第24話「父の駒だと、気づいたあなたへ」
第24話「父の駒だと、気づいたあなたへ」
「ヴィオラ嬢。少しいいか」
ロデリックがわたしに自分から話しかけてきたのは、いつ以来だろう。
しかも、取り巻きも連れず、たった一人で。
その顔には、いつもの傲慢さの代わりに——見たことのない、戸惑いが浮かんでいた。
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王宮の、人気のない回廊だった。
わたしは内心、警戒する。
婚約者とはいえ、この男がわたしに用があるときは、決まって碌なことがない。
前世の勘でいえば、要注意人物が予定外の接触をしてくるときは、たいてい、本人が追い詰められているときだ。
それに——取り巻きを連れていないのが、何よりおかしい。
この男は、いつだって、自分を大きく見せるための観客を、引き連れて歩く。
その観客を、今日は、置いてきた。
つまり、これは。
誰にも聞かれたくない話。
(……何かを、隠したがってる。あるいは、何かに怯えてる)
先読みの勘が、ちりりと、警鐘を鳴らした。
「何でしょう、ロデリック様」
「……お前は。最近、父上と、何かあったのか」
唐突な問いだった。
「宰相閣下と? いいえ。お話しする機会もありませんが」
「ならば、なぜ」ロデリックの声が上ずった。「なぜ父上は、お前のことを、あんなに気にかけている。『アッカーマンの娘から、目を離すな』と。婚約者の僕にすら理由を言わない」
(……あら)
わたしは、すっと目を細めた。
宰相が、わたしを警戒している。
それは、もう知っていた。
帝国との繋がりを嗅ぎつけられかけている。
けれど——その警戒を、息子であるロデリックにすら、共有していない。
それが、何を意味するか。
(宰相は、自分の息子を信用していない。計画の核心を、何一つ渡していない)
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「ロデリック様。一つ、お尋ねしてもよろしいですか」
わたしは、慎重に言葉を選んだ。
「冬至の大舞踏会で、あなたはわたしを、断罪なさるおつもりですね。フローラ嬢を害した、という罪状で」
ロデリックの肩が、びくりと跳ねた。
図星だ。
「……それが、どうした。お前のような華のない女、僕にはふさわしくない。あの夜会で、皆の前で、はっきりさせてやる」
虚勢を張る声。
けれど、その目は泳いでいた。
「では、もう一つ。その断罪のあと——この国が、どうなるか。父上から、お聞きになっていますか」
「どう、なる、とは」
「あなたが、フローラ嬢を害した悪役令嬢として、わたしを公開の場で断罪する。すると、世間は何を思うか。——『清純な男爵令嬢を、穏健派の名門アッカーマン家の娘が害した』と。あなたの断罪劇は、フローラ嬢という"清純の象徴"を傷つけた咎で、我が家を、衆人環視で地に堕とすのです」
「……それの、何が」
「穏健派の象徴である、アッカーマン公爵家が地に堕ちる。そうして——宰相閣下に逆らえる者は、この国からいなくなる。それが、あなたの断罪劇の、本当の役目なのです」
ロデリックの顔から、血の気が引いていった。
「……何を、馬鹿な。僕は、ただ、お前が気に入らないから」
「ええ。あなたは、そう思っている。でも、あなたの父上は、違う絵を描いていらっしゃる」
わたしは、静かに続けた。
「あなたの『気に入らない』という感情すら——計画の、駒の一つなんですよ。ロデリック様」
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しばらく、ロデリックは言葉を失っていた。
開戦の世論。
父の権力固め。
そういう「大きな絵」の存在を、彼はうっすらと、勘づいてはいたのだろう。
馬鹿ではあるが、宰相の息子だ。
父が何か大きなことを企んでいることくらいは、薄々、感じていた。
けれど。
その絵の中で、自分が「最初に使い捨てられる駒」だということだけは——彼は、考えてもみなかったのだ。
「父上が……僕を、駒、だと」
掠れた声だった。
「断罪劇が終われば、あなたの役目は済みます。アッカーマン家を陥れるための、捨て駒。そのあと、宰相閣下が、あなたを今のように扱い続けると、本当に思いますか?」
「黙れ……黙れ!」
ロデリックは声を荒げた。
けれど、その叫びには、力がなかった。
否定したいのに、否定しきれない。
心のどこかで、思い当たる節があるのだ。
父の冷たい目に。
自分を、対等な跡継ぎとして見ていない、あの目に。
幼い頃から、彼はきっと、父の顔色を窺って生きてきたのだろう。
褒められたくて、認められたくて。
だから、父が望むまま、わたしを見下し、フローラに群がり、宰相家の嫡男という看板を、誇らしげに掲げてきた。
