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貴方も私が嫌いでしょう?  作者: 紺野菱


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6/9

6、初恋

はずれくじを引いてばかりなベルの人生にも、確かに幸せな瞬間というものがあった。

今から約五年前、母の母国である帝国へ旅行へ行ったときのことだ。

十三の誕生日を迎えたばかりだった当時のベルは、王国の外にさえ出れば自分は普通の令嬢として生きていけるのだと思っていた。

帝国に希望を抱き、数年かけて帝国語を学び、ついに念願叶っての旅行だった。


だが現実は非情なものだ。

よくよく考えてみればベルには帝国と仲の悪い王国の遺伝子が刻まれているわけで、帝国民には王国の怪物と罵られるだけだった。

母の家族、街行く人々、露店の売り子から乗り合い馬車の御者に至るまで、ベルを指差して消えろ消えろと繰り返した。


王国にいれば化け物。

帝国にいても怪物。

ならば、自分はどこへ行けば人間になれるのだろう。


旅行初日にしてベルは絶望の底にいた。

朝は期待に満ち溢れていた瞳が時間とともにその輝きを失い、足はどんどん重たくなっていく。

日が暮れて人通りも殆どなくなった頃には、公園のベンチで放心していた。


だが、そんなベルにも優しく声をかける人物が現れる。


『ねえ、君も旅行に来たの?』


猫っ毛が印象的な、笑顔の眩しい少年だった。


『ええ、そう、旅行に。』


人間と初めて会話らしい会話をしたベルは、戸惑いのあまり上手く口が回らなかった。

驚きと、感動と、歓喜と、その他たくさんの感情が()()()()になってベルの中を駆け巡る。


『僕も。あっちに別荘があるんだ。暫くはここにいる予定。』

『私は、今日から十日くらい……。』

『へえ、そうなんだ。あ、僕はフィリップっていうんだけど、君は?』

『……ベル。』

『ベルか。いい名前だね。ところで明日、予定ある?』


翌日、彼と待ち合わせをして、有名な観光スポットだという花畑に行った。

周囲の人間に顔が見えないよう大きな帽子を被って、あっという間に終わる一日を楽しんだ。

次の日も、その次の日も、そのまた次の日も、フィリップと一緒に過ごした。


彼はある貴族家の長男だそうで、ベルに対しずっと紳士的に接していた。

こちらが上手く喋れなくても嫌な顔一つしないし、細かな気遣いも忘れない。

ベルのことを可愛いと言って、笑いかけてくれる。

まだミアと出会う前の、ずっと独りぼっちだった少女が恋に落ちるには十分だった。


フィリップと同じ空間にいるだけで心臓が()ねる。

手を繋げば心臓が躍る。

じっと見つめ合おうものなら、心臓はもう破裂寸前だった。

こちらに向けられる彼の視線にも、熱がこもっているような気がした。


『明日、もう一度花畑に行かない?ベルに言いたいことがあるんだ。』


最終日前日の別れ際、彼が真剣な、それでいて照れたような表情でベルに言った。


『……勿論。明日が楽しみ。』


ベルは幸せいっぱいでそう答えた。


そして旅行最終日。

快晴の下、二人は数え切れないほどの花々に囲まれて手を繋いでいた。

暫く時間が経ってから、フィリップはベルと向かい合う形に移動する。


『ベル、手を出して。』

『何?』


ゆっくり進めていた足を止めて、フィリップに促されるまま空いている方の手を軽く持ち上げる。

すると、彼はポケットから小さな箱を取り出し、蓋を開けてベルに見せた。

中身は控えめなデザインの可愛らしいブレスレットである。

フィリップの瞳と同じ、新緑の宝石が飾りに使われていた。


『……綺麗。』

『ベルに、プレゼント。』


フィリップは丁寧にベルの手をとって、ブレスレットをはめた。

人生初、悪意のない本物のプレゼントだ。


『気に入った?』

『ええ、凄く素敵。』


嬉しさのあまり泣きそうなところをなんとか堪えつつ、ベルは手首で輝く小さな宝石に見入った。


『良かった。喜んでもらえて。』


フィリップが嬉しそうに笑う。

ベルも笑顔だった。


明日王国に帰るだなんて信じたくなくて、猛烈な名残惜しさが湧き上がる。

永遠にフィリップとこの花畑で手を繋いでいたいと思った。


──しかし、そんな甘ったるい考えはすぐに吹き飛ばされることとなる。


これは果たして不運だったのか、それとも化け物が逃れられない必然だったのか。

どんな恋愛小説にもあるような、普通の恋人にとってはなんてことのないワンシーンが、二人の最後だった。


『ベル。もっとよく顔を見せて。』


運命の時、フィリップはそう言ってベルの顔を隠していた帽子にそっと手をかけた。

それが最悪の結果を招くとも知らずに。

そしてベルの方もまた、甘い時間に浮かれていたため事の深刻さに気付くまで時間がかかった。


『ねえ、ベル──』


フィリップがゆっくりと帽子を持ち上げる。


『僕は君が──』


瞬間、奥に立っていた貴族の男と目が合う。


あっという間に血の気が引いた。


『──まだここに居座ってたのか!』


ベルを認識するなり男は嫌悪感を露わにし、大きな声で怒鳴った。

それを聞いた周囲の人々もベルに気付いて声をあげるので、その波はどんどん大きくなる。

