骨、周囲を囲む
彼女の姿を見るのは、光にとって二度目である。一度目はあの 橋の上で。欄干に身体を預け血を流していた遺体としてだ。往事は目を背けたくなる光景な上に幻晶侠と趙思浚の衝突があった。直視したとは言い難い。
だが今は違った。瑞妓は目を引く姿で台に腰掛けていた。黒く長い髪が下に流れ、豊かな胸の頂上を隠して臍の上の高さまで伸びている。足は自然に組まれ鼠蹊部を隠し、細い足首の揺れは振り子の様。
それらの上に嫣然と微笑むのは美しくも挑発的な瓜実顔である。男女どちらの目を引くかと言えば確実に、男達の目の方であろう。
「フランケンシュタインしてんすね……」
光は男たちにそう呼びかけ、瑞妓の胸部を指で差した。針と糸で手荒に縫い止められた胸を、である。
「腐乱? 腐るほどの時は経っておらぬが?」
「汝、瑞妓なりや! 汝を蘇れし我が問いに答えよ。我は趙思浚なり!」
簫雨は光に、趙思浚は瑞妓へ言葉を向ける。だが異世界の踊り子は神医の方へ反応した。
「いや閣下、舌が無ければ喋れないでやんすよ?」
「一人一怪の巫医閣下さま……。こちらもおしえて欲しいことがありんす?」
女の声は、喉の奥から聞こえた。
「あい? 舌が無いのに喋った!?」
「何だ? 言ってみろ」
驚く光に比べて趙思浚はやや落ち着いた声だ。だが声に警戒の色が含むのは隠せない。
「昨日はたくさんひとを救いましたかえ?」
「それがどうした?」
「既に日はかわりました。ほんじつは妖怪をすくう日にありや?」
瑞妓の話し方は妓楼の女のそれである。だがそれに収まり切らぬ不気味な響きがあり、口よりも喉で話しているかの様であった。
「子時の鐘は鳴った。確かに妖怪を救う日になってはいる」
「ねときのかね?」
「日を跨いだ事を告げる鐘だ。光は夢の中で聞いてないだろうが」
その言葉にまた皮肉が続くかと光は身構えたが、簫雨は女を睨んだままであった。
「そんな夜中に鐘を鳴らして大丈夫でやんすか……。昨今は除夜の鐘ですら、苦情がくるのに」
「それはよい事をききました。ならばすくって下さいまし」
「何故だ? お前は落命したとは言え人であろう?」
別の事を気にかけていた光は、後に続いた瑞妓と趙思浚の会話に寒気を覚えた。
「はらがすいて仕方ないのです。喰わぜでやっでぐだざいまじ!!」
舌足らずな妓女の言葉が、最後は低く嗄れた声へ変わった。同時に瑞妓の顎が大きく開き、喉の奥に赤く光る双眸が浮かびあがる。
「罠か。反魂の儀式を見越して死体に妖怪を潜ませていた、と」
「孫悟空、やれ!」
「キキー!」
自嘲するように笑う簫雨の横で、趙思浚が叫んだ。仙猿は主の命に応え咆哮を上げながら瑞妓へ殴りかかる。
「あら、ひどい。そんな太いものであちしをどうするおつもり?」
だが拳は届かなかった。化け物は直前で瑞妓に戻り、しなを作って孫悟空へ呼びかけたのだ。
「キキキ?」
「そうよ。たのしむ方がよくない?」
「孫悟空! 女の話を聴くな!」
趙思浚は印を組んで方術で大きな鐘を作った。それを孫悟空の頭に被せて声を遮断しようとする算段である。
「思浚、駄目だ!」
だがそれは罠であった。巨大な方術の鐘が趙思浚の視界を塞いだ向こうで瑞妓の口から巨大な骨の拳が飛び出し、孫悟空を殴りつけたのだ。
「キキキー!」
吹き飛んだ大猿は主の作った鐘を巻き込み、壁を幾つも突き破って気を失う。
「うわぁ! ごくうさ! 大丈夫でやんすか!?」
「仙猿はそう簡単にくたばらんが……」
簫雨は両手を握り開きしながら、孫悟空の向こうに広がる闇へ目を凝らしていた。
「しくじりました!」
「思浚、急げ」
簫雨に急かされるまでもなく神医は新たな術を詠唱し始める。
「なにをしくじったでやんす? あの、女の人から出てきた骨たちよりヤバイ感じ?」
男たちの様子が解せぬのは光である。踊り子の言う通り瑞妓の口からは拳に続いて大きな骨の化け物の全身が、そしてそれよりは小さいが骨だけの姿の化け物が次から次へと現れているからだ。
「あちらはただの白骨精だ。だが孫悟空の向こうの壁で封じられているのは……いや、正しく言えば封じられていたのは、格が違う怪どもだ」
簫雨の言葉通り、壁の穴の向こうには不定形の影が何体か集まり、凄まじい妖気を放っていた。
「何でここにそんなヤバ目な奴らがいるでやんす!? ここって偉い人のお城でしょ!?」
「禁城はもっとも結界が強固な場所なのです。しかもその上に帝の龍気がある。三千世界牢の術式の中央に龍気から降りる経路を築き……」
「説明は後だ」
簫雨は趙思浚を遮って右手を彼の方へ差し出す。
「結界の補修を急げ。白骨精の方は……何か聖剣宝貝の類を貸して貰えれば、数分は持ちこたえよう」
「護符が三十枚あります。それがあっても雨兄の拙い武技では倒すには至らないでしょう。身をお護り下さい」
その言葉と共に渡された護符の束は、簫雨から光の手へ速やかに渡された。
「拙い……武技でやんすか。そんで何故あっしに?」
「思浚の前では俺は、太極拳の初歩的な練功しか知らぬ事になっている。光は俺の背後にいて随時、残り枚数を教えながら護符を渡してくれ」
巫医閣下が十分に離れたのを確認してから、簫雨はそっと光に告げた。
「た、太極拳!? あっしらのチームがたまに練習してる公園でお年寄りがやってるやつ!? それで戦えるでやんすか!?」
「ほう。光の世界では武当派がそこまで広まっているのか」
「いや感心している場合じゃねえでやんす!」
彼女の言う通り、簫雨たちの周辺には骸骨の化け物たちが迫りつつあった……。




