第3話 眼前のゼロイン・照準
有栖の初めての顧客訪問はこの作業のためだった。
A課で納入したH&C製N/W機器の点検立ち合い。
作業内容の確認、人員配置、スケジュールの調整。
H&C技術者が点検しA課は記録を担当する。
それでもサーバーが何のためのものかは知らないまま。
そしてこの先も知らないまま。
地下に続く専用エレベーターホールのゲート前。
『有栖。作業完了まで連絡がないことを祈ります』
イヴから電源を落とす前の最後の通知。
(AIが祈りますって、なんだろう、ジョークよね)
有栖のスマートフォンとMagI/Oだけは非常時の外部連絡用。
念のため外部視聴モジュールを含め持込み許可を取っていた。
合同庁舎1号館。一番古かったビルは今では一番の最新ビル。
地下には最新のサーバールームと秘密の会議室があるとの噂だ。
同じプレートキャリアの警備員がゲート前を固める。
MP5 MLIⅡが握られ、腰にはGLOCK17 Gen7。
(取引一覧にあった最新モデル。霞が関警備は扱いが違うな……)
東京事件以降、重武装化は目に見えて進んでいた。
デジタル庁の面々が高城、佐伯、紫苑、有栖を迎えてくれた。
そして作業を行うH&Cの技術者2人が続けてゲート前に現れた。
「H&Cの皆さん。今日は宜しく頼みます」
「はい、田中さん。打ち合わせ通りに」
サーバールーム責任者の田中と高城が挨拶を交わす。
「九条さん、入管カードを」
有栖は高城の指示で内ポケットの封筒をゲート横の警備員に渡す。
タブレットで透かしを確認。封を切る音が響きカードが返される。
なりすましと偽造防止のためだ。
入管カードをリーダーにかざすと通過音が鳴りゲートが開く。
その瞬間カードは色が変わりゲート通過に2度と使えなくなる。
エレベーターを降りた先の地下室。
サーバールームに通じる通路にも重武装の警備員が並ぶ。
スペアマグの数が籠城戦を想定していることを物語る。
重い扉を越えるとサーバーラックが規則正しく並ぶ。
ラックの間を冷却のための風が抜け、有栖の耳の奥には独特な風切り音。
鼻腔には樹脂と金属が温まる匂い。
「今更だけど、ここはめったに入れるものじゃないからね」
紫苑が小声で有栖に告げる。
高城は手順が書かれたA4用紙を片手に要点だけを簡潔に伝える。
「昨日も確認したが、手順はこの資料の通り。何もなければ1時間だ」
「もちろん、何も起きて欲しくないっすよねぇ~」
「佐伯の言う通りだが、何かあれば交渉は俺」
「KiloとSierraは連絡と物資担当~」
「私は皆のサポートですね」
「よし。皆、解っているな」
高城が確認をしたその直後に予期せぬことが。
ラックから耳を刺すようなアラート音が多重で鳴り響く。
警備員はMP5の銃口を少し高くする。
メンテナンス用PCには赤い三角とACCESS DENIEDの文字が踊る。
「……アクセス拒否?」
若いH&C技術者が素っ頓狂な声を上げる。
「落ち着いて、すぐに調べて」
ベテランH&C技術者が静かに言う。
「スイッチにハッキング!データは無事のようですが、向き先が変です!」
「何処に向いてるか解る?」
「いや、あの……、ちょっと……」
若い技術者はパニック状態になって手が動かない。
「ハッキングだぁ?おたくの機器のせいか!」
若いデジタル庁職員がハッキングの言葉に反応し怒鳴る。
「ハッキングを検出出来たのはウチの機器だからですよ」
「なんだと!このサーバーがなん……」
「サーバーが何か口にしたら、別の問題だぞ!とにかく流出を止めてくれ!」
ベテラン技術者はスイッチにドライバーを刺す。
通信状態を表すLEDが全て消えデータ流出が止まったことを知らせる。
現場には機器異常を知らせるアラート音だけが鳴っていた。
「何を……」
「非常時に回路をショートさせ、通信を切る安全装置です」
「そんなものがあるなんて、聞いてないが」
田中はH&Cの技術者に詰め寄る。
「非常用なので。ポートつぶして、データは全て保存してます」
「通信ログは追えるということですか?」
「はい。辿り着けるかは別ですが。とにかく最後は物理です」
