第29話「断罪する側とされる側が入れ替わる夜」
第29話「断罪する側とされる側が入れ替わる夜」
「アッカーマン公爵令嬢ヴィオラ! 貴様はフローラ嬢を妬み、再三にわたり害そうとした! この婚約は破棄する!」
王宮の大広間に、ロデリックの芝居がかった声が響き渡った。
冬至の大舞踏会。
シャンデリアの光。
詰めかけた貴族たち。
原作で、何度も見た場面だった。
悪役令嬢が、衆人環視の中で断罪される、あの夜。
(……ようやく、来たわね。婚約破棄。喜んでお受けします――と言いたいところだけど)
問題はそこじゃない。
壁際で、宰相オスヴァルトが、満足げにこの茶番を見ている。
彼にとって、この断罪劇は、ただの婚約破棄ではない。
「悪役令嬢を裁くライエルの正義」を演出する、開戦世論の号砲だ。
今朝、その号砲のもう半分——偽旗が、もう不発になっていることを、この人はまだ知らない。
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わたしは、令嬢の礼を執った。
震える膝で、それでも背筋を伸ばして。
朝のミューレンから、荷車で半日。
泥のついた裾を、控えの間で着替える間も惜しんで、わたしはこの広間へ駆け込んできた。
普通なら、断罪される側が、自ら断罪の場へ駆けつけたりはしない。
(でも、いいの。わたしは、断罪されに来たんじゃない)
シャンデリアの光が、わたしが前世を思い出したあの夜と、同じように目に刺さる。
あのときのわたしは、この光の下で、亡国の結末を思い出して、震えていた。
今は震えていない。
膝は笑っているけれど、背筋だけはまっすぐだ。
「ロデリック様。一つだけ伺ってもよろしいですか」
静かに、わたしは問うた。
「——証拠は?」
広間がざわついた。
俯いて泣き崩れるはずの悪役令嬢が、顔を上げて、証拠を求めた。
その想定外に、ロデリックの頬が引きつる。
「しょ、証拠だと? フローラ嬢を階段で突き落とそうとし、ドレスを汚し、再三にわたり——」
「階段の件は、突き落とそうとしたのではなく、よろけたフローラ様を、わたしが支えた場面ですわ。汚れたドレスも、わたしが替えのドレスを手配いたしました。——その場にいた侍女たちにお確かめください」
ロデリックが並べ立てる「いじめの証言」は、すべて、わたしが事前に先回りして潰してきた、フローラ救出の場面だった。
証言が、一つも成立しない。
(断罪劇のシナリオ、わたし前世で何周も読んだのよ。台本を知ってる役者に、アドリブで勝てると思った? ――こっちは、証拠という名の議事録を、半年かけて全部とってあるの)
そのとき、人垣の中から、栗色の髪の少女が進み出た。
フローラ・ベルク。
原作のヒロイン。
わたしが妬み、いじめ、身を滅ぼすはずだった、相手。
「……お待ちください」
震える声で、けれど、まっすぐに。
彼女は、衆人環視の真ん中へ、自分の足で歩み出た。
純真なこの子にとって、それがどれほど怖いことか。
膝が震えているのが、ここからでも見える。
「ヴィオラ様は、わたしを害そうとなさったことなど、一度もありません。わたしが階段でよろけたとき、支えてくださったのも。ドレスを汚してしまったとき、替えを手配してくださったのも。——いつも、助けてくださったのは、ヴィオラ様です」
「フ、フローラ嬢、君は脅されて……!」
「脅されてなど、おりません」
か細い声が、けれど、はっきりと、ロデリックの言葉を遮った。
「わたし、ずっと不思議でした。なぜ、ヴィオラ様が悪い方だと、皆さんが言うのか。だって、わたしが知っているヴィオラ様は、誰よりもお優しい方でしたから」
広間がどよめいた。
利用されるはずだった「清純の象徴」が、その清純さで、断罪劇を逆回転させ始めていた。
(……フローラ様。あなたが、いちばん怖い場所に、いちばん勇気をくれた)
宰相派は、この子の清純さを、戦争の旗印にしようとしていた。
けれど、その清純さは今、まったく逆の方向へ——真実の側へ、回り始めている。
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「フローラ様。ありがとう」
わたしは、彼女に小さく頷いて、それから、広間全体を見渡した。
「では、こちらからも、お話しいたします。——証拠と、ともに」
人垣の後ろから、目の下に隈のある若い文官が、革の鞄を抱えて進み出る。
ベルント・フォス。
今朝、国境から駆け戻ったばかりの。
「ベルント様。読み上げてください」
ベルントが帳簿の原本を開いた。
