30.報告
ーー数日後。
「調べてきたわ」
お母様は優雅に紅茶を口にした。
「やはりモルガン侯爵派閥ですか?」
カロルドが尋ねる。
「ええ」
あっさり頷いた。
「侯爵が音頭を取って、周りを動かしているわ」
「目的は?」
「あなたたちを離縁させること」
ユリアが息を呑む。
お母様は淡々と続けた。
「ユリアちゃんを王都に残したいのよ」
「なぜですか?」
「帝国との繋がりのため」
「繋がり……?
あの親書が来たから……?」
ユリアが呟く。
「そうね。
ユリアちゃんを手に入れれば、帝国とのパイプが手に入ると思っているのよ」
「そんな……!
お手紙が来ただけで、お会いしたこともないのに」
「それほど帝国皇帝陛下からの親書というのは重いのよ」
「……」
ユリアは何も言えなかった。
そのとき。
「迷惑な話ですね」
カロルドがそう吐き捨てた。
お母様は苦笑する。
「皇帝陛下に悪気はなかったと思うわ。
あの親書はきっと、ユリアちゃんがこの国でも絵画を描き続けられるように、というお気持ちもあったのよ」
「ですがそのせいで、こんな騒動に巻き込まれています」
眉を寄せて言うカロルド。
「そうね。でもそんなこと予想できないわ」
お母様は肩を竦めた。
「約定を軽んじるようなこと、普通の国ならやらないもの」
そう言って一つ息を吐く。
そして扇子を閉じた。
「それからね」
その声音に、カロルドは眉をひそめた。
「残念ながら、この話は噂話では済まないようだわ」
部屋が静まる。
「実際に賛同している家が増えているそうよ」
ユリアが息を呑んだ。
「王都に残した方が国益になる」
「辺境に置いておくのは惜しい」
「より良い縁談がある」
「そう考える者の勢力が増しているの」
「……!」
ユリアは耳を疑った。
勝手な都合で離縁を推し進める。
それだけでも信じ難いというのに。
賛同する者まで増えているなんて。
「既に何人かが王家に働きかけているわ」
カロルドがピクリと反応した。
「……王家は動くのですか?」
神妙な面持ちで問いかける。
「それはわからないの。
ただ、宰相は反対しているわ。だからすぐに大きなことは起こせないでしょうね」
お母様の言葉を聞いて、ユリアはほっと息を吐いた。
「でもね」
お母様は一度言葉を切った。
「このまま賛成派が増えれば、いずれ王家が押し動かされる可能性は十分あるわ」
部屋の空気が重くなる。
「時間はあまり残されていない、ということですか」
カロルドが確認するように言った。
「ええ」
お母様は静かに頷く。
ユリアは顔を青ざめさせた。
離縁。
あのときお茶会で聞いた言葉が、今になって現実味を帯びて胸を締め付けた。
そのとき。
ダンッーー
カロルドが机に拳を打ちつけた。
「ユリアは物ではありません」
その顔は今までに見たことがないほど辛そうだった。
怒っているはずなのに。
苦しそうで。
悲しそうで。
それを見ていると、胸の奥がきゅっと痛んだ。
「落ち着きなさい。わかっているわ。
だから腹が立っているのよ」
「……っ、ーー失礼しました」
カロルドは小さく息をつく。
「ひとまず父上にも報告しましょう」
「もうしてあるわ」
お母様はわずかに目を細め、声音を落とした。
「でも、私たちの手が間に合うかは微妙ね」
「……何か、別のあてがあるのですか」
問いかけるカロルドに、お母様はただ静かに扇で口元を隠した。
「まだ形になっていない"あて"など、無いのと同じよ」
お母様は窓の外、遠い国境の空へと視線を向けた。
「だから今は――最悪の事態も想定しておきなさい」
そしてこちらに視線を戻す。
「最後はあなたたちの『覚悟』が鍵になるわ」
覚悟……?
