32.笑顔
部屋に戻ったユリアは、頭からすっぽりと布団を被った。
なぜだかとても気恥しくて。
「うう……」
布団の中で転がりながら小さく唸る。
『あなたが居なくなるのは嫌です』
『あなたが居なくなることを考えるだけで苦しい』
カロルドの言葉が頭を巡る。
それって……つまり……
そこまで考えてユリアはハッとした。
『あなたと一緒にカーハインドに帰りたい』
とは言われた。
『これからもずっとあなたと暮らしたい』
とも言われた。
だけどーー
「好きだ」
とは言われていない。
離縁するつもりがないのはわかる。
大切に思ってくれていることも。
だけど、それが恋なのかはわからない。
家族としてなのか。
友人としてなのか。
それとも――
「……わからない」
布団の中で顔を埋める。
ーー
その頃、カロルドもまた悩んでいた。
ユリアは、
『引き留めて欲しかった』
『一緒にカーハインドへ帰ろう、と言って欲しかった』
そう言っただけだ。
もしかすると、その言葉は私でなくても良かったのかもしれない。
同じことを母が言っても。
もしかすると侍女が言っても。
きっとユリアは喜んだだろう。
なのに私は何と言った?
――あなたが居なくなることを考えるだけで苦しい。
――これからもずっとあなたと暮らしたい。
目を閉じる。
思い返すだけで頭を抱えたくなった。
あんなもの、告白と同じではないか。
ユリアへの好意を認めてはならないと思っていた。
伝えるつもりなどなかった。
それなのに私は――
「……何をしているんだ」
額を押さえ、小さく呟く。
ーー翌朝。
部屋を出たところで鉢合わせた二人。
「……っ!」
カロルドは固まった。
昨夜の自分の言葉が頭を駆け巡る。
ユリアの反応を見るのが怖くて、そっと目を逸らす。
そのとき。
「……お、おはようございましゅ!」
彼女のそんな声が聞こえて、カロルドは驚いて視線を戻した。
ユリアは顔を真っ赤にして、口元を抑えている。
(可愛い……)
(いや、何を考えているんだ)
カロルドは小さく首を振る。
「おはようございます。ユリア」
「おはようございます……」
ユリアの声は、消え入りそうなくらい小さかった。
ーーそのとき。
カロルドはふと思った。
あのときユリアは「許します」と言っていた。
彼女が自分をどう思っているのか。
それはわからない。
だが。
ユリアは、好意を抱いたことを責めなかった。
失望も。
嫌悪も。
拒絶もされなかった。
ならば。
少なくとも彼女を想うことは、許されたのではないか。
もう、この気持ちから目を逸らさなくてもいいのではないか。
そう思ったらすっと肩の力が抜けた。
「ははっ……!」
だからだろうか。
初めてユリアの前で自然に笑えた。
ーー
カロルドが笑った。
声を漏らして笑った。
ユリアは目を丸くした。
それはユリアの前では決して見せなかった、自然な笑みで。
胸がドキリと鳴った。
挨拶に失敗して恥ずかしかったことも忘れて、ユリアはカロルドの笑顔に見惚れた。
(……その顔は反則、だと思う)
「食事に行きましょうか」
そう言ったときの顔も、声も、柔らかかった。
ユリアはハッとして返事を返した。
「は、はい!」
早まる胸の鼓動を抑えきれないまま、ユリアはカロルドの後を追う。
ーー朝食の席でもカロルドは別人のようだった。
いつもは自分からほとんど話さない人だったのに。
「ユリア、これ美味しいですよ」
「は、はい!」
「このフルーツ、お好きだったのでは? 私の分もどうぞ」
「いえっ……そんな……」
そして目が合うとふわりと微笑む。
ユリアはどぎまぎしっぱなしだった。
一体カロルドはどうしてしまったのか。
決して嫌なわけではない。
ただ、あまりに違いすぎて心が追いつかない。
(心臓に悪いです……!)
「ふふ」
向かいの席でお母様が小さく笑った。
ーー
その頃。
ユリアの離縁を巡って、王都の社交界は揺れていた。
夜会でも茶会でも、その話題が出ない日はない。
「他国との約定を軽んじるべきではないでしょう」
「しかし、あの娘を手放すことは国益を損なうことと同義では?」
表向きは穏やかな笑みを浮かべながらも、その言葉は鋭かった。
離縁反対派の宰相派閥。
推進派のモルガン侯爵派閥。
元々宰相の座を巡って争った経緯もあり、両派の対立は根深い。
そこへ今回の離縁騒動が加わった。
社交界は今や、ユリアを巡る新たな戦場となっていた。
日ごとに激しさを増す対立。
笑顔での刺し合いが口論に変わり――
ついにその火花は、社交界の壁を飛び越えた。
元々対立していた宰相派とモルガン侯爵派は、ユリアの離縁問題をきっかけにさらに態度を硬化させていく。
双方の貴族たちは互いの足を引っ張ることを優先し始めた。
相手派閥が提出した法案は内容に関わらず否決。
予算審議も滞る。
影響は国政にまで及び始めた。
そしてついに。
争いに参加していない貴族家から不満が噴出した。
「このままでは国が傾く」
ある貴族が口にした。
「そもそも、なぜ本人たち抜きで争っているのです?」
その言葉に場が静まる。
確かに誰もがユリアとカロルドの将来を語っていた。
だが当の本人たちの話を聞いた者はほとんどいない。
「本人たちに来てもらえばよいでしょう」
その提案に賛同の声が上がった。
結局、双方の派閥は王宮での協議の場を設けることで合意した。
名目は事情聴取。
実際は、自らの主張を通すための材料集めだった。
ーー数日後。
ーーユリアとカロルドの元へ召喚状が届く。




