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長安幻晶録~仮面の侠客と少女と道士~  作者: 米俵猫太朗


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師匠、登場する

 現れたのは斐洛(ピルロ)。読者もご存じ幻晶侠(げんしょうきょう)の不男不女の師匠である。今日は女の気分らしく金髪を結い服装も艶やかな赤いスカートだ。


「師父、ただいま戻りました。簫雨(しょうう)がご挨拶を申し上げます」


 幻晶侠は仮面を外し彼女に向かって拱手した。斐洛はその礼を受けながら、碧い方の眼を光へ向けた。


「師父、こちらは特異な仙界からきた踊り子、(ひかる)です。光、この方は俺の師匠、『鴛鴦王(おしどりおう)』こと斐洛。ご挨拶を」


 簫雨は両者を紹介しながら、光を促した。少女はおずおずと見様見真似で拱手(きょうしゅ)をする。


「ど、どうも。ダンサーの光でやんす。雨さんにはお世話になってます」

「異世界から来たじゃと? また面白いものを拾ってきたもんじゃな」


 斐洛は口に手を当てて笑いながら、背後の小部屋から椅子を二つ取り上げ投げてよこす。


「うぃ!?」


 内力が込められたそれは、まるで羽毛の様にふわりと飛んで簫雨と光の前に音も立てずに着地した。峨眉派(がびは)の達人のみがなせる神業である。


「座れ。そして話すがよい」

「え? 今のワイヤー!? てかすみません……」



 光は腰掛ける動作の途中で、そっと簫雨に耳打ちする。


「お師匠さんって声が低いでやんすね……。もしかして男性?」

「師父は陰陽合一体(いんようごういったい)だ。そうか、そちらの世界では見た事がないから挙動不審だったのだな」


 貴公子は答えつつ頷いた。いつも快活な光が師を前にやけにおどおどしていた理由に納得がいったのだ。


「いんようごういったい? いったいそれは何でやんす?」


 だが少女は納得していなかった。訊ねる声も思わず大きくなってしまう。


「陰陽合一体とは雌雄が一つの身体で均衡している事じゃ」


 最初の耳打ちから聞こえていた斐洛は、そこで腰の帯を緩める。


「しゆう? きんこう?」

「ほれ」

「きゃあああ!」


 師匠は着物の前を開き、豊かな乳房と逞しい逸物を晒け出す。それを見た光は首もとへ落ちて襟巻きのようになっていた、例の髑髏の布を引き上げ己の眼を隠した。


「か、隠すでやんす!」

「なんじゃ? 未通女(おぼこ)か?」

「どうもそのようで……」


 光の慌てた様を横目に簫雨は笑った。これまでの付き合いで彼女のこういった時の行動に慣れているのもあるが、眼を覆っている布がぞんがい薄い物であるのに気づいたからでもある。


 つまるところ、光は眼を覆っているが実は見ているのだ。


「ふむ。見たところ十七、八といった所か? それで処女とは……そういう仙界なのだな」

「じゅうななせんち!? そんなにあるでやんすか……」


 斐洛が言っているのは光の年齢であるが、光が何に言及しているのかは師弟には分からなかった。首を傾げながら師は服装を直し、弟子は口を開く。


 簫雨は光との出会いより前、己が長安へ着いてからの事を、一部省きながら語り始めた……。




 全てを話すには茶を三杯飲む程の時間がかかった。茶を用意したのは師の方で、若者二人がそれを頂く形だ。湯を注ぎ、椅子に腰掛け、優雅に茶を嗜みながら耳を傾ける姿はまさに西方の美姫の様であり、光は簫雨の語りを聞くよりも斐洛を見る事に全力を注いだ。


 いずれにせよ、貴公子の話は既知の事ばかりではあったが。


「かかか! 危うく徒手で帰るところが、光女侠のおかげで助かったといった様子じゃな」

「面目ない……」


 斐洛に笑われて簫雨は顔を赤くした。閻禍王(えんかおう)の首も持たず、来るべき時に趙思浚(ちょうすしゅん)や孫悟空と戦う武器も手に入れずに帰ってきた。正に師の言う通りである。


 一方で光という独自の見解と経験を持つ少女を味方に引き入れ、別の死体を手に入れるという目的もある。冷静に見れば、さほど悲観的な状況でもなかった。


「あの、次はそちらの話をして欲しいでやんす……」


 と、斐洛が足を組み替える度にそっと眼を向けていた光が手を上げた。


「ワシの話か? 確かに気になっていたようじゃのう」

「はい。えっと、結局お師匠さんはノンバイナリーってこと?」

「ああ……」

「ん?」


 少女の質問に奇妙な間が空く。それを最初に破ったのは簫雨だった。


「申し訳ございません、師父。光は時に……いやしばしば奇矯な事を言いまして」

「いや、何となく分からんでもない。二つに定まらない……つまりワシの性か瞳の事をノンバイナリーと言っておるのじゃな?」


 斐洛は己の左右の瞳、碧と金に光る眼を指さす。


「な! まだそこを気にしていたのか?」

「いっ!? 分かるでやんすか!?」


 落ち着き払った師とは裏腹に、若者二人はそれぞれの意味合いで驚いた。


「完全に分かる訳ではないがの。そう言った言葉遣いをヴェネチアで聞いた記憶がある」

「そうそれ! お師匠さん、中国……唐じゃなくて、もっと西の方の出身でやんすよね?」

「そうじゃかそうではない」

「はい?」


 斐洛は両手を広げて肩をすくめた。


「左様。ワシは西域よりも更に西、砂漠を越えオリーブの山を越えた都市から来た者じゃ。しかしオヌシの師ではない」

「ああー! またまたこの問題きたよもう!」


 光はまだ被っていた帽子を脱ぐと、赤い髪を掻き毟って言った。


「あっしは光でもじょきょうでも好きに呼んで貰って結構、貴方はなんと呼べば良いかズバッと決めて欲しいでやんす!」

「そうか。ではかつて港町の男たちがそうしたように、ワシを『アンジェラ』と呼んで貰おうかの。オヌシは『ルチア』じゃ」

「はいい?」


 その言葉に意表を突かれたのは光だけで、簫雨はまた始まった……とばかりに茶を呷った。


「アンジェラにルチア!? なんか急に昔の少女漫画的に……」

「悪いか?」

「いや、ツッコミは後でやんす! じゃあそういう事でアンジェラの話を!」


 光はそう言って先を促した。それから斐洛が始めた話は、『アンジェラの物語』に留まらない内容であった。

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