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愛のない政略結婚だと思っていたのに、夫はそうではなかったようです ~辺境で描いた一枚の絵が王都を騒がせるまで~  作者: 花日


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29.噂

 ユリアがその話を知ったのは偶然だった。


 あるお茶会へユリアが遅れて参加するとーー


「ではユリア様はご存知じゃありませんの?」


 令嬢の驚いた声が聞こえた。


「何をですか?」


 自分の名前が聞こえたことで、声を掛けた。


「まあ……」


 周囲の令嬢たちが顔を見合わせる。


 しまった。


 そんな空気だった。


「……王都では噂になっておりますの」


「噂?」


「ユリア様を王都へお戻しするべきではないか、と」


 ユリアは首を傾げた。


「私は帰る予定ですが」


 令嬢たちは言葉に詰まる。


 そして一人が意を決したように口を開く。


「ですから……その……婚姻を見直すべきだと仰る方もおりますの」


 婚姻を見直す?


 つまり……離縁?


「……え?」


 思わず声が漏れた。


 離縁。


 その言葉が頭の中でうまく形にならない。


 カロルドと。


 離れる?


 なぜ?


 どうして?


 聞くべきことはたくさんあった。


 誰が。


 何のために。


 どうしてそんな話になるのか。


 けれど何も言葉にならない。


 頭が真っ白なまま席を立つ。


 とにかくカロルドに伝えなければ。


 ーー


「カロルド」


 珍しくユリアの声が硬かった。


「お話があります」


 お茶会で何かあったのだろうか。


 不安がよぎる。


「どうしました?」


「……」


 ユリアは体を固くしたまま口を開かない。


 だが、その瞳だけは不安げに揺れていた。


「……ユリア? 大丈夫ですか?」


 思わずその背に手をあてた。


「カロルド……」


 ユリアは俯いたまま呟いた。


「……離縁の話が出ているそうです」


 その瞬間。


 カロルドの表情が固まった。


 やはり。


 そんな言葉が脳裏をよぎる。


 次の瞬間。


「カロルドと! 私の! 離縁の話が!」


 ユリアは勢いよく顔を上げた。


 普段の彼女らしくない。


 それだけで動揺の大きさが分かった。


「……気にする必要はありません」


「……!? 知っていたのですか?」


 ユリアが目を見開く。


 カロルドは首を振った。


「いいえ」


 そして少しだけ言葉を選ぶ。


「ただ……あなたを王都に残すべきだ、と言う者はいました」


 ユリアは目を瞬いた。


「カロルドも……?」


「ええ」


 そう答えると、ユリアは小さく呟いた。


「やっぱり私だけではなかったんですね」


「……」


「皆、そのためだったんですね」


 ユリアは俯いた。


「そのため?」


「離縁させるためです」


 カロルドは眉をひそめた。


 ユリアはゆっくりと言葉を続ける。


「王都に残った方が良いと何度も言われました」


「もっと自由に生きても良いとも」


「カーハインドに拘らなくても良いとも」


 ーー辺境では才を活かしきれない。


 ーー王都の方が相応しい。


 ーーより良い環境を選ぶべきだ。


 カロルドが言われた言葉と、どれも同じだった。


 ユリアはそこで顔を上げた。


「離縁の話があると知って、やっと分かりました」


「ユリア……」


 カロルドは掛ける言葉が見つからなかった。


「みんな、私たちの結婚をなんだと思ってるんでしょうか」


 ユリアは拳を握りしめた。


「都合よく動かそうなんて」


 その声は震えていた。


 怒っているのだ。


 珍しくはっきりと。


「まるでチェスの駒です」


 そして小さく付け加える。


「私も。カロルドも」


「……駒ではありません。

 ただ――」


 カロルドはしばらく黙り込んだ。


 そして。


「……ユリアは、どうしたいですか?」


 意を決して尋ねる。


 王都に残りたいと言われるかもしれない。


 離縁したいと言われるかもしれない。


 そしてユリアがそう望むのであれば、反対することは出来ない。


 カロルドはざわつく胸を抑えながら、ユリアの返事を待った。


 ところがーー


「文句を言いたいです!」


「……は?」


「こんなことを言い出した人にも、協力した人にも、みんなに文句を言いたいです!」


 ユリアは本気で憤慨していた。


 どうやら。


 意を決した問いは、違う意味で伝わったらしい。


 カロルドはそっと視線を伏せる。


 今ほど自分の口下手を後悔したことはない。


「絶対に文句を言います!」


 両手を握りしめながら言うユリアの様子に、カロルドは苦笑した。


 今更聞き直せる空気でもない。


 カロルドは小さく息を吐いた。


「……とりあえず、ユリアはどなたから聞いたのですか?」


 ユリアから噂をしていた令嬢や、王都へ引き止めようとしていた令嬢の名前を確認する。


 その途中、夜会で面識のない令息に話しかけられた話も聞いた。


「二人で庭園に行こうと言われました」


「……そうですか」


 カロルドは短く答える。


 だが。


 なぜか令嬢たちの話を聞いた時以上に不快だった。


 それらをカロルドに「助言」という建前で接触してきた貴族の名前と照らし合わせる。


 すると、ある古参侯爵の派閥に属する者の名が何度も挙がった。


 偶然とは思えなかった。


 二人で顔を見合わせる。


「お母様にも伝えましょう」


「そうですね」


 小さく頷き合う。


 婚姻という家に大きく関わる問題だ。


 母に話を通さないわけにはいかない。


 ーー


「うちの嫁を何だと思っているのかしら」


 話を聞いた母は笑顔だった。


 だが握りしめた扇子からは、ミシミシという恐ろしい音が聞こえた気がした。


 カロルドは知っている。


 本気で怒っている時ほど、母は笑うのだ。


「お母様……?」


 ユリアの顔色が悪い。


「大丈夫よ」


 母は一つ息を吐くと、優雅に紅茶を口に運んだ。


「お母様に任せなさい」


 母はにっこりと微笑んだ。


「少しお話を聞いてきますからね」


 声は穏やかだった。


 だが、逆らえない圧を感じた。


 母が静かに背を向け、部屋を出て行く。


 二人はその様子を、静かに見送ることしか出来なかった。


 ーー


 夜。


「はあ」


 部屋で一人になったカロルドは、大きなため息をついた。


 ーー結局。


 ユリアの答えは聞けなかった。


 王都に残りたいと思っているのか。


 そして何より……離縁を望んでいるのか。


 もし離縁になれば、もう同じ屋根の下で暮らすこともない。


 笑いかけられることも。


 絵を見せてもらうことも。


 当たり前のように隣にいることも。


 ない。


 そしていずれ。


 ユリアは別の誰かの隣に立つのだろう。


 その手を取り。


 微笑みかけ。


 信頼を寄せる相手が、自分ではなくなる。


 胸の奥が焼けるように痛んだ。


 なぜ。


 そこまで考えて。


 カロルドは息を呑む。


 ――ああ。


 そういうことか。


 私は。


 ユリアを誰にも渡したくないのか。


 その感情に名前を付けることは簡単だった。


 だからこそ。


 認めてはいけないと思った。



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