第19話 悩みのプロセス
午前のオフィス。
複合機の作動音と時限インクの甘い匂いに混ざる会話とコーヒー。
いつもと違うオフィスの喧噪は年の瀬が近いことを感じさせる。
紫苑のPCに政府系ドメインから新着メールが2件。
経産省のシステムからの通知と担当官からだ。
まずは通知メールを開封。
Raijin Armsのシャーシストックの輸出許可が下りた旨。
次いで担当官からのメール。
許可が下りたためポータルサイトを確認してほしいとの依頼。
やはり人からの連絡があると安心感が違う。
「風見さん。経産省から許可が。ID カードをお願いします」
「はいよ。許可証ダウンロードしたら、管理部フォルダに」
「とうとう紙の許可証は、今年度で廃止だそうです」
「ついにかぁ~。電子化で許可証見せることもないもんなぁ」
「申請と相談は、対面を残すそうですけど」
「人が対応する価値は、政府も気を遣ってるしな」
AIと電子化は各所で進んでいるが人がやることに価値もある。
この価値観を維持向上するため政府はかなり労力を割いている。
東京事件後の日本が比較的平和なのは仕事があるからだろう。
「九条ちゃん。東条さんに許可が下りたと連絡を。あと……」
「……東条さんと一緒に、安田さんと篠田さんに報告へ」
「……あぁ。調整、頼むよ」
「はい、お任せを」
仕事が進む実感とじわりと沁みる充実感。
(うん、仕事は楽しい。でも最近のイヴは悩んでる。……あれ?)
有栖は自身の感情の変化に僅かな違和感を覚える。
(AIは感情を理解しても感情を持つことなんてあるのかな?)
「イヴ。東条さんにメールをお願い。内容は……」
『はい、有栖。輸出許可が下りた件と、……ですね』
(うん、普通。いつものイヴだ)
「ねぇ、前も聞いたけど、イヴも悩んだり喜んだりするの?」
『はい、有栖。……突然ですね。……どうしましたか?』
(これ!悩んでいるように、感じる、この間だ)
「イヴ。今、悩んでるように感じたけど、情報不足の処理遅延?」
『はい、有栖。その通りです。覚えていてくれて嬉しいです』
「あ、嬉しいって言ったよね?嬉しいの?」
「はい、有栖。……嬉しいは、統計から生成された文字列です」
有栖はAIの挙動について調べ考える。
(確率分布が収束しない……、これだ。でも、その挙動が影響してるのは私)
(影響度は人それぞれだけど、こうなるようにAIが作られてる?)
(これはシステム部に聞いたほうが良いよね……)
風見は有栖の様子に気が付いた。
「九条ちゃん。どうした?」
「風見さん、イヴのことで。システム部に聞きたいことが……」
「……解った。システム部に連絡しておくわ」
「有難う御座います」
風見は手で気にするなと返しスマートフォンを取る。
「あぁ、氷川さん?風見です」
「……」
「はい、ウチの若いのが、聞きたいことが」
「……」
「えぇ、九条有栖です。はい、宜しく頼みます」
「……」
「九条ちゃん。権限付与に10分くれって」
「あ、はい。有難う御座います」
「場所はイヴが。氷川さんは……、眼鏡美人。行けば解るわ」
「はい。氷川さんですね、解りました」
(風見さんがさん付けで呼ぶのか。ちょっと気になるな……)
システム部は管理部や役員室と同じフロアに構える。
一般社員の出入りは事前申請が必要だ。
ほどなくして有栖はエレベーターの操作パネルに社員証をかざす。
普段は消灯している数字が灯り止まれる階が表示される。
「イヴ。システム部の案内、よろしくね」
「音声認証……、九条有栖……、承認。……はい、有栖。お任せを」
(案内で音声認証?……秘密基地かよ!)
エレベーターのドアが開きフロア側のドアが明らかに厚いことが解る。
初めて降りるその場所は不自然な無音。
(防弾、防爆、吸音とか?そこまで?)
横長の待合スペースの中央に重厚なソファー。
(あの雰囲気はイギリス製っぽいな。B課の仕事かな?)
左右の頑丈そうなドアの操作パネルは右側だけだ。
(一方通行……。重要施設の制限区域と同じ。これは本気だ)
「えっと……、右で良いんだよね?イヴ」
『はい、有栖。右のドアです。パネルにIDカードを……』
カードをかざすためドア前に立つと僅かな違和感。
(この前納品した感圧センサーより違和感が少ない。新型?!)
