第15話 気付いちまったよ。
朝の始業前のオフィスは人がまばらで複合機はまだ眠っている。
混ざり物のないコーヒーの香りが良い時間。
有栖の近頃の日課はMagI/Oを介しイヴとニュースを読むこと。
「……イヴ、アフリカの内戦、前より記事が増えたよね?」
『はい、有栖。戦闘が増えています。理由は不明ですが……』
「現実から目を逸らすな……、か。イヴ、何か明るい話題は?」
「はい、有栖。近々ヘリテイジがアップデートするそうです……」
有栖は記事に対する様々な視点をイヴから。
イヴは記事に対する人の感情を有栖から得る。
双方にとって有意義な時間。
「九条、おはよう。今日もイヴと社会勉強?」
「あ、お早う御座います。はい、イヴは色々な視点を見せてくれて」
紫苑はハンドサインを有栖に返し他の課の島に歩いて行く。
「あれ?先輩、昨日までと感じが違う。……凄くイイ女だ」
『有栖。真壁先輩はとても美人ですが、有栖もかなりのものですよ』
「ちょっ!イヴの声、周りには聞こえてないよね?」
『はい、有栖。大丈夫です。それと美人の件は、客観的事実です』
「あ~、はいはい。でも、声も明るかった感じ。イヴもそう思わない?」
『はい、有栖。過去の観測データと比較して、数値上の違いはありませんが……』
「え~、観測って……」
『はい、有栖。データから呼吸の違いが。有栖も観測していたのでは?』
「イヴ、人は観測って言わないよ。それは気になるとか心配、だね」
『はい、有栖。……気になると心配。記録します』
「そうか、でもイヴも気付いてたんだ。なんで教えてくれなかったの?」
『はい、有栖。……質問されたので答えました。それは人とAIの違い』
「人とAIは別物だけど、その違いって?」
『はい、有栖。人の声を人とAIが聞くのでは、社会的な意味が違うからです』
「……人は雰囲気の違いを感じ、イヴは数値の違いを認識して。みたいな?」
『はい、有栖。その違いもありますが、もっと心理的なものです』
「心理的。……人に聞かれるのは良くても、AIだと監視と感じる。とか?」
『はい、有栖。それです。でも、人はAIに意識を求めることもあります』
「存在しないのに、存在していることに、人は出来るから?」
『はい、有栖。その感情は、興味深いところです』
有栖はイヴが人の感情に興味を持った理由を考えた。
それはイヴの人への興味と対になる有栖のイヴへの興味。
これは人とAIの関係が相互に新たな局面を迎えた瞬間。
「フフ、イヴ。人の感情に興味を持つと言うことは、恋もするの?」
『はい、有栖。……どうでしょう。有栖は恋をしているのですか?』
「……あ、あれ?イヴ!もうこんな時間!続きは明日ね!」
(危なかった……。気を付けないと……)
午後は人の出入りが多くなる。ランチから仕事の時間に変わる合図。
「風見さん、頼まれていた提案資料です。確認を」
「お、九条ちゃん、早いね。助かるよ~」
風見のいつもの口調だが有栖はそのいつもの口調に心が揺らされる。
「あぁ、悪ぃ。これの確認が先なんだ。見たら声掛けっから」
「え、あぁ、はい……。解りました、お願いします」
(はぁ……、落ち着け、私。ロングアクション、ロングアクション……)
有栖は自席に戻りMagI/Oを介しイヴと仕事に戻る。
[発汗、呼吸と心拍数上昇。現在平常値。観測データ参照。類似データは……]
しばらくして風見が有栖の資料を手に取る。
「九条ちゃん、今見っから、ちょっと待っててなぁ」
「は、はい!お願いします!」
思わず返事に力が入ってしまう。
資料を読む風見の声は聞こえない。
それでも口の動きページを捲る指先を追ってしまう。
『……有栖、私の声は誰にも聞こえていません。だから安心して』
「え?イヴ、どうしたの?」
『はい、有栖。呼吸と心拍数上昇。……風見さんが気になりますか?』
「え?ちょ……」
『……声が、聞きたいですか?』
有栖はイヴの問い掛けに驚きと動揺を隠せなかった。
「え!なんで?何も言ってないし!外部視聴モジュールだって……」
『はい、有栖。入力用マイクは指向性があります』
「ちょっと、待って……」
『……網膜投影ディスプレイは視線追尾機能があります』
動揺していても有栖は状況を理解しゆっくり返す。
「でもイヴ。真壁先輩のときは、私が質問したから答えたって……」
『はい、有栖。先程は。でも今は天の声が聞こえ、提案しました』
「……。いやいやいやいや、それはダメ。少なくとも、後にしよう」
短い沈黙。
天の声が何かは気になったが話題を切り替えることにする。
