4、アンバランス
長くなりすぎた話を無理やり二つに分割したので、四話と五話は短めになります。
「ベル様、ゼナード公爵がいらっしゃいました。いかが致しますか?」
空の半分ほどが雲に覆われた日のことだった。
一人でチェスを楽しんでいたベルの平和な一日は、ミアのその一言で完璧に破壊された。
「……一応確認するけど、もしかしてまた──」
「はい、訪問を伝える手紙はベル様が見もせずに捨ててらっしゃいました。」
「だって、全部読んでられないわよ、あの量。」
ベルが呆れた声を上げる。
恋人になりたい宣言をしてから約一か月、アレンはこの短期間で夥しい量の手紙を送りつけてきていた。
その数を頭の中で数えようとして、やめる。
それすらも不可能な量だった。
初めは警戒のために目を通していたベルだが、五通目あたりで付き合っていられなくなった。
数十通のうちの一つに重要事項が書いてあったところで、気付くことは不可能である。
「というか、知ってたなら教えてくれてもいいじゃない。」
「捨てておられたので知らなくても問題ないということなのかと。」
「……とにかく、お帰り願って。」
「了解しました。」
ミアが玄関の方へ向かう。
一方、ベルは寝室で内側からドアに鍵をかけ、防御態勢を整えた。
追い返せという命令は出したものの、アレンがその程度で諦めないだろうことは分かっている。
彼にはソフィアの正体がバレている可能性があるので、警戒するに越したことはない。
「ベル様。ゼナード公爵が、少しでいいから顔が見たいと。」
案の定、戻ってきたミアはそのような報告をした。
「……なんとかして。」
なんだかどっと疲れてしまったベルは、全てをミアに丸投げすることにした。
随分と無責任である。
「なんとか、とは?」
「貴方なら上手くやれるでしょ。客人を一人追い返すだけよ。」
「あの公爵と話し合えと?それ、私の仕事じゃなくないですか?」
真顔で言われた。
正論に返す言葉が見つからない。
すると、数秒の沈黙の後、ミアが片手の親指と人差し指で丸を作り、無言で胸まで持ち上げてベルに見せた。
──お金のハンドサイン。
ボーナスが出るならやってもいいということだ。
「はいはい、これでいいでしょ。」
ベルは躊躇いなくミアの手に金貨を一枚握らせた。
もう慣れっこである。
「ありがとうございます。」
金貨をするりとポケットに滑り込ませ、ミアが再び寝室を離れていく。
ベルはテーブルに頬杖をついた。
それから盛大な溜息を一つ。
必死に自分を落ち着かせようと試みているのだが、これが上手くいかない。
ソフィアとベルが同一人物だとアレンの中で確定してしまったら、もう簡単に街へ出られなくなる。
それがどれだけ生活に支障をきたすか、考えるだけでも恐ろしかった。
ソフィアではなく存在しない人間を演じるという手はあるが、観光地でもなんでもないこの辺りだと新顔は浮いてしまう。
そのせいでまたアレンに怪しまれては意味がない。
つまり、ソフィアの正体を知られたが最後、現状を超える完全な引きこもり人生が待っているというわけだ。
ベルはテーブルの箸にある数枚の封筒に手を伸ばした。
全て封がされたまま。
直近三日間にアレンから届いたものである。
後でまとめて捨てようと思っていたところだった。
「……。」
ベルは一番新しいものの封を切った。
中から便箋を取り出す。
ひょっとすると彼の手紙に現状を打破するための手がかりがあるかもしれない、というなんとも薄い望みに縋ろうとしていた。
だがそんなことあるはずもなく、数枚の便箋はほとんどがベルへの誉め言葉で埋め尽くされていた。
適当な嘘にしたって、よくこれだけ思いつくものだ。
バランスの取れた美しい、それでいて適度に崩された文字の並びは、まるで「公爵」のイメージを体現したようである。
文章の中で「美しい」、「可愛い」と言われる度にベルは眉をひそめた。
容姿を褒められるのは好きではない。
悲しいほど母親に似たこの顔を。
ベルは引き出しから手鏡を取り出して、自分の顔の前に持ってきた。
これまでに何千回と見てきた、どこか不安げな表情が映る。
整った唇に、きりっとした紫眼。
自分でも美人だと思う。
母も美人だった。
化け物の苦しみを知っていたはずなのに無責任にもベルを産んだあの女は、この顔で帝国と王国の間にある壁を越えてしまったのだ。
こうしていると、何年も前に死んだ母と向かい合っているような気分になる。
鏡の中のうざったいほど美しい顔面が、ベルが化け物であることをありありと示していた。
ベルはゆっくりと鏡を伏せた。
そんなことをしたところで現実は変わらないが。
歳を重ねるごとに段々と母親に似ていくのが嫌だった。
家中の鏡を割ろうとしてミアに止められたこともある。
──生まれてこなければ良かったのに。
そんな考えが頭をよぎったのは一度や二度ではない。
そもそもこの世に存在しなければ、アレンの目線に怯えることはなかった。
この不安に満ちた時間を過ごすこともなかった。
「……。」
生まれてしまった後でもこの世から消える方法があることは知っている。
消えれば楽になれると分かっている。
それでも実行に移す勇気がないのだから笑えてしまう。
ベルはもう一度引き出しを開けた。
手鏡を元の位置に戻す。
その横で、太いとも細いともいえないロープが蜷局を巻いていた。
適度な長さで、おあつらえ向きに輪っかまで作ってある。
他の生活用品に溶け込んだそれのところどころに、何度か使われかけた痕跡。
まだ光の灯っている紫色の瞳で、じっとロープを眺める。
引き出しの取手に手をかけたままベルはそれ以上動かなかった。
やけにうるさく響く秒針の音だけが、時間の流れを証明していた。
そうこうしている間に、今日も日が沈む。
近づいてくるミアの足音を聞いて、ベルはそっと引き出しを閉めた。




