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長安幻晶録~仮面の侠客と少女と道士~  作者: 米俵猫太朗


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銀翼蝙吉、水に飛び込む

 一日で成慶(せいけい)へ着くとの宣言通り、その日の夕刻前には幻晶侠(げんしょうきょう)の瞳は故郷の街を捉えた。赤く染まる四川の商都を目にして光は目を丸くする。


「これが幻晶侠の旦那のふるさと……随分と3Dでやんすね……」

「すりーでぃー?」

「えっと、立体的ってやつ」


 光は両手を縦に動かす。整えられた街路が横に大きく広がる長安と異なり、成慶の街は山間部に位置し中心部ですら高低差のある建物が組み合わさって複雑な構造になっている。既に街の高所は銀翼蝙吉(ぎんよくへんきち)よりも高い位置にある程だ。


「ああ、そうだ。それ故、俺も悪党も動き易い。痛し痒しだな」


 幻晶侠は苦笑いし事情を語った。街の複雑さは官吏による管理を難しくし、悪党に潜む場所や逃走経路を多く与える。また土地の高低差は住環境の差を生み犯罪の温床ともなる。

 まして成慶は塩都であり、塩の売買で非常に栄えている。富が生む光が眩しければ眩しいほど、生じる影も深い。


 一方で軽功を良くする幻晶侠にとって成慶は非常に動き易い土地でもある。そして彼の義侠としての活動を支える資金は簫家の商売から抽出されている。


 そういった背景は、成慶の建物同士を結ぶ空中廊下以上に入り組んでいるのだ。


「なるほど。そう言えばパルクールの発達も、パリ郊外のごちゃごちゃした団地と貧困が関係してた筈でやんす」

「ぱるくーる……光が地下で見せた軽功か?」

「よく覚えているでやんすね!?」


 両者が語っているのは踊り子が長安の暗渠で披露した軽業の事だ。光にとっては踊りの動きの一部でしかないが、幻晶侠にとっては未知の技術である。心に留めない筈がない。


「俺が知っているどの流派の技も、内力も使用せずに高所へ登っていただろう? 気になってな」

「流派でやんすか? いやあっしもショート動画で見たのを真似した程度だからな、特定の流派って訳でも……」

「誰にも師事せず、見様見真似か!? 光は才女だな」

「いやっはっは! けっこう着地に失敗して、痣だらけになったでやんすよ!」


 貴公子に褒められては少女も悪い気はしない。謙遜するように手を振っていたが、ふと途中で気づく。


「着地と言えば……この銀翼なんとかの着陸も難儀そうでやんすね……」 


 光は成慶を見下ろして呟く。この一日で飛行に慣れた彼女にとっても、銀翼蝙吉での着地は未経験である。まして眼下の街は入り組んだ地形をしており、広く安全そうには見えない。想像してしばし恐怖に身を震わせた。


「そうでもないさ。まあ多少、濡れてしまうかもしれんが」

「濡れ……びびって漏らしたりはしないでやんす! 女の子になんて事を!」


 彼へ向けて、彼女は顔を赤くしながら拳による攻撃を試みた。しかし今度もその一撃は空を切る。己で己を銀翼蝙吉の本体へ縛りつけていた事による、稼動域不足が原因だ。


「くっ……じゃまなロープめ!」

「よく分からんが、繋がったままの方が良いぞ」

「繋が……誰とでやんすか! エッチは話は禁止……わっ!」


 幻晶侠は光が言い終わる前に、機体を斜めに傾げて銀翼蝙吉を加速させた。行き先はなんと、成慶の崖から落ちる滝の中程だ。


「わっわっ、滝にぶつかるでやんす!」

「口を閉じろ、水を飲むぞ!」


 その言葉が終わるとほぼ同時に、銀翼蝙吉の舳先は滝を割った!




「うわあああ……えっ!?」


 光は自分たちが岩壁に衝突してぐしゃりと潰れる様を想像し悲鳴を挙げた。だが予想した衝撃は訪れず、代わりに暗闇とひんやりした空気が彼女らを包む。


「暗くて冷たい……あっしらは死んだでやんすか?」

「そうだとすれば、俺たちは同じ墓に入れられた事になるな。祝言(しゅうげん)も挙げていないのに気の早い事だ」


 一方、貴公子には少女をからかう余裕がある。彼も賢明な読者もご記憶の通り、ここは死後の世界ではなく「穴」への進入路であるから当然ではあるのだが。


「しゅうげん? しゅう……終限……やっぱり終わりだ!」


 だがただ一人、それを知らぬ光が絶望の声を上げた。


「ああ、終わりだ」


 幻晶侠は前を向いたままそう告げた。仮面を通した彼の目には、空の旅の終わりの地点が見えていたのだ。洞穴は狭く旅程の最後は細心の注意を要する。説明の暇は無かった。


「あれ? 光が見える……」


 一方、光の目にも宙に浮かぶ幾つかの灯りが映っていた。左右均等に並ぶそれは、銀翼蝙吉の進路を誘導

するように位置している。


「降りる。舌を噛まないよう、口を閉じていろ」


 その誘導に従って機体を操縦した幻晶侠は、最後に一言忠告すると空飛ぶ乗り物を洞穴の湖へそっと着水させた。




 幻晶侠の計算は完璧で、水に浮かんだ銀翼蝙吉は勢いを殺しながら湖面を進み、ちょうど岸に設けられた桟橋の所で停止した。


「ここは洞窟だったでやんすか!? 滝の裏の洞窟、地底湖……秘密基地だ!」


 水面を進んでいる間に光は仮面を外し、その眼で直に周囲を見渡して感動したかのように叫ぶ。


「理解が早くて助かる」


 幻晶侠のこれはもちろん皮肉だ。だが光は気づかない。いそいそと縄を解くと銀翼蝙吉から一跳びで桟橋に移り、あたりを駆け回る。


「他にも船が幾つもある! あっちは武器庫であっちは……地図があるから作戦室かな? つまりここはバットケイブでやんすね!?」


 異世界の少女が実況した通り、行灯に照らされた湖には大小の船が浮かび、洞窟には複数の小部屋があった。


頸部(けいぶ)というよりは頭部であり心の臓でもあるのじゃ、小娘よ」


 と、そんな低い声が小部屋の一つから響いた。



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