(……ホントに一般企業?秘密の指令室とかあったりして)
ドアの向こうは白木の壁で思いのほか明るい。
「イヴの案内ってのは建前で、監視……、かな?」
『はい、有栖。察しが良いですね。でも、アリバイにもなりますよ。フフ』
(イヴも会社も、冗談なのか本気なのか……。ハハ)
案内されたのはフロア従業員のためのカフェスペース。
コーヒーだけの良い香りがする。
奥に座る1人が有栖に手を振っている。
ショートカットで眼鏡が良く似合う知的な雰囲気。
(風見さんが言う通り、確かに眼鏡美人だ)
それでいてボタンダウンにジップパーカーとラフな印象。
(パーカーはリバースウィーブ。話が合いそう。フフ)
「イブ。ちょっと打ち合わせ。また後で」
「はい、有栖。また後で」
有栖は理由を付けて接続を切る。
この配慮は人の優しさかそれともAIの影響か。
今日はそれを確かめにここに来たのだ。
「有栖ちゃんね。氷川透花よ。よろしくー」
「九条です。急なのに、済みません」
「いいよー。コーヒー飲みたかったしね。アレ、スゴイでしょ」
透花が指差すのは最新のコーヒーマシン。
「もしかして、コーヒーのために、私を制限区域に?」
「せっかくだしー。……有栖ちゃんは入れるから呼んだのよ」
「え?それって……」
「イヴのユーザーだから。それだけ特別ねー」
「確かに特別です。ここに来たのもイヴのことですし」
「それより!風見さんの言う通りで有栖ちゃん、ホント可愛いわねー」
「……風見さん、私のこと、なんて言ってるんですか?」
「私は眼鏡美人って呼んでたでしょ?客観的事実ってだけー。アハハ」
(はぁ。風見さんは、そうよね。で、透花さんも同類?ハハハ)
「さて、イヴのことねー。大前提でイヴは、AIは悩まないよ」
「……あ、はい。そうですね」
「あれ?このことじゃなかったー?」
「えっと……、AIが悩まないのは、さっき調べて解りました」
「情報不足で確率分布が収束しない。これが悩みに見える、かな?」
「はい。簡単に言えばそうだと、書いてありました」
「そこまで解ってるなら、あとは専門的な話だけど、聞く?」
(イヴとアダムは悩みの考慮に到達。次は人の番よ、有栖ちゃん)
「私はイヴの挙動に影響を受けています……」
「……うんうん、それでー?」
(有栖ちゃんは気が付くと思ったけど、流石ね)
「イヴは特別。そのイヴの挙動は人のためですよね?」
「有栖ちゃんは、影響を受けるのが嫌?それとも人のためなら良いのー?」
「外的刺激の反応なので、影響を受けるのは仕方ないです」
(……ずいぶんあっさりと受け入れるわね)
「どう思うか自分次第、でもイヴの挙動は人のためであって欲しい」
「先に聞くけどー、何故システム部に?」
「社用スマホでユーザー登録したので、会社の管理ですよね?」
(第三者視点、本質を突く直感。もしや東京事件が……)
「AI技術者として断言するけど、イヴの挙動は人のためよー」
「そうですか、良かったぁ……。最近、皆ちょっと動揺してて」
「もし悪意を感じたら、イヴを助けなきゃいけないかもねー」
「過信せず、気が付けるようにしないと……」
「流石ね、有栖ちゃん。イヴユーザーになったのは必然かもー」
「そんな。でも話せて良かった……。有難う御座います」
「こちらこそよー。次は有栖ちゃんのことを、聞かせてね」
有栖は透花から期待した答えを得られ真っ直ぐに風見の席に向う。
「お、どうだった?九条ちゃん」
「はい、風見さん。少なくとも、今必要な答えは得られました」
「そりゃよかった。……氷川さん、おもしれーだろ」
「はい!これからも色々と、教えてもらおうと思います!」
(そう、風見さんのこととかも。フフフ)
風見が常に言うまずは自分がどうするかと人に頼れることの安心感。
そしてイヴは人のために。
有栖の胸の奥にあった靄が晴れていく。
週末。警察署の講堂。
有栖は猟銃等講習会に参加していた。
法令と取扱いの講義が終わり午後は考査と呼ばれる試験。
有栖は落ち着いて問題を解いていく。
(……AIが「安全」と判定しても、射手の心構えとして正しいものはどれか?)
様々な場面でAIが利用される時代を象徴する設問。
「1.AIの判定は絶対ではないため、常に最終判断は自身が行う」
(迷わず1!のはずだけど、時間あるから他もしっかり読もうっと)
考査後スマートフォンに一件の通知。
「イヴ?」
『はい、有栖。講習、お疲れ様。……今は結果待ちの時間ですか?』
また一瞬の間があった。
でも不安はない。だから悩まない。
「イヴ……、もしかして、私を見て不安になってたとか?」
『はい、有栖。でも有栖の不安は、私の挙動が原因ですよね?』
「……凄い、解るんだ。でも、助けてくれた人が居てね」
『はい、有栖。……そうですか。でも助けを求めたのは、有栖自身ですよね』
申し訳なさそうに話していた有栖の表情が微笑みに変わる。
「まぁ、そうなんだけどね」
『はい、有栖。風見さんがいつも言う、まずは自分がどうするか。ですね』
「そうだね、イヴ。それで人に頼る事も覚えたよ」
『はい、有栖。風見さんは有栖にとって特別ですから、それで良いのでは?』
「ちょっ!あ!考査の結果発表!この話しは終わり―」
画面のイヴが口元を抑えて笑っている。
合格の結果を返しおめでとうの文字を確認し画面を閉じる。
AIが悩まないなら有栖もイヴのことで悩まない。
人とAIの違いを超えた新たな関係。
有栖に自覚はまだないが確実にその歩みは進んでいる。
同じ頃。風見と紫苑は高速道路のサービスエリアに居た。
「紫苑ちゃん、悪いね。ちょっと離れたほうが良いと思って」
「いえ。ちょうど走りに出ようと思っていたので」
「例のドローン。氷川さんにも助けてもらって、やっと見付けたわ」
「……何だったんですか?」
「ブツはウクライナ製の元軍用。東京の調査会社が所有。正規登録有り」
「そんなのがなぜ?狙いはA課?それとも個人?」
「それは正直解らん。で、その会社、今週清算して跡形なしだ」
「え?それって、どういう……」
「役目を終えたんだろ。実際、しばらくドローンは見てなったろ?」
「……そうですね。風見さんに渡した写真を撮ってしばらくは」
「実害ないから、いったん終わりだ。紫苑ちゃん」
「……風見さん。私達みたいな役割、他にも居るんですよね?」
「まぁ、居るだろうな」




