3.出会い
ケルファ王国も、そして嫁ぎ先のカーハインド領も、ユリアが思う以上に遠かった。
いくつもの街を経由しながら、山を越え森を抜け、馬車は少しずつ目的地へ近づいて行く。
日が経つにつれ襲いくる寂しさと後悔。
そしてこの先への不安。
眠れぬ夜を過ごすたび、ユリアはスケッチブックを抱きしめた。
ーー
「この森を抜ければカーハインド領です」
御者の声に窓の外へと視線を向ける。
鬱蒼とした森は薄暗く、道の整備もされていないのか、馬車から大きな振動が伝わる。
ユリアの胸は不安に押しつぶされそうだった。
逃げ出したい――
ユリアはただ体を固くし、恐怖に耐えることしか出来なかった。
やがて窓から明るい日差しが差し込み、森を抜けたのがわかる。
「迎えが来ているようです」
御者はそう言うと、馬車の速度を緩め始めた。
ユリアはそっと窓の外を覗く。
前方に馬を連れた十人ほどの兵が見えた。
王女を出迎えるには少数だ。
(……迎えがないよりは良いわ)
ユリアは、意識して気持ちを前向きに切り替えた。
やがて馬車が停車すると、ユリアはゆっくり馬車から降りる。
それを合図に、集団の中から一人の男性が進み出て来た。
シルバーブロンドの髪をきっちり撫で付けた、生真面目そうな顔をした青年だった。
青年がユリアの前で膝を折る。
後ろの兵たちも同じように膝を折った。
「お初にお目にかかります。
ケルファ王国カーハインド伯爵家嫡男、カロルド=カーハインドと申します。
王女殿下におかれましては、長旅の道中、さぞご苦労も多かったことと拝察いたします。
ご無事にて到着なされましたこと、心より安堵いたしております」
(この人が私の結婚相手……)
だが、決められた台詞をなぞるような言い回しに、ユリアは眉を寄せた。
「……出迎えありがとうございます。
ポーネ王国第三王女ユリアと申します」
なんとかそれだけ絞り出して、踵を返す。
「ここからは我々も護衛に付かせていただきます」
彼は最後まで膝をついたままだった。
ーー
護衛を十人増やして馬車は領地へ入る。
窓から飛び込む景色に、ユリアは目を瞬かせた。
――えっ。
――こんなに……。
痩せた畑。
古い家屋。
舗装されていない道。
思わず隣の侍女と顔を見合わせる。
到着した屋敷も質素だった。
ユリアが不安な顔を見せたからだろうか。
玄関で出迎えてくれた領主夫妻に、お茶に誘われた。
通された応接室で、ユリアは思わず辺りを見回す。
調度品も最低限。
伯爵家と聞いていたが、とてもそうは見えない。
「驚かれましたか?」
向かいの領主が苦笑する。
ポーネでよく見かけた、穏やかな目をした男性だ。
「……少し」
「申し訳ありません」
「いえ……私の方こそ失礼をいたしました」
ユリアはうつむいた。
「王女殿下には快適にお過ごしいただけるように努めますので、あまりご心配なさらないでください」
領主夫人の優しい声にユリアは顔をあげる。
夫妻は慈しむような目でユリアを見ていた。
(結婚相手のあの人は冷たそうだったけれど、ご両親は優しそうな人ね)
「ありがとうございます。これからお世話になります」
ユリアは頭を下げた。
領地への不安は消えなかった。
それでも、領主夫妻の穏やかな人柄に、張り詰めていた心が少しだけ和らいだ。
ーー
嫁いでから数日後。
ユリアは庭で絵を描いていた。
すると後ろから声がする。
「……その絵、見せていただいても?」
振り返る。
カロルドだった。
彼とはまだ、食事の時間に顔を合わせる程度の交流しか持っていない。
形式上は夫婦だが、ユリアはまだ十五歳。
カーハインド家も「焦るべきではない」と寝室を分けてくれていた。
だからこうして二人きりになるのは、これが初めてかもしれない。
「どうぞ」
ユリアは少し身体をずらした。
カロルドは「失礼します」と一言断ってから隣へやって来る。
相変わらず堅い人だ。
初対面の時からずっとそうだ。
カロルドはキャンバスを覗き込み、しばらく黙っていた。
何か言うのかと思ったが、そのまま沈黙が続く。
居心地が悪い。
やはり戻ればよかっただろうか。
そんなことを考え始めた頃、
「……お上手ですね」
ようやく言葉が落ちてきた。
「ありがとうございます」
当たり障りなく返す。
すると会話は終わってしまった。
再び沈黙。
風が花壇を揺らし、小鳥の鳴き声だけが聞こえる。
(何か話したいことがあって来たのではないのかしら)
そう思うのだが、カロルドは絵を見たまま口を開かない。
やがて意を決したように、
「あの」
と声を上げた。
「はい」
「……その花は、気に入りましたか?」
ユリアは瞬きをした。
視線の先には、自分が描いていた白い花々。
「ええ。とても綺麗です」
「そうですか」
カロルドはどこかほっとしたように頷いた。
そしてまた黙る。
(本当にこの人、何を考えているのかしら……)
嫌味を言われるわけではない。
冷たくされるわけでもない。
けれど会話が続かないのだ。
まるで分厚い壁を挟んで話しているような気分になる。
するとカロルドは花壇へ目を向けた。
「……母が好きな花なんです」
「お義母様が?」
「はい。……領地の花を増やしたいと」
そう呟くように語る横顔は、食事の席で見るものより少し柔らかかった。
家族の話だからだろうか。
ほんの少しだけ人間らしく見える。
だがカロルドはすぐに我に返ったように背筋を伸ばすと、丁寧に一礼する。
「お邪魔しました」
そしてそのまま去って行こうとして――
「あ」
足元の植木鉢に躓いた。
ぐらりと身体が傾く。
慌てて体勢を立て直したカロルドは、何事もなかったかのように居住まいを正した。
「……失礼しました」
耳が少し赤い。
ユリアは思わず目を丸くした。
先ほどまでの完璧な伯爵令息の姿と、今の姿がどうにも結びつかない。
結局最後まで、よくわからない人だった。
ただ。
初対面で感じた近寄り難さが、ほんの少しだけ薄れた気がした。




