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愛のない政略結婚だと思っていたのに、夫はそうではなかったようです ~辺境で描いた一枚の絵が王都を騒がせるまで~  作者: 花日


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24.抱擁

 カロルドは息を呑んだ。


 離れようとした腕が止まる。


 胸元に伝わる柔らかな重み。


 すぐ近くから感じる体温。


 かすかに揺れる髪が肩に触れる。


 それだけのことなのに、心臓が嫌になるほど大きな音を立てた。


 恐る恐る。


 壊れ物に触れるように。


 カロルドはユリアの背に手を添える。


 それは抱き締めるというより、支えるほどのはかない力だった。


 これほど不器用にしか触れられないというのに、カロルドはこの手を離したくないと思った。


 彼女が自分を頼ってくれたようで、どうしようもなく嬉しかった。


 どれほどそうしていただろうか。


 やがて。


「……もう大丈夫です」


 ユリアが小さく呟く。


 その声に、カロルドは我に返った。


 ユリアが身体を離す。


 カロルドは引き留めそうになる衝動を飲み込んだ。


「……」


 胸元にあった温もりが離れていく。


 そのことに、カロルドは自分でも驚くほどの喪失感を覚えた。


 もちろん表には出さない。


 出せるはずもない。


 ただ静かに腕を下ろした。


 ユリアもまた、一歩だけ距離を取る。


 だが完全には離れなかった。


 互いに手を伸ばせば触れられるほどの距離。


 その近さに気付いて、今度は二人とも少しだけ気まずそうに視線を逸らした。


 先ほどまで自然にしていたことが、急に意識され始める。


 静寂が落ちた。


 風が木々を揺らす音だけが聞こえる。


「……あなたは十分頑張りました」


 先に口を開いたのはカロルドだった。


「ですから」


 カロルドは決意を込めて言った。


「社交はここで切り上げましょう」


 ユリアが目を見開く。


「カロルド……」


「誰もあなたを責めません」


 むしろ責められるべきは王都の貴族たちだ。


「十分です」


 少しだけ声が強くなる。


「これ以上、あなたが傷つく必要はありません」


 ユリアは考え込むように目を伏せ、しばらく黙り込んだ。


 やがて小さく息をつく。


 握り締めていた手がゆっくりと解かれる。


 伏せられていた視線が上がった。


 そして。


 真っ直ぐにこちらを見た。


 カロルドは思わず息を呑む。


 先ほどまで涙を堪えていた少女と同じ人物とは思えなかった。


 その瞳には、強い意志が宿っていた。


「……私、逃げたくありません」


 静かな声だった。


 だが不思議と迷いは感じられない


 カロルドは息を呑む。


「正直、少し辛いです」


「だったら……」


「でも、ここで私が逃げたら王都の皆さんはどう思うでしょう?


『社交についていけなかった』


『王都に恐れをなした』


 そう侮られることになると思いませんか?」


 カロルドはしばらく黙り込んだ。


「……そうかもしれません」


 カロルドは認めた。


「このまま王都を去れば、そのように受け取る者もいるでしょう」


 ユリアは静かに頷く。


「それは私だけの話ではありません」


 ユリアの声が少しだけ強くなる。


「カーハインドも、私を育ててくれたポーネも、侮られることになります」


 だから――


「逃げたくありません」


 その言葉にカロルドは息を呑む。


「逃げてしまったら、きっと後悔します」


 ユリアは真っ直ぐ彼を見つめた。


「ですから」


 その瞳は揺らがない。


「もう少しだけ、一緒に戦ってくださいませんか?」


 カロルドは何も言えなかった。


 説得するつもりだった。


 守るつもりだった。


 だが今、自分の前にいるのは守られるだけの少女ではない。


 母国を背負い、家を背負う。


 凛と立つ一人の女性だった。


「……わかり……ました」


 そう答えることしかできなかった。


「あなたが、私の些細な変化に気付いてくださったこと。


 そして、手を差し伸べてくださったこと。


 ……とても嬉しかったです」


 ユリアはふっと表情を緩める。


「ありがとうございます」


 そしてカロルドを見て微笑む。


「あなたがいてくれて良かった」


 花が綻ぶような笑顔だった。


 一瞬、空気が止まる。


 カロルドはゆっくりと息を吐く。


 胸の奥が、静かに熱を持っていた。


「……それは、光栄です」


 やっとそれだけを返す。


「私、周りに合わせ過ぎてたんです。

 相手の求める答えを探して、無難な返事を返して」


 ユリアは目を伏せる。


「どう思われるのか、そればかり気にしていました」


 苦笑を浮かべる。


 カロルドはすぐには言葉を返さなかった。


 その代わり、ユリアの横顔を静かに見つめる。


「……そうしなければならない場だったのでしょう」


 ようやく口を開く。


 責めるでもなく、否定するでもなく、事実として受け止める声だった。


 ユリアは小さく頷く。


「でも……なんだか削られていくようで」


 ユリアは苦笑した。


「自分の気持ちがどこにあるのか、どんどんわからなくなっていって……」


 少しだけ言葉を探すように間を置く。


「それが、苦しかった」


 カロルドの眉がわずかに動く。


 ユリアは続ける。


「だから、もうやめようと思います」


 顔を上げた彼女の顔は、どこか吹っ切れたような明るい色をしていた。


「私が何を言っても、何をしても、周りは見たいように見る。


 だったら、自分を押し殺す必要なんてないですよね」


 カロルドは目を瞬かせる。


 それは、誰かの求める姿になろうとすることをやめるという宣言のように聞こえた。


「真正面から向き合って、それでもだめだったときは……」


 ユリアは少しだけ目を伏せる。


 それから、ほんの少しだけ柔らかく続ける。


「そのときは、また……お話を聞いていただけますか」


 カロルドは視線を和らげた。


「もちろんです」



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