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第26話「最後の密会と、果たせない約束」

第26話「最後の密会と、果たせない約束」



「これが、しばらくの——いえ。もしかしたら、最後の密会になるかもしれません」


その言葉を口にした瞬間、自分の声が震えていることに、気づいた。


決行の日が近づくほど、二人で会える時間は削られていく。


皮肉な話だった。


---


計画は動き出していた。


父コンラートは、わたしの設計図の通りに、貴族たちの根回しを始めている。


一人ずつ、慎重に。


ベルントは、宰相の不正の証拠を、何重にも写しを取り、その一通をわたしへ送ってくれた。


ヤコブの商隊は、両国を行き来し、情報を運び続けている。


そして、エリアスは——帝都アイゼンブルクへ、戻る準備を進めていた。


帝国側で、マクシミリアンの「大義」を崩す根回しを、進めるために。


つまり、彼は、この国を離れる。


それが何を意味するのか。


わたしは、痛いほど分かっていた。


決行の日——冬至の大舞踏会、その当日まで、あと約一ヶ月。


その日、ライエルでは、わたしが断罪劇の舞台に立つ。


同じ頃、帝国では、エリアスが兄と対峙する。


わたしたちは、それぞれの国で、それぞれの戦いに臨む。


離れた場所で。


二度と、こうして二人きりで会えるか分からないまま。


---


最後の密会の場所に、彼が選んだのは、いつもの礼拝堂ではなかった。


国境にほど近い、グレンツ地方。


ローレン川を見下ろす、小高い丘の上。


所々が雪で覆われた、誰もいない場所。


ヤコブの手引きで、わたしは身分を隠し、そこへ向かった。


丘の上に、エリアスが立っていた。


黒い外套を、初冬の肌寒い風になびかせて。


その足元に広がる、ローレン川。


両国を分かつ、一本の川。


その大きな川は冬の準備を始めたような様子を見せている。


「……ここが」


わたしが隣に立つと、エリアスが、川を見下ろして言った。


「ここが、火種の蒔かれる場所だ。ミューレン。あの、川岸の村。お前が言っていた、偽旗の」


「はい。あの村が、開戦の舞台になります」


眼下に、小さな村が見えた。


商人しか訪れない静かな村。


あそこで、嘘の襲撃が演出され、戦争の口実が作られる。


わたしたちが、止めなければ。


「下見、ですね」


「ああ。当日、わたしは帝国側にいる。お前は、ライエル側に。離れていても、同じ場所を見られるように」


彼は、川向こうの渡し場を指さした。


「あの渡し——『カルテ渡し』という。ミューレンの村は、あの渡しの、すぐ目と鼻の先だ。当日、偽兵はあそこを越えてくる。退路を断つなら、渡しの上流と下流、両方を押さえる必要がある」


冷静な戦術の話。


けれど、その横顔には、隠しきれない緊張があった。


「当日、わたし達は、同じ場所にいれない。あの時と同じように川の向こう側から止めなければいけない」エリアスが低く言った。「だから、ミューレンの現場は、お前の側の手の者に託すことになる。ヤコブの商隊と、お前の父上の警備隊に」


「ええ。偽兵を、その場で取り押さえます。傷つけずに、ただ、囲んで。——あの者たちが『帝国兵の偽物』だという、生きた証人を、確保するために」


「殺すな、と」


「はい。一人でも殺せば、それこそ『帝国との衝突があった』ことに、なってしまう。わたしたちが欲しいのは、戦果じゃない。証拠です。だから、これは、戦いではなく——証拠保全の確保なんです」