ユリアは首を傾げる。
ただ、その言葉が妙に胸に残った。
ーー
夜。
寝付けないユリアは、庭園へと足を向けた。
最初に離縁の話を聞いたときは、怒りが湧いた。
人の結婚をなんだと思っているのか。
勝手な都合でなにを言っているのか。
と。
でも今日、それが噂話しでは済まないかもしれないと知って、ユリアの胸を襲ったのは悲しみだった。
もし本当に離縁になったら……
もう領地に帰れない。
ーー声を掛けてくれる領民も増えたのに。
もうあの街並みを歩けない。
ーー子供たちが、笑顔で私の手を握ってくれるようになったのに。
お屋敷にも帰れない。
ーーいつも「おかえりなさい」と迎えてくれたのに。
お父様やお母様にも会えなくなる。
ーー本当の娘のように可愛がってくれたのに。
そして……カロルドと別れる。
あの不器用だけど一生懸命な人と。
口下手で、何を考えているのかわからないことも多かった。
差し出される大きな手も、いつも少しだけ強張っていて。
けれど。
ユリアが困れば真っ先に気付いてくれた。
誰かに傷つけられれば怒ってくれた。
失敗しても責めずにいてくれた。
いつだって、ユリアの味方でいてくれた。
胸の奥がきゅっと痛む。
どうしてこんなに苦しいのだろう。
どうしてこんなに嫌なのだろう。
カロルドと会えなくなることが。
もう隣に立てなくなることが。
二度とあの手を取れなくなることが。
ーー嫌だ。
ーー離れたくない。
その瞬間。
初めて、自分の気持ちに名前がついた気がした。
自覚した途端、心臓がうるさいほどに脈打ち始める。
ユリアはそっと自分の胸に手を当てた。
「私、カロルドのことが……」
言葉にしようとした、そのとき。
「こんな時間に何をしているんです」
「ひゃっ!」
静かな庭園に、聞き慣れた、そして今一番聞きたくなかった声が響く。
振り返ると、月明かりに照らされたカロルドが、こちらを覗き込んでいた。
「……カ、カロルド……っ?」
思わず目を逸らす。
つい先ほどまで普通に話していたはずなのに、なぜか彼の顔を見られなかった。
「ぐ……偶然ですね」
「あなたが出て行くのが見えたので」
いつも通り淡々と答えるカロルド。
ユリアはドレスの裾を握り締める。
「大丈夫ですか?」
「へっ?」
「顔が赤いですが」
「赤くありません!」
カロルドは目を瞬かせた。
「何かご用でしたか?」
ユリアは強引に話題を変えた。
「その……」
カロルドは何か言いかけて口を閉じた。
沈黙が落ちる。
その間もユリアは、バクバクと鳴り響く鼓動を抑えるのに必死だった。
「……今日の話ですが」
ユリアの肩が跳ねた。
「ひゃい!」
「ひゃい?」
「な、なんでもありません」
カロルドは眉を寄せる。
「気にしないでください!」
カロルドは不思議そうな顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。
静かな夜風が二人の間を通り過ぎる。
ユリアは視線を落とす。
落ち着かなければ。
そう思うのに、胸の鼓動は少しも静まらない。
そんな中、カロルドが小さく咳払いをした。
その音に、ユリアはびくりと肩を震わせる。
「……離縁の件です」
「嫌です」
言った瞬間、ユリアははっとした。
あまりにも即答だった。
しかも食い気味に。
「……えっと」
何か言わなければ。
そう思うのに言葉が出てこない。
「この話は嫌でしたか?」
沈黙を破るように、カロルドが口を開いた。
「ですが、カーハインドとして方針を決めるためには、あなたの意見が必要です」
淡々としたカロルドの言葉に胸がチクリとした。
「……カロルドは……」
「?」
「……私が居なくなっても平気なんですか?」
カロルドは目を見開いた。
だが、すぐには答えが返ってこない。
その沈黙が、妙に長く感じられた。
やっぱり。
カロルドにとって大事なのは家の方針であって、私では――。
「……っ、すみません!」
ユリアは駆け出した。
これ以上カロルドの顔を見ていられなかった。




