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久遠の夜 千夜の果て  ―――辺縁の姫君  作者: トグサマリ
【第七章 史書に秘められるもの】
42/44

02-3

 レミンは口を開いたものの、長い沈黙が、そのあとに続く。

 奏音の指を包むレミンの手に、力がこもる。強い逡巡が、苦しいまでに伝わってくる。

 深い呼吸を繰り返すレミン。

「わたしが、知っているのは。イルマイラ殿が、―――予見に手を加えたと、いうことだけです」

 弾けるように奏音は目を瞠る。苦しみと絶望が浮かぶその目に、覚悟を決めたレミンの横顔が映り込む。

「本人の証言か」

「はい」

「いつ知った」

「先程の、部屋に呼ばれたときです」

「他になにを言っていた」

「予見を実現させたくないと。わたしに愛されるのは、自分のはずなのにと。何故妻がわたしの―――、そこから先は、判りません」

「他は」

 あくまで冷静に促され、レミンはあの部屋で起きた出来事を、残さずミカに答えていった。

「―――それだけなのか?」

 ミカは表情を変えずに問う。

「はい」

「偽り、か……」

 長い吐息が耳に届く。それはヴィヒレア伯爵のものでもあり、また奏音の無意識でもあった。

 予見の真相は判らないが、ミカの言うように、奏音を地獄へ落としたあの予見が歪められていたのは、間違いなかった。

「愚かなことを」

「筆頭予見者ともあろう者が、個人的な感情に振りまわされおって。これだから女は!」

「このこと、他に知る者は?」

「いいえ」

「決して話すな。国の恥だ。冥府(めいふ)の門でも口を閉ざせ」

 ミカたちのやりとりは、奏音の意識の上を滑る。出口のない闇に突き落とされ、身体は感覚を失くしていた。

 辺縁の姫君が、自分が王太子を産むという予見が、まるきりの嘘、だったなんて。

「……女の情念、か」

 苦い顔でミカは呟く。

 十一年前のイルマイラを思い出す。

 気も狂わんばかりに彼女は叫んでいた。

 あれは宮殿のどこかの一室。どこからか聞こえてきた悲鳴に、何事かと足を向けてみた。

 そこにあったのは、泣き叫ぶ筆頭予見者の姿。女官や他の予見者たちが懸命になだめていた。怪我をしたレミンを見舞うために願い出た半日の宿下がりをライコが却下したのだと、あとになって知った。

 あのときから、イルマイラはライコに対して許すことのできない感情を抱いていたのかもしれない。

 そんなとき、愛する男と辺縁の姫君の仲睦まじい情景が予見に現れたら……。

「―――お前と一緒になりたいがために、欲望に国を売ったのか」

「そのような言い方は」

「間違ってはいないだろう」

 切り捨てるミカ。

 は! と、ヴィヒレア伯爵が声をあげた。

「ではなにか。陛下は、女の恋情によって(しい)されたというのか。陛下は(しゅ)の祝福を受けておいでだったのだ! そんなこと、そんな莫迦なこと認められるわけがない。あってはならないことだぞ!」

