第21話「帝国と通じる令嬢」
第21話「帝国と通じる令嬢」
異変は、思いがけない場所から来た。
ロデリックがわたしを呼び出したのだ。
それも人払いをした、彼の屋敷の一室に。
婚約者とはいえ、もう半ば形だけの関係。
彼がわたしを呼ぶなど、フローラへの当てつけの場くらいしか、思いつかない。
けれど、部屋に入った瞬間の彼の顔つきが、いつもと違った。
傲慢な見下しではなく——探るような、ひりついた目。
(……嫌な予感がする)
危機管理の勘が警鐘を鳴らした。
これは、ただの呼び出しではない。
---
「ヴィオラ嬢」
ロデリックが、もったいぶった声で切り出した。
「最近、君はずいぶんと忙しいようだね」
「……どういう意味でしょう」
「とぼけるな」彼の声が低くなった。「君の馬車が、たびたび王都の外れに向かっていると、報告が上がっている。何の用があって、あんな寂れた場所へ?」
心臓がひやりと冷えた。
けれど、顔には出さない。
前世で、何百回も鍛えた表情の管理。
「商人と領地の取引の相談をしておりました。父の名代として、いくつか」
「商人、ね」
ロデリックは、にやりと笑った。
嫌な笑みだった。
「その商人——ヤコブとかいう男の商隊は、隣国ヴェルゴ帝国とも、行き来があるそうじゃないか」
——来た。
背筋に冷たいものが走った。
彼は、ヤコブに行き着いている。
ヤコブは、わたしとエリアスを繋ぐ生命線。
そこを掴まれたら。
「両国を行き来する商隊など、いくらでもおります」わたしは平静を装って返した。「物が動けば商人も動く。それだけのことです」
「ふん。どうだか」
ロデリックは、わたしの周りをゆっくりと歩き始めた。
値踏みするように。
「父上が——宰相閣下がおっしゃっていた。『最近のアッカーマン令嬢の動きは不自然だ』と。財務官と組んで帳簿を嗅ぎ回り、怪しい商隊と通じ、王都の外れに足繁く通う。——まるで、何かを隠しているように」
宰相の名前が出た瞬間、すべてが繋がった。
これは、ロデリックの思いつきじゃない。
宰相が、息子を使って、わたしを揺さぶっている。
「帝国と通じているのではないか」という、致命的な疑いを、わざとちらつかせて。
そして、巧妙なのは——これが「疑い」の段階で止められていること。
確証があれば、宰相は即座にわたしを捕らえている。
けれど、まだ証拠はない。
だから、わざと息子の口から疑いを漏らして、わたしの反応を見ようとしている。
動揺すれば、それが「自白」になる。
慌てて動けば尻尾を出す。
(揺さぶり。——典型的な取り調べの手口ね)
確証のない相手を揺さぶって、自分から崩れるのを待つ。
冷静さを失った方が負ける。
(探られてる。——いいえ、これは罠を張られてる)
---
頭の中で、最悪の想定がいくつも走った。
もし「帝国と通じている」と立証されたら。
わたしは、ただの悪役令嬢では済まない。
国家反逆。
エリアスとの関係も、芋づる式に。
二人とも終わる。
冷たい汗が背中を伝う。
けれど——ここで動揺を見せたら、それこそ相手の思う壺だ。
狼狽は、何より雄弁な「自白」になる。
わたしは、ゆっくりと顔を上げ、ロデリックをまっすぐ見返した。
「ロデリック様」
「何だ」
「わたしが帝国と通じている。——そう、おっしゃりたいのですか?」
ロデリックの目がわずかに泳いだ。
こちらから核心を突かれるとは、思っていなかったのだ。
「な……そうは言っていない」
「では、何を疑っていらっしゃるのか、はっきりおっしゃってくださいませ。証拠がおありなのでしょう?」
わたしは、一歩踏み込んだ。
攻めは最大の守り。
前世の交渉術。
「公爵令嬢に、根も葉もない反逆の疑いをかける。それが事実なら、アッカーマン家の名誉に関わります。父コンラートも黙ってはおりません。——証拠がおありなら、お示しを」
ロデリックは言葉に詰まった。
証拠など、ない。
あるのは、宰相の「勘」と状況だけ。
「……っ、僕は、ただ、忠告をしているだけだ……」
彼は視線を逸らした。
「あまり、目立つ動きをするな、と。
君の身を案じて——」
「ご忠告、痛み入ります」
わたしは深々と頭を下げた。
完璧な令嬢の礼で。
「今後は、誤解を招かぬよう、慎みます。
それでよろしいですか?」
完璧な譲歩。
けれど、何一つ認めていない。
「誤解を招かぬよう慎む」とは、「やましいことなど何もないが、念のため気をつける」という意味でしかない。
罪を認めたわけでも、行動を約束したわけでもない。
