26.親書
あの日を境に、ユリアの表情が明るくなった。
庭園でスケッチを楽しむ姿も、また見られるようになった。
カロルドはようやく肩の力を抜いた。
――大丈夫そうだ。
そう思った矢先のことだった。
ーー
王城に一人の使者がやってきた。
「帝国?」
宰相が訝しげに眉を寄せる。
「はい。サイブル帝国の書状を持った使者が到着しています」
「……わかった。対応しよう」
現れた使者は正装をまとった威圧感のある男だった。
「申し上げます。
サイブル帝国ルキウス=サイブル皇帝陛下より、ケルファ王国カーハインド領ユリア=カーハインド様への親書をお持ちいたしました」
「……親書?」
「は。陛下はユリア=カーハインド様を帝都へご招待したいと仰せです」
「招いてどうするのだ」
宰相は目つきを鋭くした。
だが使者は意に返さない。
「わかりかねます。
しかし陛下はユリア様の絵に、大変感銘を受けておられます」
「呼びつけて絵を描かせると?」
「まさか。ユリア様の意思を無視するようなことはいたしません」
「ではなんのために?」
「ユリア様の絵をご覧になったのでしたら、おわかりでしょう」
使者は表情一つ変えない。
「陛下はあの絵に大変興味を持たれております」
「それだけで?」
「それだけでございます」
宰相は眉をひそめた。
使者は続ける。
「陛下は、絵の題材となった教会にも足を運びたいと仰せです」
「……何?」
「ユリア様本人から話を聞きたい、とも」
宰相は背中に嫌な汗が流れるのを感じた。
政略ならまだいい。
条件を交渉できる。
だが皇帝本人の興味となると話は別だった。
理屈では止められない。
相手は大国だ。それも隣国。
強気の姿勢で突っぱねるわけにもいかない。
使者は「必ずユリア様に渡すように」と、念を押して帰って行った。
「……これは厄介なことになったな」
宰相は小さく呟いた。
「すぐに院政家の者を集めろ」
王城がにわかに騒がしくなるーー
ーー
「失礼いたします」
ノックの直後、返事も待たずに扉が開く。
慌ただしく部屋へ入ってきたのは王宮の侍従だった。
その不躾な態度に、カロルドの眉間に皺が寄る。
「何事だ」
「ユリア=カーハインド様へ。王家よりお伝えしたいことがございます。謁見室までお越しください」
「私に?」
ユリアは首を傾げた。
なぜ呼ばれたのか見当もつかない。
その横で、カロルドが僅かに目を細める。
「用件は」
「お伝えできません」
侍従は即座に答えた。
カロルドがユリアの前へ一歩進み出る。
「理由も告げずに呼び出すつもりか」
「宰相閣下からのご命令です」
「それでもだ」
低い声に侍従が息を呑む。
しばしの沈黙の後、侍従は観念したように口を開いた。
「……ユリア様に関する案件でございます」
カロルドの表情がさらに険しくなる。
「続けろ」
「本日、サイブル帝国皇帝陛下より、ユリア様宛の親書が届きました」
その瞬間。
部屋の空気が凍りついた。
ーー
謁見の間に辿り着くと、そこには主要な貴族が集まっていた。
茶会や夜会とはまた別の、重苦しい雰囲気。
ユリアは思わず息を呑んだ。
集まった顔ぶれを見て、緊張が胸を締め付ける。
そのとき。
エスコートをするカロルドの手に、僅かに力がこもった。
ユリアはゆっくり息を吐く。
そして胸を張り一歩一歩丁寧に進む。
「お呼びと伺いました」
宰相の前で立ち止まると、ユリアは静かに頭を下げた。
「サイブル帝国皇帝陛下より、ユリア=カーハインド殿への親書を預かっている」
「はい」
ざわり、と貴族たちがどよめく。
宰相はその反応を無視して続けた。
「本来であれば私人宛の書簡であるため、王家が内容に立ち入ることはない」
ユリアは目を瞬く。
それならなぜ呼ばれたのだろう。
「だが差出人が差出人だ」
宰相は一通の封書を掲げた。
「帝国皇帝陛下は、これを確実に本人へ届けるよう求められた」
静まり返る謁見の間。
「よって王家立会いのもと、ユリア殿へ親書を引き渡す」
「ありがとうございます……?」
ユリアは困惑しながら親書を受け取った。
「帝国側は返答を待っている。
家と相談して早急に返答するように」
「承知しました」
「以上だ」
ユリアたちは謁見の場を辞した。
ほんの短い時間の出来事だった。
「謁見の場に呼ぶ必要はあったのでしょうか……?」
部屋に戻ったユリアは、そう声を漏らす。
カロルドはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「必要だったのでしょうね」
「?」
「あなたにではありません」
ユリアは瞬きを繰り返す。
「貴族たちに見せるために」
「見せる?」
「帝国皇帝があなたに親書を送った。その事実を」
ユリアはますます分からなくなった。
手紙を送っただけではないか。
その様子を見ていたお母様が口を開いた。
「ユリアちゃん。皇帝陛下が直接親書を書く相手は限られているのよ」
「そうなのですか?」
「普通は王族や国王陛下宛ね。
一介の貴族令嬢に送るなんて、異例のことよ」
ユリアは固まった。
「とにかく開けてみましょう」
お母様が促す。
ユリアは恐る恐る封を切った。
中から現れた便箋を広げる。
そして最初の一文を読んだ瞬間。
「え?」
ユリアの目が丸くなった。
「どうしたの?」
「その……」
ユリアは困惑した顔で顔を上げる。
「お礼のお手紙でした」
「「……は?」」
カロルドとお母様の声が綺麗に重なった。
「どうぞ」
ユリアは親書を差し出す。
「……いいのですか?」
遠慮がちなカロルド。
「確かにお礼の手紙ね……」
一方で、お母様はすでに手紙を読み始めていた。
そこに書かれていたのは、まず諸国外交会議への謝辞だった。
ユリアの出品した絵が帝国でも高く評価されていること。
帝国の学者や芸術家の間でも大きな反響を呼んでいること。
そして。
もし機会があれば、その制作に至った経緯や復元の根拠について話を聞かせてほしい。
そう記されていた。
さらに最後には。
『許されるならば、いずれカーハインドの地を訪れ、この目でその場所を見てみたい』
と添えられていた。
ユリアは肩の力を抜いた。
「絵を気に入ってくださっただけでしたね」
ほっと息をつく。
「それに教会跡地にも興味を持ってくださったみたいです」
嬉しそうに親書を抱える。
「もしかしたらカロルドが言っていたように、観光資源になるかもしれません」
弾んだ声でそう言う。
だが、カロルドはなぜか難しい顔をしていた。
「カロルド?」
「……いえ」
親書から顔を上げたカロルドは、小さく首を振る。
「何でもありません」
そう言う割には、納得していないように見える。
「ユリア」
「はい?」
「皇帝陛下から直接親書が届いたのです」
「そうですね?」
「もっと慌てませんか?」
「? でも内容は普通でしたよ?」
「それは……そうですね」
カロルドの眉が下がる。
「ふふふ。ユリアちゃんは元王族よ。
私たちよりも受け止めが早いのよね」
そんなカロルドを見てお母様が口を挟んだ。
ユリアは首を傾げた。
皇帝陛下は絵を褒めてくださった。
教会にも興味を持ってくださった。
それなのに、何をそんなに気にすることがあるのだろう。