その看板が、実は、いつでも捨てられる「駒の名札」にすぎなかったと知ったとき。
彼の中で、何かが、音を立てて崩れていく。
哀れだとは、思う。
けれど、同情はしない。
彼が父の駒として、わたしを断罪し、それが何万の民を戦火に追いやる号砲になるのなら——わたしは、容赦なく、その駒を、盤上から外す。
ただ、できることなら。
彼自身がその駒から降りてほしかった。
それが、わたしにできる、せめてもの情けだった。
(気の毒、とは言わないけど)
わたしは、彼を見つめた。
傲慢で、見栄っ張りで、わたしを散々見下してきた男。
その彼が今、自分が父にとって何だったのかに、初めて気づこうとしている。
これが、ささやかな意趣返しになるなら、それでいい。
けれど、わたしの狙いは、もっと先にあった。
「ロデリック様。わたしは、あなたと争うつもりはありません。婚約破棄も、どうぞご随意に。——ただ、一つだけ。ご自分が、誰の手駒になっているのか。それだけは、よくお考えになって」
そう言い残して、わたしは踵を返した。
「待て」
背後で、ロデリックの声がした。
けれど、それは命令ではなく、ほとんど、縋るような響きだった。
「お前は……なぜ、僕に、それを教える。お前を断罪しようとしている、僕に」
わたしは、足を止めた。
振り返らずに答えた。
「あなたを憎んでいないからです。——あなたも、被害者の一人だと、思っているから」
それは本心だった。
傲慢で愚かな男。
けれど、彼もまた、父という名の盤上で、知らぬ間に動かされていた、ただの一個の駒。
憎むには、あまりに哀れだった。
背中に、彼の呆然とした視線を感じた。
追ってはこなかった。
追う気力も、もう残っていないのだろう。
けれど、わたしは知っていた。
今、彼の中に蒔いた小さな疑念は、これから、ゆっくりと芽を出す。
父への、信頼という名の土を、内側から、崩していく。
それは、決行の日に、思わぬ形で効いてくるかもしれない。
——布石は打った。
あとは、芽吹くのを待つだけ。
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自室に戻って、わたしは大きく息を吐いた。
ロデリックを揺さぶったのは、布石だ。
宰相の足元を、内側から、ほんの少しでも崩しておくための。
駒が自分の立場に疑問を持てば、いつか、ひびになる。
けれど、わたしの心を本当に占めていたのは、ロデリックのことではなかった。
(国を取るか。彼を取るか)
机の上で、わたしは両手を組んだ。
前世からの、考え込むときの姿勢。
戦争を止める。
それが、わたしの目的だ。
そのためには、両国の黒幕を——宰相オスヴァルトと、第一皇子マクシミリアンを、同時に倒さなければならない。
でも、マクシミリアンを倒すということは。
(エリアス様の兄を。彼の手で、あるいはわたしの手で、引きずり下ろすということ)
血を分けた兄だ。
あの夜、握りしめた拳から血を滲ませた、あの人の。
わたしが国を救おうとすればするほど、彼は、自分の兄を裁く痛みへと、追い込まれていく。
そして、もし戦争を止められたとして。
そのあとに待つのは、何だ。
敵国の皇子と、ライエルの令嬢。
立場は、何一つ変わらない。
国を救った先に、二人が結ばれる未来なんて——どこにも、描けない。
(……国を救えば、彼を失う。彼を選べば、国が滅ぶ)
天秤の、どちらに何を載せても、わたしの手からは、何かがこぼれ落ちていく。
前世のわたしなら、こう言っただろう。
「感情を、判断に持ち込むな」と。
被害を最小にする選択を、淡々と選べ、と。
何万の命と一人の青年。
秤にかけるまでもない。
数字だけを見れば、答えは決まっている。
——なのに。
その「一人」の顔が、どうしても消えてくれない。
雪の礼拝堂で、わたしの手を握り返してくれた、あの温度。
血を滲ませた拳。
痛いときほど黙る、不器用な人。
数字で割り切れたら、どんなに楽だっただろう。
割り切れないから、わたしは、こんなにも苦しい。
ペンを握っても、計画の続きが、書けなかった。
窓の外、秋の月が照らしている。
残り、三ヶ月。
時間だけは、わたしの迷いを待ってはくれない。
前世のわたしは、いつも「最小の被害」を選んできた。
誰かを切り捨てる選択を、淡々と、紙の上で。
そうしなければ、もっと多くが失われるから。
それが、危機管理という仕事の、いちばん残酷な本質だった。
割り切ることに、慣れたつもりでいた。
慣れた、はずだった。
——なのに、今は。
その「最小の被害」の側に、彼の顔があるだけで、ペンが、こんなにも重い。
(……どちらか、なんて。選びたく、ない)
その夜、わたしは、悪役令嬢でも、転生者としてでもなく、ただの十七の娘として、声を殺して泣いた。
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