静かにしていた職員が田中だけに聞こえる声で問いかける。
「AIの性能を測れる会話ログだ。中国か?もしやアメリカとか?」
「……やったのはどちらかだろう。こちらの対応力を見るのもあるが」
「田中さん、また忙しくなる。どちらにしろ俺等だけでは済まない」
「あぁ。それよりマズイ。今日はセキュリティ更新だ」
「15:00でドアが自動封鎖か。解除は数時間掛かるな」
「予備機がありますよね?」
「もちろんあるが、ダメだろうな」
「素人意見で済みません。機器交換ではダメですか?」
高城の問い掛けにベテラン技術者は何かを考えながら答える。
「……ダメだな、多分。中が書き換えられてる。手練れだな」
「それは……、機器交換では同じということですか?」
「あぁ。せめてファームウェアが違う機器でなければな」
キンっと音がするように場が凍る。誰もが時間を見積もる。
機器の搬入、設置、設定、検証。余裕はない。
「高城さん、ちょっといいかい。H&Cの技術者さんも」
田中が声を掛けラックの向こう側へ。
「さっきは済まなかった。我々が冷静さを欠いた。許して欲しい」
小声だが何とか聞こえる声が続く。
「……」
「……高城さん、状況は今話した通りだ」
「田中さん、15:00までにどうにかって、ことですか」
「済まん。15:00までに通信だけは復旧させないとマズイ」
「ただ、今だったのは不幸中の幸いか。……何とか頼む」
実務では相当なポジションの田中が頭を下げている。
理由は解らない。理不尽かもしれない。
ただやらなければならないのだ。
(……仕事ってこういうもんだって、父さん言ってたな)
有栖は妙に納得できた。
だが対策があるわけでもないのも事実。
そんなときH&Cのベテラン技術者が神妙な表情で静かに言う。
「……機械式ならハッキング出来ない。……試験機なら研究所に」
摩耗ゼロを狙ったDLCコーティングのカム。
ナノメートル精度で研磨されたギア。
熱膨張係数が極端に小さい新素材スプリング。
動作は機械的リンクのみ。
ナノ秒単位の電流波形の差を拾ってカムで増幅。
異常系の回路を物理的に切り離す。
ソフトウェアが入る余地がない。
ハッキング出来ないのだ。
理屈は簡単だが動く物を作ったのは狂気の沙汰だ。
「ただ問題が。研究所立入り、スイッチ持出し、そしてチューニング」
H&C技術者が挙げるのは現実的な問題だった。
「田中さん。外と連絡を取らせてもらって宜しいですか」
高城は田中が頷くのを確認して有栖に手で指示を送る。
有栖はスマートフォンとMagI/Oの電源を入れる。
すかさずイヴが反応する。
『有栖、何が起きましたか?』
『私の権限なら立入り、持出し、利用も可能です』
イヴの声はオープンモードで皆に聞こえる。
「え?イヴ!なんでっ!」
有栖は思わず声を出す。皆も同じことを思っている顔だ。
ただこの状況。考えは一致していた。
「でもイヴ。接続作業とチューニングは?」
『設計図を検索。……発見、参照中……』
『物理作業に人の手が必要。……シミュレーション開始。……完了』
『有栖であれば、これまでの生体情報データを元に支援可能』
『外部視聴モジュールの使用許可をください』
田中はイヴの提案を聞き大きな溜息を吐きうなだれた。
そして覚悟を決めて顔を上げ無言で高城に大きく頷く。
高城はわずかに目を細め口早に指示を飛ばす。
「九条、イヴのご指名だ。頼むぞ」
「は、はいっ」
「真壁、バイクの保険が効いた。九条と研究所へ」
「はい!九条、タンデムは久しぶりだね」
「佐伯、至急必要機材のリストを作れ」
「任せてください。高城さん」
有栖は皆の顔を見ながら思った。
(高城さん、普段はさん付けなのに呼び捨てだ)
(真壁先輩が眉間にしわを寄せてる。初めて見た)
(佐伯さんが任せてくださいなんて珍しい)
(みんないつもと違う。でも、出来ることをやるのは変わらないな)
有栖は短く息を吐き、自分に言う。
「大丈夫。ビビッてない」
『さあ、覚悟は決まりましたね。やりましょうか』
イヴが皆の背中に蹴りを入れる。




