震えているのが、ここからでも見える。


「ヴィオラ様は、わたしを害そうとなさったことなど、一度もありません。わたしが階段でよろけたとき、支えてくださったのも。ドレスを汚してしまったとき、替えを手配してくださったのも。——いつも、助けてくださったのは、ヴィオラ様です」


「フ、フローラ嬢、君は脅されて……!」


「脅されてなど、おりません」


か細い声が、けれど、はっきりと、ロデリックの言葉を遮った。


「わたし、ずっと不思議でした。なぜ、ヴィオラ様が悪い方だと、皆さんが言うのか。だって、わたしが知っているヴィオラ様は、誰よりもお優しい方でしたから」


広間がどよめいた。


利用されるはずだった「清純の象徴」が、その清純さで、断罪劇を逆回転させ始めていた。


(……フローラ様。あなたが、いちばん怖い場所に、いちばん勇気をくれた)


宰相派は、この子の清純さを、戦争の旗印にしようとしていた。


けれど、その清純さは今、まったく逆の方向へ——真実の側へ、回り始めている。


---


「フローラ様。ありがとう」


わたしは、彼女に小さく頷いて、それから、広間全体を見渡した。


「では、こちらからも、お話しいたします。——証拠と、ともに」


人垣の後ろから、目の下に隈のある若い文官が、革の鞄を抱えて進み出る。


ベルント・フォス。


今朝、国境から駆け戻ったばかりの。


「ベルント様。読み上げてください」


ベルントが帳簿の原本を開いた。


「軍需の架空発注。実体のない武具の調達名目で、計上された差額——金貨、四千二百枚」


広間が、しんと静まった。


金貨四千二百枚。


平民の月収が、銀貨にして八枚から十二枚。


金貨に換算すれば、おおよそ十分の一。


四千二百枚という数字が、どれほど桁外れの金額か、その場の誰もが息を呑んで理解した。


「この四千二百枚の差額は、複数の名義を経由して、最終的にある先へ流れています。——傭兵団への支払いです」


ベルントが、支払いの経路を一点ずつ示していく。


早口で、けれど、一切よどみなく。


目の下に隈を作りながら、たった一人で、この帳簿を抱え続けてきた男だ。


投獄されても、原本と写しを五か所に隠して守り抜いた。


その執念が、今、報われようとしている。


「武具の発注先とされる商会は実体がありません。受け取った武具の記録もありません。発注だけが、紙の上に存在する。——架空です。最初から、金を抜くためだけに、立てられた発注です」


(数字は嘘をつかない。でも、誰かが嘘の数字を書く。あの日、ベルント様が言った通りだった)


そしてわたしは、今朝ミューレンで確保した、もう一つの証拠を広間に投げ込んだ。


「その傭兵団が、今朝、国境の村ミューレンで何をしようとしたか。——帝国の軍装を着て、ライエルの村に火を放とうとしました。けれど、未遂に終わりました。捕えた傭兵の肩には、ライエル傭兵ギルドの焼印が」


ロデリックの顔から、血の気が、音を立てて引いていく。


「父上が……傭兵を、雇った……? 偽旗を……?」


呆然と、彼が呟いた。


その目が、広間の壁際にいる宰相を、すがるように探す。


(……今、ようやく気づいたのね。自分が父の駒で、しかも一番先に切り捨てられる駒だったって)


彼は薄々、知っていたのだ。


「断罪すれば開戦世論が動く」程度のことは。


婚約破棄の劇に、何か裏があることくらいは。


けれど、知らなかった。


自分が、その筋書きの中で、最初に使い捨てられる札だったということだけは。


断罪劇が失敗すれば、真っ先に責めを負わされ、切り捨てられるのが、自分だということだけは。


(気の毒には……ならないわ。あなたはわたしが伝えたことに耳をふさいだ。フローラ様、というわかりやすい逃げ道に溺れていただけ)


宰相の直接の署名は、どこにもない。


あの人は、そんなものを残さない。


でも、いい。


傭兵ギルドの刻印。


実行犯の証言。


横領された金の流れ。


——状況証拠と、証人と、金。


逃げ場のない外堀を、一つずつ埋めていく。


---


断罪する側とされる側が、この夜、入れ替わった。


広間の貴族たちの視線が、ロデリックから、壁際の宰相へと、ゆっくり移っていく。


けれど、宰相オスヴァルトだけは、顔色一つ変えなかった。


彼はゆっくりと、人垣を割って、前に進み出た。


慇懃な、冷たい微笑みを浮かべて。


「——実に、面白い茶番ですな、アッカーマン公爵令嬢」


低く、滑らかな声。


「だが、令嬢一人の証拠ごっこで、国家がどう動くと、お思いか? 帳簿の差額? 傭兵の戯言? そのようなものは、いくらでも書き換えられる。——証拠とは、誰が握っているかで、意味が変わるものです」


この男は、たじろがない。


広間中の視線が自分に集まっても、眉一つ動かさない。


冷静沈着で、有能な悪。


その評判は本物だった。


(……強いわね、本当に。証拠を積まれても、平然と「書き換えられる」と言ってのける。普通の悪党なら、ここで顔色を変える。この人は変えない)


ふと、わたしは思い出していた。


彼が、なぜ、わたしをこれまで生かしておいたのか。


殺すより、断罪に使う方が、価値が高かったから。


悪役令嬢を生贄に「ライエルの正義」を演出し、開戦世論の号砲にするつもりだったから。


公爵令嬢に露骨に手を出せば、中立貴族が一斉に離反するから。


——全部、合理だった。


冷たいほどの、計算ずくの合理。


だから、わたしは。


彼の合理を、彼の合理で、上回るしかなかった。


外堀は埋めた。


けれど、本丸はまだ揺るがない。


黒幕の身柄も、権力も、まだ、この男の手の中にある。


証拠を並べただけでは、彼は倒れない。


それは、最初から、分かっていた。


(……ここからが、本番ね)


わたしは、宰相の冷たい瞳をまっすぐに見返した。


本当の対決はここから始まる。


わたしの一年間をあなたにぶつける。


エリアスが間に合わなくても。


——わたしは刺し違えてでもあなたを倒す。


本日の投稿は終了となります。

次の投稿は9/10の12:40となっておりますm(__)m

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。