「軍需の架空発注。実体のない武具の調達名目で、計上された差額——金貨、四千二百枚」
広間が、しんと静まった。
金貨四千二百枚。
平民の月収が、銀貨にして八枚から十二枚。
金貨に換算すれば、おおよそ十分の一。
四千二百枚という数字が、どれほど桁外れの金額か、その場の誰もが息を呑んで理解した。
「この四千二百枚の差額は、複数の名義を経由して、最終的にある先へ流れています。——傭兵団への支払いです」
ベルントが、支払いの経路を一点ずつ示していく。
早口で、けれど、一切よどみなく。
目の下に隈を作りながら、たった一人で、この帳簿を抱え続けてきた男だ。
投獄されても、原本と写しを五か所に隠して守り抜いた。
その執念が、今、報われようとしている。
「武具の発注先とされる商会は実体がありません。受け取った武具の記録もありません。発注だけが、紙の上に存在する。——架空です。最初から、金を抜くためだけに、立てられた発注です」
(数字は嘘をつかない。でも、誰かが嘘の数字を書く。あの日、ベルント様が言った通りだった)
そしてわたしは、今朝ミューレンで確保した、もう一つの証拠を広間に投げ込んだ。
「その傭兵団が、今朝、国境の村ミューレンで何をしようとしたか。——帝国の軍装を着て、ライエルの村に火を放とうとしました。けれど、未遂に終わりました。捕えた傭兵の肩には、ライエル傭兵ギルドの焼印が」
ロデリックの顔から、血の気が、音を立てて引いていく。
「父上が……傭兵を、雇った……? 偽旗を……?」
呆然と、彼が呟いた。
その目が、広間の壁際にいる宰相を、すがるように探す。
(……今、ようやく気づいたのね。自分が父の駒で、しかも一番先に切り捨てられる駒だったって)
彼は薄々、知っていたのだ。
「断罪すれば開戦世論が動く」程度のことは。
婚約破棄の劇に、何か裏があることくらいは。
けれど、知らなかった。
自分が、その筋書きの中で、最初に使い捨てられる札だったということだけは。
断罪劇が失敗すれば、真っ先に責めを負わされ、切り捨てられるのが、自分だということだけは。
(気の毒には……ならないわ。あなたはわたしが伝えたことに耳をふさいだ。フローラ様、というわかりやすい逃げ道に溺れていただけ)
宰相の直接の署名は、どこにもない。
あの人は、そんなものを残さない。
でも、いい。
傭兵ギルドの刻印。
実行犯の証言。
横領された金の流れ。
——状況証拠と、証人と、金。
逃げ場のない外堀を、一つずつ埋めていく。
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断罪する側とされる側が、この夜、入れ替わった。
広間の貴族たちの視線が、ロデリックから、壁際の宰相へと、ゆっくり移っていく。
けれど、宰相オスヴァルトだけは、顔色一つ変えなかった。
彼はゆっくりと、人垣を割って、前に進み出た。
慇懃な、冷たい微笑みを浮かべて。
「——実に、面白い茶番ですな、アッカーマン公爵令嬢」
低く、滑らかな声。
「だが、令嬢一人の証拠ごっこで、国家がどう動くと、お思いか? 帳簿の差額? 傭兵の戯言? そのようなものは、いくらでも書き換えられる。——証拠とは、誰が握っているかで、意味が変わるものです」
この男は、たじろがない。
広間中の視線が自分に集まっても、眉一つ動かさない。
冷静沈着で、有能な悪。
その評判は本物だった。
(……強いわね、本当に。証拠を積まれても、平然と「書き換えられる」と言ってのける。普通の悪党なら、ここで顔色を変える。この人は変えない)
ふと、わたしは思い出していた。
彼が、なぜ、わたしをこれまで生かしておいたのか。
殺すより、断罪に使う方が、価値が高かったから。
悪役令嬢を生贄に「ライエルの正義」を演出し、開戦世論の号砲にするつもりだったから。
公爵令嬢に露骨に手を出せば、中立貴族が一斉に離反するから。
——全部、合理だった。
冷たいほどの、計算ずくの合理。
だから、わたしは。
彼の合理を、彼の合理で、上回るしかなかった。
外堀は埋めた。
けれど、本丸はまだ揺るがない。
黒幕の身柄も、権力も、まだ、この男の手の中にある。
証拠を並べただけでは、彼は倒れない。
それは、最初から、分かっていた。
(……ここからが、本番ね)
わたしは、宰相の冷たい瞳をまっすぐに見返した。
本当の対決はここから始まる。
わたしの一年間をあなたにぶつける。
エリアスが間に合わなくても。
——わたしは刺し違えてでもあなたを倒す。
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