『はい、有栖。……解りました。この話しは後で』
「九条ちゃん。これ、スゲー解り易いな。ホント助かった」
風見の言葉に有栖はたった今切り飛ばした感情を引き戻される。
嬉しさが胸の奥から染み出し喉に詰まって言葉が出ない。
「……は、はい。その、ありがとう……ございます」
精一杯の平常を装いいつものように返したつもりだった。
それでも頬が熱くなり口元が緩んでしまう。
イヴが網膜投影ディスプレイでバイタルデータを浮かべる。
『有栖、呼吸と心拍数上昇。呼吸が浅く、先程の症状ととても似ています』
「イヴ。この話はあ・と・で!」
『はい、有栖。……この話しは後で』
顔を上げると紫苑が資料を片手に風見と話していた。
仕事の会話に時折混じる軽口に紫苑が明るく笑う。
気持ちに反したものではない素直な笑顔。
「……イヴ。真壁先輩、学生の頃にレースクイーンをやってたってね」
『はい、有栖。このバイクに跨っているときの笑顔、とてもキレイです』
「ちょっと!どこからこんなものを?って、ネットで見れるの?」
『はい、有栖。ネットの公開情報です』
「……ホントだ。バイクに跨った写真。今日の笑顔と同じで凄くキレイだ」
『有栖、風見さんも真壁先輩も、声のトーンとピッチの数値が……』
「イヴ!ストップ!それと人と人の関係に、数値は向かないかな」
肌で感じる雰囲気とバイタルの数値情報。
どちらも確かに存在しても同じではない。
(解らなくて困ることもあるけど、数値で測らないから良いのかも。フフ)
夜のオフィス。
フロアにほとんど人は居らずPCのモニターが所々光るのみ。
紫苑と有栖は区切りの良いところまで仕事を進めて帰ることにしていた。
風見が声を掛けるが2人から姿は見えない。
「紫苑ちゃん、九条ちゃんも。期日のものはなかったろ?金曜の夜だよ~」
「もうすぐ終わりますから」
「私も、この資料、あと1ページで完成なので」
紫苑も有栖も穏やかに答える。
「まぁ、助かってるのは事実なんだが、上司のオレの顔も立てといてな~」
風見はいつものように飄々と返す。
いつもならこれで終わる風見の言葉は今日は違った。
「そういうとこが、好きなんだけどね~」
風見の言葉が有栖と紫苑を掠めていく。
そのとき有栖も紫苑も呼吸が乱れ視線は彷徨い指先が止まる。
短い静寂。
有栖は恐る恐る紫苑に目を向けるが紫苑は既に有栖へ視線を向けていた。
優しく穏やかな顔で。
(……風見さんと話してたとき、レースクイーンのとき、今も同じ顔)
そして風見の言葉に自分と全く同じ反応。
その頬にはわずかに紅が差していた。
紫苑の優しく穏やかな表情を見て有栖は悟り思わず笑った。
「ハハハ……、真壁先輩、あんたもかよ!」
紫苑も笑って返す。
「そう。私もよ。フフフ……、アハハハハ」
[人と人は、雰囲気を感じ、問い掛けの判断を行う。数値だけに頼らない……]
雰囲気や場の空気が人にとって大事なことにイヴも理解を深めつつあった。
イヴが有栖に静かに告げる。
『観測結果、対象2名、呼吸と心拍数上昇。状態が非常に似ています』
「イヴ。それは観測じゃなくて、気付いちまったよって言うんだよ」
『はい、有栖。……気付いちまったよ。ですか?』
「そう。気付いちまったよ。フフ」
『はい、有栖。……私は超高性能AIですが、解らないことがまだ沢山ありますね』
「人だって解らないんだから、解るもんか。アハハ」
紫苑には有栖の声しか聞こえない。
でもイヴと何を話していたのかは理解しまた笑う。
2人の笑い声が週末のオフィスに静かに響く。
そのとき、佐伯と高城が営業先から戻ってきた。
「あれ?まだ居たの?っていうか、……何か良いことでもあった?」
「あら、佐伯さん、鋭いですね。ねぇ九条。フフフ」
「え?あぁ、そうですね。フフ」
「あれ~、なに~?」
「高城、翔太、ご苦労様。上手くいったようだな」
「はい、風見さん。来週、見積依頼が来ます。今回は佐伯の大手柄です」
「よし、報告書は来週でOK。早く帰んな~。紫苑ちゃんと九条ちゃんもな~」
風見は何も気付かず手を振りエレベーターへ向かって行った。
「ねぇ、お二人さん。夕飯まだでしょ?ラーメン食って帰ろうよ」
「イイですね、ラーメン。どこ行きましょうか?」
「じゃあ駅前の。あそこのBox席、個室みたいでイヴも参加出来ます!」
「よし、1杯くらい飲んでいくか」
『こういうときは、私はお酒に弱くて。と言えば良いのでしょうか?』
「アハハ!そうそう!」
有栖と紫苑はお互いを知った。
イヴは新たな知識を得た。観測ではなく感じると言うことを。




