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第23話「あなたの兄が火種だなんて」

第23話「あなたの兄が火種だなんて」



ベルントからの情報が手に入った、とヤコブから連絡があった。


その情報はあることを決定づけることだった。


そして、宰相への糸を追っていたわたしは、ようやく「火元」の正体に手をかけた。


そして同時に、それが——彼の血を分けた人へと、まっすぐ伸びていることを、知ってしまった。


---


ヴェルゴ帝国の皇子が暗殺者に襲われ、わたしを庇って肩を斬られたのは、つい三日前のことだ。


エリアスの傷は、幸い深くはなかった。


けれど、あの夜の光景は、まだわたしの瞼の裏に焼きついている。


わたしの前に立ちはだかった、広い背中。


布を裂く刃の音。


そして、彼が一言も痛みを漏らさなかったこと。


(あの人は、痛いときほど黙る)


それが分かるようになってしまった自分に、わたしは少しだけ怖くなる。


その襲撃が、ただの物盗りでないことは最初から分かっていた。


仕組んだ者がいる。


火種を消そうと動く者を、消そうとした誰かが。


刺客の手口は玄人のそれだった。


物盗りなら、財布を狙う。


あの男は、まっすぐ、わたしの心臓を狙ってきた。


雇い主が、明確な殺意で送り込んだ刃。


——ということは、こちらの動きが、すでに漏れている。


(誰かが、わたしたちの綱渡りを、上から見ている)


その視線の主を、突き止めなければ。


次は、躱せないかもしれない。


だから、わたしは調べた。


ベルントの帳簿と、ヤコブの商隊が運ぶ噂と、ノエルが帝国側から渡してくる断片を、一つの机の上に並べて。


軟禁こそされていないが、宰相の目は、確実にわたしを見ている。


社交の席で、宰相派の貴族が、やけにわたしの動向を尋ねてくる。


ローザが市井で聞きつけた噂の中にも、「アッカーマンの娘が、妙な動きをしている」という囁きが混じり始めた。


時間がない。


先に、向こうの正体を掴まなければ。


掴まれる前に。


そして——見つけた。


軍需の金が流れ込む、見えない口座。


表向きは「国境警備の増強費」。


けれど、その金の半分は、警備兵の手には渡っていない。


帳簿の上だけで膨らんで、ある一点でふっと消える。


その消えた金が、国境を越えて、帝国側の「ある人物」へと渡っている経路を。


---


「お嬢様。こちらの手紙がお嬢様宛で届いておりました。」


五日前、ローザが声を潜めて、一枚の封筒をわたしの前に置いた。

中には一通の手紙と一枚の紙。


手紙には——「わたしが捕まる前にあなたにこの手紙を」と書かれていた。

(ベルント様が捕まる前に残してくれたんだわ...!)


封筒に入っていた手紙は帝国の言葉で書かれていた。


こちらも差出人の名は伏せられている。


けれど、宛名の封蝋に押された紋章には見覚えがあった。


ヴェルゴ帝国の、双頭の鷲。


それも——皇位に最も近い者だけが使う、第一皇子の紋。


(……マクシミリアン)


エリアスの兄。


紙の上で、二本の線が、一つに繋がった。


ライエルの宰相オスヴァルト。


ヴェルゴの第一皇子マクシミリアン。


両国の、戦を望む者同士が——裏で、手を結んでいる。


息が止まった。


(そういう、ことだったの)


わたしはずっと「自国の中の火元」を探していた。


エリアスはずっと「帝国の中の火元」を探していた。


二人で別々に追っていた炎は——根元で、一本に繋がっていたのだ。


「悪い隣国が攻めてくる」のではない。両国の腐った欲が、国境という一本の川を挟んで、握手をしている。民を薪にして、利を分け合うために。


これが、亡国の、本当の設計図だった。


---


打ち捨てられた礼拝堂で、わたしはその手紙を、エリアスに見せた。


肩の傷のせいで、彼の動きはまだ少しぎこちない。


それでも彼は、わたしが差し出した紙を無言で受け取った。


月光が、割れた天窓から差し込んでいる。


彼の琥珀の瞳が、帝国の文字を、一行ずつ追っていく。


わたしは、彼の表情を見ていられなかった。


だって、知っているから。


この紙に書かれた紋章が、誰のものか。


彼にとって、それがどういう意味を持つのか。


「エリアス様」


呼びかけても、彼は紙から目を上げなかった。


長い沈黙。


礼拝堂の隅で、夜風が、崩れた石をかさりと鳴らした。


やがて、彼の指先が、紙の端を握り込んだ。


それだけだった。


声を荒げるでも、紙を投げ捨てるでもなく。


表情は、出会ったときと同じ、乏しいまま。


眉一つ動かさない。


ただ——紙を握る、その拳が。


わたしは見てしまった。


固く握り込まれた彼の指の節が、白くなって、震えていることに。


そして、爪が手のひらに食い込んだその下から、薄く、赤いものが滲んでいることに。


血だった。


彼は、自分の手のひらを傷つけていた。


それにも気づかないほど、強く握りしめて。


(……エリアス)