頭が真っ白になって、ベルは身動きが取れなかった。

それでも心のどこかでフィリップに期待している自分がいた。

彼なら助けてくれるのではないか、と。


『え……ベル……これ、どういうこと?』


しかしベルの耳に飛び込んできたのは、フィリップの戸惑いの声だった。

その瞬間に悟る。

彼はベルが化け物だと知らないのだ。

だからあんなにも優しくしてくれたのだ。


『あ……』


ベルは何も答えられなかった。

なんだかとても悪いことをしたような気分で、立っているのが精一杯だった。


『──え。』


突然、彼に握られていたはずの右手がひんやりと冷たくなる。

辺りを見回せば、人混みの中に消えて行くフィリップの背中が見えた。

知らぬ間に大人数の野次馬が集まっていたようで、その姿は完全に覆い隠される。

捨てられた、と思ったベルはその場にしゃがみ込んだ。

四方八方からナイフのような言葉が降りかかり、心に突き刺さる。

物理的に殴られなかっただけ幸運だが、幸せな九日間のせいか、慣れていたはずの状況にみっともなく泣いてしまった。


今度は、誰もベルに手を差し伸べたりしなかった。



*****



ベルはエメラルドがあしらわれた手元のブレスレットを眺め、撫でるように優しくその金具部分に触れた。

あの日から肌身離さず身につけているお守りである。

自分でも気付かないうちに、ベルは穏やかな笑みを浮かべていた。


五年前の思い出は、最悪な終わり方をしたにも関わらず、ベルの中でその煌びやかな美しさを保っている。

可愛いと言われたのも、誰かと手を繋いだのも、優しくされたのも、全部全部、初めてだった。

そこにはアレンのような打算が全くなく、少なくとも向けられた笑顔は全て本物だった。

最初で最後の、幸せな思い出だ。


後で分かったことだが、王国や帝国以外の国には当時ベルを煙たがる文化は無かったらしく、他国から旅行に来ていたフィリップは帝国の化け物も王国の怪物も知らなかった。

だからこそ、偶然ベルが一人でいるところを見かけて声をかけたのだ。

だがあの一件で王国からも帝国からも嫌われる呪物のような令嬢の存在があちこちの国に知れ渡ってしまい、国外逃亡の夢は儚く消えた。


「ベル様、夕食の準備が整いました。」


部屋の外からミアの声がする。

ベルはブレスレットを元の場所にしまってから、ミアを部屋に入れた。


彼女には、フィリップとのことを話していない。

幸せな記憶はこれまでもこれからも自分の中でだけ大切にしようと思っている。

都合の悪い部分は切り取ってしまって、綺麗なところだけを心の浄化剤として残しておけば良い。

化け物にだって、それくらいは許されるはずだ。


「それと──」

「何?」

「ゼナード公爵からお花が届きました。」

「またなの?」


もう何度聞いたか分からない報告に、ベルは大きく溜息をついた。

ここ一週間、訪問の度に居留守を繰り返すベルに対抗するように、アレンは毎日プレゼントを送りつけてくる。

まだ接触を図っているということは、ソフィアの正体が割れたわけではない──と思いたい。


「それから、メッセージカードも添えられておりました。ご覧になりますか?」

「……一応、読むだけ読んでおくわ。碌な内容じゃないでしょうけど。」


アレンにもいい加減にしてほしいものだ。

折角の夕食が不味くなる。


「こちらです。」


メッセージカードの話をしていたはずなのに、ミアは花束ごとベルの元に持ってきた。

片手で持てるサイズのそれは青を基調としていて、そういえばアレンの両目もこのような色をしていただろうかと思い出した。


ベルは花の間に挟まった小さな二つ折りのカードを手に取る。

開いてみると、そこには反吐が出るような偽りの愛の言葉と、またベルの顔を見たい旨が直筆で綴られていた。

公爵だけあって、一丁前に字が綺麗である。


「ミア、暖炉の火をつけておいてくれる?」


ベルは壁際の暖炉を指差して言った。


「しかし、もう春も半ばですよ?」

「いいから。」


不思議そうなミアを押し切り、ベルはパンに口をつけた。


「承知いたしました。では、お食事の後で──」

「いえ、気にしないから今お願い。」

「……分かりました。」


ベルの指示通り、ミアは調理用と思われる薪を数本ベルの部屋に運んできて暖炉に火を灯し、その後すぐに別の仕事へ戻った。

流石の手際で、要した時間は砂時計一回分といったところだろう。


食事を終える頃にはやはり部屋全体が暑くなり、ベルの体はうっすらと汗ばんでいた。

空になった食器をテーブルの隅に寄せ、例の花束に手を伸ばす。

カードも、定位置に収まっている。


「……。」


あの帝国での数日を、ベルは今でも鮮明に覚えている。

フィリップの手の温もり、頬を撫ぜる風の強さ、帽子で狭くなった視界。

幸せを詰め込んだ花畑に、手元のこれとよく似た青色の花が咲いていたことも。


「……目障りなのよ。」


アレンにはベルの思い出に入り込む権利などない。

ベルは席を立って花束を暖炉へ投げ入れた。

さっとラッピングのリボンに火が走り、すぐに本体も崩壊を始め、鮮やかな青が一瞬で灰と化す。


アレンの見上げた根性も、一緒に燃え尽きてしまえばいい。

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