エリアスが、わたしを見た。


その目に、感心とも、呆れともつかない色が浮かぶ。


「……つくづく、戦の仕方が誰とも違う」


「剣を抜かずに勝つのが、いちばん賢い勝ち方ですから」


わたしたちは、地理を頭に叩き込んだ。


どこに何を伏せ、どう連携するか。


上流の橋、下流の浅瀬、村へ通じる街道。


離れていても、同じ絵を共有できるように。


指を伸ばし、土の上に、簡単な見取り図を描いて。


これが、この丘に来た、本当の目的。


最後の作戦会議。


二人で描いた、落書きのような土の地図。


それは、風が吹けば、すぐに消えてしまう。


けれど、わたしたちの頭の中には、確かに刻まれた。


たとえ離れても、同じ景色を見られるように。


それが、せめてもの繋がりだった。


---


打ち合わせが終わると、不意に、言葉が途切れた。


一気に気温が下がり、真昼なのに肌寒い。


二人の間に、静寂が降り積もる。


「……エリアス様」


わたしは、思い切って、彼を見上げた。


「あなたは、帝都に戻られる。わたしは、ここに残る。当日、もし——どちらかの計画が、うまくいかなかったら」


「ヴィオラ嬢」


「もし、わたしが断罪されて、最悪、命を落とすようなことが、あっても。あなたは、計画を止めないでください。戦争を止めることを、最優先に——」


「やめろ」


低い声が、わたしの言葉を遮った。


振り返ると、エリアスが、これまで見たことのない顔で、わたしを見ていた。


乏しい表情が崩れていた。


怒りに似たものを、湛えて。


「お前を犠牲にして成る平和なら、わたしは要らない」


彼の声が震えていた。


「お前は、いつもそうだ。自分を、計画の駒の一つみたいに、数える。——わたしは、それが許せない」


---


息が、止まった。


寡黙な彼が。


手札を、決して全部見せない彼が。


今、自分の感情を剥き出しにしている。


それが、どれほど異例のことか、わたしには分かる。


「……でも。わたしの命より、何万の民の命の方が」


「分かっている。分かっているが」


彼は、一歩、距離を詰めた。


「分かっていても、お前を失うことだけは、計画に組み込めない。——わたしの、どこに、それを呑み込む場所があると思う」


彼の手が伸びてきた。


けれど、わたしに触れる寸前で、止まった。


握りしめられ、宙で、震えている。


触れたら、何かが壊れる。


そう、分かっているみたいに。


わたしは、その手を見ていた。


あの夜、血を滲ませた手。


わたしを庇って、斬られた肩。


いつも、行動だけで、わたしを守ってきた、その手を。


「……約束、できません」


わたしは、声を絞り出した。


「あなたが無事でいてくれること以外、わたしも、何も、約束できない。だって——わたしも、あなたを、失いたくない」


言ってしまった。


二人の吐く息だけが、白く混ざり合った。


---


エリアスの、宙で止まっていた手が。


ゆっくりと、わたしの頬に触れた。


冷たい指先。


けれど、その奥に、確かな熱があった。


わたしは、目を閉じなかった。


彼の琥珀の瞳を見つめ続けた。


彼の長い睫毛が震えている。


「……生きて、戻れ」


彼が囁いた。


「お前の描いた道の、その先で。もう一度、会おう。——次に会うときは、隠れてではなく」


それは、果たせるかどうか分からない、約束だった。


立場も、国も、何一つ、解決していない。


それでも、彼は言った。


次に会うときは、隠れてではなく、と。


二人が、堂々と、向かい合える日。


そんな日が、本当に来るのか。


誰にも分からない。


「……はい」


わたしは頷いた。


彼の手の熱を、頬に感じながら。


「必ず。必ず、また」


その先の言葉は、空気に呑まれて、声にならなかった。


頬に触れた彼の手に、わたしは、そっと自分の手を重ねた。


あと、ほんの少し顔を上に向ければ、届いてしまう距離。


——でも、わたしたちは、その一歩を踏み越えなかった。


踏み越えてしまえば、離れられなくなる。


明日、別々の国へ向かう二人には、許されない一歩だった。


だから、わたしたちは、ただ、額を寄せ合った。


丘の上で。


果たせるかどうかも分からない約束だけを、互いの息の中に刻みつけて。


---


どれくらい、そうしていただろう。


先に身を引いたのは、エリアスだった。


引き際に、彼の指が、わたしの頬から、名残を惜しむように、ゆっくりと離れていく。


その一瞬の躊躇いに、彼の本心の全部が、滲んでいた。


離れたくない、と。


けれど、離れなければならない、と。


「行かなければ」


掠れた声。


自分自身に、言い聞かせるような。


「ええ。……行ってください」


わたしも同じだった。


引き留めたい。


でも、引き留めてはいけない。


彼が帝都で戦わなければ、戦争は止まらない。


わたしが、彼を行かせなければ。


二人とも、分かっていた。


だから、それ以上の言葉は要らなかった。


別れ際、彼は外套を脱いで、わたしの肩にかけた。


「冷える」


それだけ言って、彼は背を向けた。


帝国側へと、去っていく。


わたしは、彼の外套に包まれて、その背中を見送った。


彼の温もりと、彼の匂いが、まだそこに残っていた。


(……行ってしまった)


胸に、ぽっかりと、穴が空いた気がした。


次に会えるのは、すべてが終わった後。


あるいは——二度と、会えないかもしれない。


残り、約一ヶ月。


冬至の大舞踏会が、刻一刻と、近づいている。


砂時計の砂は、もう、残りわずか。


外套には、まだ、彼の温もりが残っていた。


それが冷めきってしまう前に、必ず、決着をつける。


そう、自分に誓った。


わたしは、彼の外套を、ぎゅっと握りしめた。


涙は、冷たい空気に紛れて、誰にも見えなかった。


本日の投稿は終了となります。

次の投稿は9/7の12:40となっておりますm(__)m

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