——交渉の場では、相手に何も与えず、けれど納得させる。
それが、いちばん難しくて、いちばん効く。
ロデリックは苦々しげに黙り込んだ。
攻めあぐねている。
それが、わたしには分かった。
けれど、立ち去ろうとしたわたしの背に、彼は、最後に一言、投げつけた。
「ヴィオラ嬢。——君は、本当に変わったよ」
その声に、いつもの嘲りはなかった。
あったのは、戸惑い。
そして、ほんのわずかな未練のようなもの。
「以前の君なら、僕の言葉にただ俯いていた。今の君は……まるで別人だ。何が、君をそんなに変えたんだ」
——あなたには答えられない問いね。
わたしは振り返らずに答えた。
「人は変わるものですわ。
ロデリック様。
あなたもいつか」
それだけ言って、わたしは部屋を出た。
背中に、彼の視線が長く残っていた。
---
ロデリックの屋敷を出て、馬車に乗り込んでから。
わたしは、ようやく詰めていた息を吐いた。
膝が笑っていた。
(……乗り切った。今のところは)
危なかった。
本当に危なかった。
ロデリックは、まだ確証を掴んでいない。
けれど、宰相は、明らかにわたしに狙いを定めている。
「帝国と通じる令嬢」という、いちばん危険な疑いで。
ヤコブの商隊が目をつけられた。
連絡網に影が差している。
エリアスとの密会は、もう、ほとんど不可能だ。
(守らなきゃ。ヤコブを。ノエルを。……エリアスを)
包囲は確実に狭まっている。
網の目が、一つずつ、縫い閉じられていく。
屋敷に戻ると、フローラが、わたしを待っていた。
男爵令嬢の、栗色の髪の少女。
原作ではわたしの「敵役」だったはずの、けれど今は、心を許せる数少ない味方の一人。
「ヴィオラ様。あの……お話が」
フローラは、おどおどと、けれど思い詰めた顔で切り出した。
「先日、お茶会で……宰相様のお側付きの方々が話しているのを、聞いてしまったんです。『アッカーマンの令嬢は、もうじき片がつく』と。それから……『帝国の』と。わたし、何のことか分からなくて。でも、ヴィオラ様のお名前が出たので、心配で」
心臓が冷えた。
「帝国の」。やはり、宰相は、わたしと帝国を結びつけようとしている。確信ではなく、まだ「臭い」の段階だとしても。フローラが偶然耳にしたその断片が、何より雄弁に、それを裏づけていた。
「……教えてくれてありがとう、フローラ」
わたしは、彼女の手を、そっと握った。
「あなたは、何も心配しなくていいの。
ただ——その話、誰にも言わないで。
あなた自身を守るためにも」
フローラは、こくりと頷いた。
純真な瞳が、わたしを案じている。
原作では、この子は、わたしの「敵」だったはずだ。
婚約者を奪い、わたしを断罪へ追いやる、ヒロイン。
けれど、蓋を開けてみれば——彼女は、ただ純粋なだけの優しい少女だった。
人を疑うことを知らない。
だからこそ、宰相に利用されかけている。
この子を、宰相の道具になど絶対にさせない。
改めて、そう誓った。
守るべきものが、また一つ増えた。
重荷ではない。
それは、わたしが「ここで生きている」証だった。
---
次の日、わたしは父へ話があり、父がいる職場へと向かっていた。
向かう途中、馬車の窓を開け、夏の生ぬるい風を感じていた。
そのとき、ふと、馬車の脇を、一台の荷馬車がすれ違った。
御者が、わたしの馬車を、ちらりと見た。
——その目つきに、わたしの勘が、また警鐘を鳴らした。
ただの御者じゃない。
あれは見張りの目だ。
(……どこまで、見られているの)
ぞくり、と背筋が震えた。
もう、どこを歩いても誰かの目がある。
そんな気がした。
露見すれば、破滅。
その「破滅」が、これまでになく、近くまで迫っていた。
その夜、わたしは、ノエルへの密書を、いつも以上に慎重にしたためた。
「連絡を減らしましょう。
しばらく息を潜めます」と。
会いたい気持ちを、便箋の隅に、押し込めて。
彼を守るには、それしかなかった。
書き終えて、ふと、窓の外を見る。
蒸し暑い夜だった。
夜空には、すべてを照らすような一番星が輝いていた。
あの星を、エリアスもどこかで見ているだろうか。
同じ空の下で、同じように息を潜めて。
そう思うと、孤独が、ほんの少しだけ和らいだ。
残り、五ヶ月。
砂時計の砂は変わらず落ち続ける。
けれど今、わたしを追い詰めているのは、亡国までの時間ではなく——背後に張り巡らされた、見えない網の方だった。
本日の投稿は終了となります。
次の投稿は8/31の12:40となっておりますm(__)m