胸が引き裂かれた。


声も出さず、表情も変えず。


それでも彼の中で、何かが、嵐のように荒れている。


血を分けた兄が、自国を焼く火種だった。


その事実を、彼は今、たった一人で飲み下そうとしている。


---


「……知っていたわけでは、ない」


ようやく、彼が口を開いた。


声は、おそろしく静かだった。


静かすぎて、かえって痛々しかった。


「兄が、戦を望んでいることは知っていた。武勲を欲していることも。だが——よその国の、宰相と。ここまで深く」


そこで、言葉が途切れた。


彼は、握りしめていた拳を、ゆっくりと開いた。


手のひらに、四つの赤い三日月が刻まれていた。


わたしは、思わず手を伸ばした。


彼の手を、両手で包む。


「手当てを」


「……かすり傷だ」


「かすり傷でも。あなたが、自分を傷つけているのを見ていられません」


エリアスが、わたしを見た。


琥珀の瞳の奥に揺れるものがあった。


それを、彼は必死で、表に出すまいとしていた。


寡黙な人だ。


痛みを、言葉にしない人だ。


だからこそ、その沈黙の重さが、わたしには分かってしまう。


血を分けた兄を、敵だと知る。


それは、わたしには想像も及ばない痛みのはずだった。


なのに、彼は、誰にも縋らない。


誰にも見せない。


---


わたしは、ハンカチを取り出して、彼の手のひらに当てた。


傷は浅い。


けれど、その下にある傷は、きっと、ずっと深い。


「……お前は」


ハンカチを巻くわたしの手を、彼の視線が追っていた。


「敵国の人間の痛みにまで、手を貸すのか」


「あなたを、敵だと思ったことは、一度もありません」


口にしてから、しまった、と思った。


けれど、もう遅い。


エリアスの手が、わずかにこわばった。


包帯越しに、彼の鼓動が伝わってくる——なんて、そんなはずはないのに。


そう感じてしまうほど、わたしたちの距離は近かった。


「……困った令嬢だ」


彼が、ぽつりと言った。


「敵に向かって、そういうことを言う」


「ええ。よく言われます」


「前にも、聞いた」


「覚えていてくださったんですね」


エリアスは答えなかった。


けれど、答えないことが、答えだった。


彼が、わたしの言葉の一つ一つを覚えている。


それを知るだけで、引き裂かれた胸の傷が、ほんの少しだけ温かいもので満たされる。


---


巻き終えた包帯の上から、わたしは、彼の手を、もう一度だけ、そっと握った。


「痛みは、分け合えません。でも——一人で、抱えないでください。それくらいは、できますから」


エリアスは、何も言わなかった。


ただ、握り返してくる力が、ほんの少しだけ強くなった。


言葉の代わりの、その力。


わたしには、それで充分だった。


寡黙な人の「ありがとう」は、いつも、手のひらの温度で届く。


割れた天窓から差し込む月光が、重ねた二つの手を、青く照らしていた。


敵国の皇子と、ライエルの令嬢。


本来なら、剣を交えるはずだった二つの手が、今、傷を庇い合っている。


その滑稽さと、愛おしさが、同時に胸を締めつけた。


---


帰り道。


わたしは、夜空を見上げた。


両国の黒幕が繋がっていた。


それは、戦争を止めるための、決定的な手がかりだ。


本当なら、わたしは喜ぶべきなのかもしれない。


でも、喜べなかった。


だって、わたしたちを引き裂く力が、また一つ増えてしまったから。


彼の兄が、わたしの国を焼こうとしている。


わたしの婚約者の父が、彼の国の皇子と通じている。


わたしたちは、それぞれの「家」の、最も醜い部分を背負ってしまった。


敵国同士、というだけでも、絶望的なのに。


今や、互いの「血縁」までもが、二人の間に立ちはだかっている。


(……壁が高くなっていく。会うたびに、想いが深くなるのと、同じ速さで)


握りしめた拳から、血を滲ませた、彼の手を思い出す。


あの手を、わたしはこの先、何度、握ることができるのだろう。


それでも、と思う。


黒幕の正体が繋がった。


敵が一人増えたのではない。


敵の「形」が、ようやく見えたのだ。


霧の中で殴り合っていた相手の、輪郭が。


正体が見えれば、手は打てる。


前世で何度もそうしてきた。


見えない不安より、見える脅威の方が、よほど戦いやすい。


恐れと手応えが、胸の中で、同じ大きさで拮抗していた。


たぶん、それでいい。


怖がりだからこそ、わたしは、誰よりも先に動ける。


残り、四ヶ月。


砂時計の砂は、わたしたちの猶予を確実に削っていく。


本日の投稿は終了となります。

次の投稿は9/2の12:40となっておりますm(__)m

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