8.動揺
部屋に戻ったユリアは、その場にしゃがみ込んだ。
(やっちゃった……)
あんな話をするつもりじゃなかった。
ただ、今日はいつもより沢山話せた。
少しだけ距離が縮まった気がした。
だから、今なら気になっていたことを聞けるかもしれないと思ったのだ。
ユリアは元来、あまり思い悩む性分ではない。
気になる遺跡があれば、危険だと言われても飛び込んでいった。
わからないことがあれば、何日でも地下書庫に篭って答えを探した。
悩むくらいなら動く。
わからないなら確かめる。
それがユリアという人間だ。
けれど相手はカロルドだった。
これから先、長い時間を共に過ごすことになる相手。
だからこそ軽率な真似はしたくなかったし、自分の都合で踏み込み過ぎるのも違う気がしていた。
だからユリアは、ずっと慎重になっていたのだ。
気になることがあっても、ぐっと飲み込んできたのだ。
それなのに……彼はユリアと離縁するつもりだった。
ユリアのことを思ってなのはわかる。
だけどこちらと話もせずに勝手に決めて、距離をとって。
その態度でどれだけユリアが不安になったか。
それに故郷を出てこんなに遠い国まで、ユリアがどんな思いで嫁いできたか。
その覚悟も、ここに来てから積み重ねた努力も、軽く見られたような気がした。
だから我慢ができなかった。
「……もう! 考えても仕方ないわ!」
ユリアは頭から布団をかぶった。
ーー
翌朝。
朝食の席は異様な空気に包まれていた。
「カロルド! それは食い物じゃない!」
「机にフォークを突き立ててどうするの!?」
お父様とお母様が慌てて声を上げる。
使用人たちもハラハラしながら見ている。
当の本人はというと、目の下に大きな隈を作り、心ここに在らずといった様子でぼんやりしていた。
そして結局、ほとんど食事に手を付けないまま立ち上がった。
彼を見送った視線が、揃ってユリアに向けられる。
「なにがあったの?」
お母様が尋ねる。
「なにかあったの?」ではない。
「なにがあったの?」
そう尋ねられたことに、ユリアは苦笑した。
ユリアは昨夜の出来事を話す。
お父様もお母様も呆れているようだった。
「女心のわからない奴だとは思っていたが、まさかそこまで朴念仁だったとは」
お父様はため息をついた。
「気にしなくていいわユリアちゃん。
むしろあの子に、はっきり言ってくれてありがとう」
言い過ぎたことを気にするユリアに、お母様は優しく微笑んでくれた。
「……あの。
カロルド様は何故あんなに、自分に自信がないのでしょう?」
ユリアは思い切って尋ねた。
「うーむ……
これといって大きな失敗をしたこともないはずだがなあ」
お父様から返ってきたのは意外な返事だった。
てっきり何かトラウマを抱えているのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
「ここは他の領地と離れているでしょう?
あの子には兄弟も居ない。
だから、比べる相手が父親しか居ないのよ」
お母様は小さく息をついた。
「でもね、比べる相手が悪いの。特に商売のことではね。
この人、化け物だから」
隣のお父様を見て肩を竦める。
「俺の商売は好きでやってることだからなあ。
カロルドに同じことを求めた覚えはないぞ」
「それはそうでしょうね」
驚いたように言うお父様に、お母様は苦笑した。
「でもね。
求めなくても比べてしまうことはあるわ。
特にあの子は真面目だから」
「ああ……」
腑に落ちたのか、お父様は眉間に手を当てた。
ーー
カロルドは何も手につかなかった。
書類を手に取ってはため息をつく。
ついに頭を抱え始めた時、父が顔を出した。
「やらかしたんだって?」
口の端を上げて問うてくる父に、カロルドは眉を寄せる。
「放っておいてください」
だが父は気にした様子もない。
「お前なあ。遠い異国から嫁いできた年下の女の子を、なんで"自分の手で幸せにしてやる"って思えないんだ」
「……! 思える訳ないでしょう!」
カロルドは思わず立ち上がった。
「……父上と違って私にそんな力はありません」
そう言って力を失ったように、再び椅子へ腰を下ろす。
「はあ…… お前はな。
誰かを救ったとか、莫大な利益を出したとか、そういう話ばかり数えている」
父は呆れたように息を吐いた。
「だがな、お前を見て民は怯えるか?」
「……いいえ」
「お前が街へ出たとき、話しかけてくる者は居るか?」
「居ます」
「相談を持ち込まれることは?」
「あります」
「なら十分だろう」
「十分……」
父の言葉に、昨日のユリアの声が重なる。
『あなたが顔を見せてくださるだけで、嬉しかったんです』
『それだけで十分ではないのですか?』
父は続ける。
「領主の仕事というのはな、領地を富ませることだけじゃない。民に信頼されることだ」
「お前は民から慕われている。何かあれば、お前なら力になってくれると皆信じている」
カロルドは目を丸くした。
「わかるか? 民からの信頼は、領地を維持する上で欠かせないものだ」
「長い年月をかけてお前が築いてきたその信頼こそ、立派な領主の証なんだよ」
父はそこで言葉を切ると、カロルドを真っ直ぐ見た。
「お前は自分を過小評価しすぎだ」
カロルドはハッとした。
まただ。
昨日、ユリアにも同じことを言われた。
「自分には何もないだとか、何も出来ないだとか、そんなことをうじうじ考えるんじゃねえ」
父は鼻を鳴らす。
「幸せにしたい女がいるなら、何がなんでも幸せにするんだよ」
「俺の息子だろ? ーー腹を括れ」
父は、カロルドの背中を痛いほどの力で叩くと、部屋を出て行った。
(信頼……)
自分には何もないと思っていた。
父のように出来ない自分に劣等感があった。
だから、王女殿下が嫁ぐと決まってからずっと、"申し訳ない"という気持ちが消えなかった。
こんな自分に嫁がされる王女殿下は、不幸だと思っていた。
しかも実際に会った王女殿下は、あまりにも可憐で懸命だった。
こんな自分では釣り合わない。
そんな思いが強くなるばかりだった。
――彼女から拒絶されるのが怖かった。
彼女に惹かれる自分も怖かった。
だから距離を取った。
向き合う勇気がなかったのだ。
だが結局、その態度が彼女を傷つけていた。
俺は……。