「ああ。あってはならない。決して、―――決して知られてはならない」

 ライコの死をめぐる真相に、ミカは流されまいと強く言葉を吐く。瞳の奥に、揺るぎない力が炎のようにひらめいている。

「一予見者の個人的な感情でこの国が動いていたという事実もだ。国民にも、教会、貴族たちにも、諸外国にも。誰にも、絶対に知られてはならない」

 奏音を除く男たちは、重々しく頷く。

「隠しとおせ……!」

「三百年のこの日に、なんてこと」

 ヴィヒレア伯爵は、ぐったりと頭を抱えた。彼の政治生命も、この瞬間から変わってしまうのだろう。

 地下の一室に集う者たちは、それぞれが受けた衝撃に打ちのめされていた。

「……バルファイ。何故お前は先程反論しようと口を挟んだ?」

 ミカは、思い出したようにバルファイに尋ねた。

「あのとき公爵に関して()(ただ)されていたのはハイカイネン伯だ。それなのに、何故お前が『そんなはずは』と返したのだ? なにか理由があるのだろう?」

 レミンも同じように問う眼差しをバルファイに向けた。

「それは……」

 バルファイは言い辛そうにいったん唇を閉ざしたが、それでもすぐに思い直したのか、まっすぐにミカを見た。

「実は―――。伯爵がこちらに連れられた直後、陛下に命じられたのです。……伯爵のお命を奪えと。魔術によって、その心の臓を止めよ、と」

「!?」

 思わず自分の胸に手をやるレミン。奏音もレミンの腕を摑む。

 ―――生きている。

 緊迫した一同に、バルファイはゆるゆると頷く。どこか諦めた顔で、レミンを見た。

「あの部屋で伯爵が陛下に訴えておられた言葉は、外の我々にも届いておりました。伯爵はお心が清く、魔術に対して誇りと信念を持っておられる稀有なお方。たとえ陛下の(めい)であっても、伯爵にだけは、お命を奪うような魔術を行ってはならなかった。しかし……断ることが、できず。申し訳、ございません……」

「そんなことをしたら……」

 青い顔でレミンは呟く。バルファイは弱く微笑んだ。

「ええ。伯爵のお命を奪おうと術を行使した時点で、魔術の力を失くしました」

「なっ」

 息を呑むミカ。ヴィヒレア伯爵は、次々と明らかになっていく事実に、額を押さえた。

「なんたること。本当に、フィザーンは呪われているのか」

 ヴィヒレア伯爵のうめきに、奏音は言葉を失う。彼の言うとおり、本当に自分はフィザーンに(わざわい)をもたらす存在なのかもしれない。

 そんな肩を落とした奏音の不安に答えたのは、バルファイだった。彼は優しく奏音を見、眼差しを深くした。

「フィザーンが呪われていることなど、ありません。わたくしが力を失ったのは、自分の命を惜しみ、陛下の(めい)を断れなかったからです。わたくしが愚かだったのです。そう気付かせてくれたのは、ハイカイネン伯爵とリュシアン公爵、あなたがたです。自身を貫き、懸命に生きようとなさる姿が気付かせてくれた……。伯爵が生きておられる。それは、主の祝福があるからです。わたくしは確実に伯爵のお命を奪ったはずでした。それなのにご無事で、こうして生きておられる。主の祝福以外、他にどんな理由がありましょう?」

「陛下が、そんな命令など……」

 ヴィヒレア伯爵の虚しい呟きは、しかし反論にもならなかった。

 小部屋に、後味の悪い沈黙が降りる。

 ここにいる誰もが――貴族の誰もが――ライコの倫理観を疑問視していた。ヴィヒレア伯爵は側近だからこそ、公にはされなかった主君の残虐な命令の数々を知っている。

 辺縁の姫君を奪われた王がレミンを始末しようと考えるのは、ごくごく当たり前にすら思えた。

 たんに、命令を下した証拠が、いまここにないだけで。

「―――陛下はそのような(めい)は下さない」

 沈黙を破り、ミカはきっぱりと言いきった。

 そして、怪訝な眼差しのヴィヒレア伯爵、レミン、奏音、バルファイへと視線を移す。

「陛下はそんな命は下さなかった。いいな。お前は、なにも命じられはしなかったし、伯の(いのち)を奪おうとした事実もなかった」

「ですが……」

「国を思え!」

 声を押し殺したミカの一喝に、奏音は知らず身震いをする。

「陛下は崩御なされた。陛下に関わる醜聞は、存在させてはならない。事実は、封印せねばならぬ」

 鬼気迫るミカの表情に、その場の誰もが言葉を失う。

「イルマイラ殿の予見も、陛下の死の真相も、バルファイ殿の能力の喪失も。すべてを、あらゆるものから隠しとおすのだ」

 ミカの声は、揺るぎなかった。

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