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貴方も私が嫌いでしょう?  作者: 紺野菱


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7/7

7、想起

帝国の入り口に到着したのは、王国を発ってから数日後の夜のことだった。

途中まではクラウン家の馬車で移動したが、帝国に足を踏み入れるのはベルとミアだけだ。

王国の貴族家の家紋がついた馬車で入国しようとすれば、一悶着どころではでは済まない。


帝国に入るには国境に沿って建てられた塀をよじ登る──つまり不法侵入をするか、あるいは塀の手前で入国審査を突破する必要がある。

ソフィアの皮を被ったベルは、黙って入国審査官の方へ足を進めた。

その後ろからミアの足音。

濃紺の空には満月が輝き、聞き覚えのない鳥の鳴き声が響き渡っていた。


門番を兼ねた二人の審査官の背後には、塀に開いたアーチ状の穴。

ちょうど人が一人通れるサイズだ。

門と呼ぶには大きさが中途半端なこれが、帝国に出入りするときの正規ルートである。

一度に大人数が出入りできない仕組みからは、この国がいかに交流を拒んでいるかが窺えた。


武器を装備し塀を守る二人の男は、片方が細長くもう片方は極端に小さいという、なんとも凸凹な組み合わせだった。

だいぶ前からベルたちを警戒し、睨みを利かせている。

真夜中に貴族令状が徒歩で、それも使用人を一人しか連れずにやってきたのだから、それも仕方ないだろう。


先に喋ったのは細長い方だった。


「身分証明書。」


張りのある低い声で、一言。

それ以外は何も言わない。

体格だけ見るとあまり強そうには感じられなかったが、こうしてみるとそれなりに圧があった。


ベルは白紙に金貨を三枚挟んで男に差し出した。

中心部の厚みが一番分かりやすい角度で。

ここで王国の貴族令嬢を名乗るわけにはいかない。

五年前はそれで痛い目に遭った。


男は角ばった手で賄賂を受け取り、胸元にしまった。

二秒後には何事もなかったかのような表情で元の体勢に戻っている。


次に、ベルはもう一人の審査官と目をあわせた。

横目でこちらの様子を窺っている小柄な男。

怪しい訪問者を睨む瞳の奥に、期待の色が滲んでいた。


彼にも無言で同じものを渡し、ベルは塀の中へ入る。

手元にはまだ緊急時用の金貨が数枚残っていた。

帝国の経済事情は下調べ済みである。


日付が変わろうかという頃、ベルとミアが向かうのはあの花畑である。

石畳の街路には当然ながら人っ子一人おらず、通りのベンチにやせ細った野良猫が横たわっていた。

変装した主の一歩後ろをついていくミアは、いつになく静かで、硬い顔をしている。


やがて舗装されていない道に出た。

先ほどまでよりも若干靴が地面に沈む。

雑草がのびのびと生えている地面に、木製の看板が刺さっているのが見えた。

この先に花畑があると書いてある。

前回来たときはなかったものだった。


それから間もなく、視界に大量の花が映った。

暗くて色までは分からないが、それでも十分に美しい。

ベルは花畑の中央まで歩き──そこで変装を解いた。

月光の下で銀髪が夜風に流され、両目にアメジストカラーが戻る。

屋敷の外で素顔を晒すのは、実に五年ぶりだった。


特に目的もなく足元を見て、それから周囲をぐるりと見渡す。

遠い目をするベルの口角が僅かに上がっていた。

ソフィアの作り笑いとは違う、素の微笑みである。

少しだけ視界がぼやけたのは、気のせいだということにした。


一方、ミアは花畑の一歩手前で立ち止まっていた。

足を揃え、真顔でベルの後ろ姿を見つめている。

目の前で危険を冒す主を止めることはしなかった。


暫くすると、そこへソフィア・クラウンが戻ってくる。

美しい銀髪の令嬢は、もうどこにもいなかった。



*****



買収した二人の横を通り帝国を出て、馬車の旅を続けること十日。

レンガ造りの小さな家に着いた。

ここで数日お世話になる予定だ。

さすが貧乏男爵家、宿泊場所が平民の家である。

家主は一切事情を知らないらしく、クラウン男爵には彼女の前で変装を解くなと指示されていた。

言われずとも、そんなことはしないのだが。

招待状によればパーティーは三日後なので、それまではいつも通り引き籠るつもりである。


ドアをノックすると、人の良さそうな顔をした中年女性が出迎えた。

いらっしゃいませ、長旅お疲れ様です、などと言われてベルは一瞬だけ固まる。

が、すぐに持ち直し挨拶を返した。

そういえば人間とはこういう生物だったな、と改めて思った。

周囲に気を配り、団結力を持ち、そして化け物を忌み嫌う生物である。


家の中にはこれといった特徴的なものはなく、綺麗に掃除された暖炉と木製のテーブルが日向ぼっこしていた。

キッチンはかなり年季が入っている。

夫に先立たれた女の一人暮らしだそうだ。


ベルとミアにはそれぞれ一つずつ二階の部屋が与えられ、一通り案内が終わると自由時間となった。

個室で一人になったベルは、ときどき窓の外を見ながら荷解きをする。

といっても、できるだけ鞄からものを出さないようにした。

いつ逃げ出すことになるか分からないからだ。


夕食の前に、ベルはミアを連れて散歩に出た。

この辺りの地理を把握するために。


「田舎……ってほどでもないわね。」

「案外家が多いですね。」


ベルが泊まるあの家と大して変わらない大きさの建物がぽつぽつとあり、のどかな雰囲気の街だった。

数十軒に一軒、周りとは格の違う豪邸が他の建物からやや離れた場所に建っている。

どうやら金持ちの別荘地として人気なようだ。


適当にあちこち歩いて回った後、思い出したようにパーティー会場の場所を確認し、二人は帰路についた。

会話をするときミアはベルのことを「ソフィア様」と呼んだ。

彼女は現在、クラウン男爵家の使用人ということになっている。


「ねえ、あの家、人がいるわ。」


行きと違うルートで帰っていると、もう何軒目か分からない豪邸の庭でメイドが掃除をしていた。

どこかの貴族がちょうど別荘に休みに来ているらしい。

使用人たちの動きを見るとベル同様到着したばかりのようだ。


もしかすると同じパーティーに出席するかもしれない、なんてベルが思ったそのとき。

事件が起きた。


「やあ、奇遇だね。」


別荘の裏から出てきた長身の男は、奇遇と言う割に全く驚いた顔をしなかった。

もう二度と見たくなかった青い瞳に、ソフィアが映っている。


──アレン・ゼナードが、そこにいた。

誤字報告をくださった方、ありがとうございました。

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