4.邂逅
あの日以来カロルドは、ユリアが庭で絵を描いていると決まって顔を見せるようになった。
相変わらず口数は少ない。
何を考えているのかもわからない。
だけど――
彼なりに歩み寄ろうとしてくれているのだろう。
そう思うと、悪い気はしなかった。
一方でお義父様とお義母様からは、頻繁に声が掛かった。
特にお義母様からは毎日のようにお茶に誘われた。
最初は「ユリア様」だった呼び方も今では「ユリアちゃん」と呼ばれるようになり、気付けばユリアも自然と『お義母様』ではなく『お母様』と呼ぶようになっていた。
使用人たちも、若くして遠い異国から嫁いできたユリアに心を砕いてくれた。
勝手がわからず戸惑っていれば、すぐに誰かが声を掛けてくれる。
慣れない環境に不安を覚える夜には、気晴らしになる話を聞かせてくれることもあった。
そんな人々の優しさに包まれるうちに、ユリアが故郷を思って胸を痛める時間も少しずつ減っていった。
ーー
そんなある日のこと。
「ユリアちゃん、そろそろ街に出てみない? お屋敷にこもってばかりじゃ退屈でしょう」
「街に……?」
お母様の言葉にユリアは目を瞬かせた。
実を言えば興味はあった。
だが嫁いできたばかりの身だ。勝手な行動で周囲を困らせたくないという思いもあり、自分からは言い出せずにいた。
「もちろん護衛も付けるし、みんな喜ぶわよ」
「行きたいです!」
ユリアは迷うことなく返事を返した。
お母様は嬉しそうに微笑むと、その日のうちに外出の準備を整えてくれた。
ーーそして翌日。
ユリアはお母様と共に街へ出た。
カーハインドは貧しいと思っていた。
実際、その認識は間違っていないのだろう。
道行く人々は痩せている。
着ている服も質素だ。
それでもユリアの知る「貧しい街」とはどこか違っていた。
人々の表情が明るいのだ。
ユリアは王女として各地を視察した経験がある。
貧困に苦しむ者たちの目も見てきた。
希望を失った者の目は濁る。
ただ今日を生き延びることで精一杯の者の目は、光を失う。
だが、ここにいる人々は違った。
その目には確かな輝きがある。
明日はきっともっと良くなる。
そんな未来を信じている目だった。
ーー
まず足を向けたのは市場。
残念なことに品揃えは、お世辞にも良いとは言えない。
取り扱う品もどこも似たような物だ。
だが一軒だけ、大勢の客で賑わう活気ある露店があった。
興味を惹かれたユリアはその場で懸命に背伸びをしたが、人垣が邪魔をして店先の商品は見えない。
だが、店主の背後に飾られた艶やかな衣装の裾だけは辛うじて見て取れた。
(嘘っ……!)
裾だけで気付いた。
間違いない。
あれは生まれた時から目にしてきた、ポーネの誇り――伝統衣装だ。
何故こんなところに。
「お母様……!」
ユリアは信じられない思いで、隣のお母様に視線を向けた。
お母様はそんなユリアを見て楽しそうに微笑む。
「行ってみましょうか」
そう言って歩き出すお母様。
周囲の人々は、慣れた様子で道を開けた。
「奥様だ」「視察か?」
そんな囁きが聞こえる中、お母様は周囲へ手を振りながら露店へと向かう。
ーー気が付けば人垣が左右に割れ、これまで見えなかった露店の全貌が姿を現した。
「すごい……!」
ユリアは思わず声を上げた。
そこに並んでいたのは、ポーネの髪飾りや細工物。
つい数か月前まで当たり前のように目にしていた、故郷の品々だった。
「ポーネには美しい物が溢れていたからね」
品物に釘付けになっていたユリアは、そんな店主の声で顔をあげた。
店主は頭に巻いたターバンで目元をギリギリまで隠した、怪しい風体の男だった。
だが、ユリアは気付いた。
「領主様!?」
声を上げたユリアに、店主は慌てたように大きく手を振る。
(えっ。内緒だったの?)
口元を押さえたユリアは、慌てて周囲を見回した。
だが驚いている者は誰もいない。
ーー?
「そろそろ行きましょうか」
ユリアが戸惑っていると、お母様はまた笑顔で歩き出す。
道中、お母様が言った。
「あの人、商人になりたかったのよ」
「領主様が?」
「そう。だからああして正体を隠して、たまに露店を出しているの。
ま、民はみんな、あの人の正体に気が付いているのだけれどね」
お母様はくすくすと楽しそうに笑う。
「あの人、ポーネに行っていたでしょう? すっかりポーネの文化に魅せられてしまったみたいでね。最近はポーネの品ばかり扱っているのよ」
「……ポーネの文化に?」
「ええ。おかげで連日大繁盛よ。
私も大好きなの。特にあの艶やかな衣装。
実は仕立ててもらったのよ」
そう言って片目をつぶるお母様。
ユリアは思わず頬を赤らめた。
胸の奥がじんわりと温かくなる。
あの晩餐会で大使に侮辱されてから、故郷の文化を誇ることに少しだけためらいを覚えていた。
けれど、ここにはポーネの文化を愛し、素敵だと言ってくれる人たちがいる。
それがまるで自分のことのように嬉しかった。
胸に宿ったぬくもりを抱えたまま、広場に差し掛かったとき。
「カロルド様!」
「兄ちゃん!」
子供たちの声が響いた。
驚いたユリアが目を凝らすと、そこには子供たちに囲まれるカロルドの姿があった。
彼はかがみ込んで目線を合わせ、子供たちと何やら楽しそうに話している。
(……笑ってる)
夕食の席では見たこともない表情だった。
その様子を見ていたユリアは複雑な気持ちになる。
(ちゃんと笑えるじゃない)
子供たちに向ける表情は柔らかく、楽しそうですらある。
それなのに、自分といる時の彼はどこかぎこちない。
やっぱり歓迎されていないのだろうか。
お母様が言う。
「カロルドは人気者なのよ」
「……そのようですね」
民に慕われていることはよくわかった。
だが、あの人は無口で愛想のない人ではなかったのか。
自分の知るカロルドと目の前のカロルドがどうしても結び付かない。
戸惑いを抱えたままその様子を眺めていると、不意に子供の声が耳に届く。
「お嫁さんは?」
「え?」
カロルドが固まる。
「王女様だろ?」
「綺麗なの?」
「優しい?」
「仲良し?」
矢継ぎ早の質問に、カロルドの耳はみるみる耳が赤くなる。
子供たちは顔を見合わせた。
「赤くなった!」
「図星だ!」
「やっぱ仲良しなんだ!」
はやし立てる声が一斉に上がる。
結局、彼は何も答えず、
「……また今度だ」
とだけ言い残して逃げるように立ち去った。
「逃げた!」
「絶対そうだ!」
残された子供たちは大盛り上がりだ。
何がおかしいのか、皆楽しそうに笑っている。
お母様も口元を押さえ、くすりと笑った。
「昔から、ああいう話になると弱いのよね」
「?」
「何でもないわ」
ユリアは意味が分からなかった。




