第87話 腕時計
「ちょっと! なにシレっと安いの買おうとしてるのよ! 貴方が好きなの選んで良いって言ったでしょ? アタシは機械式が欲しいの。機械式は漢のロマンと美学の結晶なんでしょ?」
「そうだけど、キミは漢ではないし・・。」
「あのね、性別の問題を言ってるんじゃないのよ。心意気の問題よ。漢字の『漢』と書いて、お・と・こ。」
「・・・なんでキミに漢論を説かれてるかわからんけど、まぁ、いいか。 確かに好きなの買えって・・いや、待て、オレそんなこと言ったか?」
「あのね、レジェンド探偵様、いや、ハードボイルドでダンディな孤高のレジェンド探偵さん? そのような素晴らしい探偵さんの助手が安い腕時計してたら、レジェンド探偵さんご自身も安く見られてしまいましてよ? それでもよろしくて?」
なんで急にセイラさんみたいな語尾になったんだ?
「・・好きなヤツを選ぶといいさ、アルテイシア。」
「は? なんかよくわからないけど、おじさん、聞いた通りよ。ってことで、あっちのも見せて。」
「あいよ、お嬢さんお目が高いね、これはなかなか手に入らない文字盤に貝殻を使った特別モデルなんだよ。」
「へぇ、だからこの控えめだけどしっかり輝きが出てるのね。とっても綺麗だわ。」
「ウォホン。 正確な時間を知るのに綺麗な文字盤なんてのは邪道だな。」
「あ、これ思ってたより軽いんだね。」
「はん、腕時計は、その重さを感じるからこそ良いんだがな。」
「それに、コンパクトで邪魔にならないね。」
「あぁ、まったく、存在感のない腕時計なんか、存在意義もないな。」
「うん、これ気に入ったわ。これ下さい。」
「はいよ、12万WDだよ。」
「はぁぁあ? 腕時計が12万WD? その、文字盤が変にピカピカして見辛くて、軽くて小さなちゃっちいボディの、役に立たなそうな腕時計がか? オレなら絶対、そんなの買わんぞ。 そんなものは腕時計の本質から離れすぎてるぞ。」
「うん、それでもアタシは買うの。なんでも好きなの選んで良いんでしょ? レ・ジェ・ン・ド・探偵様?」
「・・・おやじ、これだけの買い物をするんだ。少しは勉強しようとかいう心意気は無いのか?」
「はいはい、センスの良い、可愛らしいお嬢さんに使ってもらえるなら、11万WDにしちゃいましょうか。」
「思い切って10万WDでどうだ?」
「いや、それは思い切りすぎですわ、旦那。それじゃ、ウチが赤字ですわ。 勘弁してくださいよ。」
「そうか? ・・わかったよ。じゃ、11万WDだな。」
「はい、毎度あり。 お嬢さん、それ、そのままつけていくかい?」
「うん、このままつけてく。ありがとうね。」
ちらちらとワザとらしく何度も左手の腕時計を見ながらネコ娘が歩く。
「今、10時52分よ。」
「もう10時56分になったわ。」
「あのな、嬉しいのはわかったから、そんなに時間を教えてくれなくていいんだぞ。オレも時計してるし。今特に時間気にする約束とかもないだろ。」
「でも、ほら、時間に正確なのがレジェンド探偵の基本でしょ?」
「そうなんだけど、今時間気にする必要ないからさ。そんなことより、昼めしまでどうするかだよ。」
「そうね、今から宿帰っても、また昼ごはん食べに外でなきゃいけないでしょ? それなら、このまま市場の周り歩いてようよ。」
「まぁ、それはオレも思ったけど、どこ歩くんだ?」
「そうね、干し路地って行ってみない?」
「干し路地?なんだそれ?」
「市場の裏側にある細い路地で、とにかく干し物が多いんで、干し路地って呼ばれてるんだってさ。 雑貨屋のファラさんに聞いたんだけどね。」
「ふうん。なんだかよくわからんけど、そこ行ってみようか。」
ネコ娘とゆっくりと市場を歩く。
「市場の裏側って、本当に市場の縁の方なんだな。」
「そうみたいだね。アタシも初めてなんだ。 あ、ここだ。 本当に干し物ばっかりだ。 うわ、上にもびっしりと干してあるよ。」
「魚の干物、柑橘の皮。 上に干してあるのは染めた布か? 確かに干し物ばっかりの場所だな。」
「なんだか匂いも、色々混ざっちゃって凄いことになってるね。」
「あぁ、干し魚の匂いと柑橘類の皮の干し物、それに、ハーブ系の匂いもするな。 香辛料の香りも混ざってるか?」
「布が乾くときの匂いも結構するのよ。 あ、もうダメだわ、アタシちょっとここは苦手だな。」
ネコ娘が鼻を手で覆ってる。
「そうか、キミは鼻が効く分、強い匂いは苦手なんだな。」
「だんだん頭痛くなってきたわ。もう行きましょ。」
ネコ娘が急ぎ足で干し物路地から離れていく。
「ふーっ、まだ鼻がムズムズするわ。」
市場の中の方まで戻ってきて、ようやくネコ娘が立ち止まった。
「まぁ、かなり強烈な匂いの路地だったな。」
「魚の干物は良い香りなんだけど、柑橘系とあの生乾きの布の匂いはダメだわ。」
「オレは魚の匂いが一番強烈だったけどな。やっぱりキミは・・」
ネコ娘はそっぽを向いて聞こえないふりをしてる。
でも、聞こえてるのは間違いない、だって、耳がヒクヒクしてるからな。




