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久遠の夜 千夜の果て  ―――辺縁の姫君  作者: トグサマリ
【第七章 史書に秘められるもの】
41/44

02-2

 差し迫った声にそちらを見ると、思いつめた顔の男が立っていた。

 バルファイである。

「分をわきまえぬ発言をお許しください。しかし、どうしても申し上げねばなりません」

「言ってみろ」

 ミカは背中を向けたままで命じる。

 バルファイはその場に膝をつき、頭を低くした。

「この……事故に関しましては、ハイカイネン伯爵はなにも関係ございません」

「関係ないだと?」

 苛々とヴィヒレア伯爵。

「先程、殿下は暗示魔術をハイカイネン伯爵が行使したとおっしゃいましたが、そのような事実はございません」

「というと」

 自らの発言を否定されたにもかかわらず、激昂するでもなくミカは続きを促す。

「陛下付き魔術師として、王宮内で発動される魔術の把握も、わたくしの職務でございます。今日この日に限らず、少なくともリュシアン公爵がおいでになって以来、王宮では許可のない魔術の行使はございません。先程の、伯爵が行使した転移魔術とその直前の拘束魔術、そして公爵のヴェールが魔法陣を発動させた三件を除いては」

 喉の奥に言葉を詰まらせながらも、バルファイは告げる。

「暗示魔術もか?」

 ミカはバルファイに視線を投げた。

「さようにございます。わたくしが陛下付きになってからは、暗示魔術は行使されたこと自体ございません」

「その三件のみなのだな? 他にはどんな魔術も行使されてはないのだな?」

「間違いございません」

 しっかりとミカの目を見つめ、バルファイは断言する。

「見逃した可能性は?」

 信じたくないようにヴィヒレア伯爵。

「暗示魔術は高等魔術の中でも最高水準に位置するゆえに、扱いは非常に厄介です。その厄介な魔術を王宮内で行使されて、気付かないわたくしではございません」

 そして、イルマイラは筆頭予見者となってからは一度も王宮から出たことがないため、外部で術をかけられるはずもない。

「わたくしは部屋を訪れたイルマイラ殿とすれ違いましたが、暗示魔術で操られている気配はまったくありませんでした」

「拘束魔術ではどうなんだ。拘束魔術も、ひとを操るというじゃないか」

「術者本人がその場にいなければ、拘束魔術は効かないのです」

 レミンが拘束魔術でイルマイラの行動を操ったのだとしても、地下室に連れられた状態で彼女を操ることは、不可能なのだ。

「イルマイラ殿は、自らの意志であの部屋を訪れ、陛下に手を上げた、と?」

「―――わたくしには、そうとしか」

 レミンが息を呑み込む音が、奏音の耳に届く。

 元彼女だ。さすがに胸は痛むのだろう。かける言葉も見つからずそっと見遣ると、意識を保っているのが不思議なほど、青い顔になっていた。

(? レミンさん……?)

 その顔は、『元彼女』を憂いているにしては蒼白すぎる気がする。

 彼の表情に、小さな不安が生まれた。

「結局、そこに戻ってくるのか」

 ミカの呟きが、奏音を我に返らせる。

 そこに戻ってくる、とは、なにか事情があるのだろうか。

 ふと口を閉ざしたミカは、レミンに重い視線を送った。それはほんの一瞬。そして、どこか同情を窺える色を眼差しに乗せ、怪訝なものを浮かべる奏音に顔を向けた。

「王立魔術学院を卒業できるほどの魔術師や予見者ともなれば、自身を守るため無意識に魔術を行使するといいます。だが、イルマイラ殿が魔術を行使した痕跡はなく、その気配すらもなかったという」

 ミカは右手でなにかを握るようにする。

「彼女は床に割れ落ちていた花瓶のかけらで、陛下の首筋、胸、顔などを何度も突き刺した。自分の手をも切り裂きながら。どうしてそんな真似を? おかしいでしょう? 女性としての危機を覚えたのなら、たとえ相手が陛下であれ、拘束魔術やらを行使するほうが、どれほど確実で安全か」

 (はがね)のような拘束魔術の強さを、奏音は身をもって知っている。あの魔術には、どんな力自慢であっても抗うことはできないだろう。

「だがイルマイラ殿は、使えるはずの魔術を行使しなかった。いや―――できなかった」

 ミカの眼差しが、鋭くレミンを捉える。導かれるように、奏音やその場の者たちの視線が、レミンへと流れた。

「その理由を、伯は知っているのでは?」

「! やはりお前!」

 無言で視線を外したレミンに、ヴィヒレア伯爵は摑みかかろうと腰を浮かす。ミカがさっと腕を伸ばし、彼を制した。

 予見者の必要最低条件は、身の純潔である。

 確かそうではなかったか。

(って、……つまり、レミンさんとイルマイラさんがそういうことをした……ってこと?)

 だから、イルマイラは魔術を行使できなかったと?

「公爵の前では、言いにくいのだろう?」

 確かめるようにミカ。

 レミンは一瞬眼差しを揺らすが、黙り込んだまま、唇を固く閉ざしている。

「そうだろう! 妻を愛していると言いながら、実際は隠れて元恋人、しかも筆頭予見者に手を出すんだからな!」

 ヴィヒレア伯爵の声は、挑発的だった。

 眉間にしわを寄せ、歯を食いしばるレミン。だが、答えようともしなければ反論もしない。その態度が、ヴィヒレア伯爵をいっそう激昂させる。

「事実だから答えられないのだろう!? その態度が、もう答えなんだ!」

 はなから黒幕だと決めつけているヴィヒレア伯爵を、レミンは苦々しく見上げる。

 それでも、―――それだけだった。やはり反論しようとしない。

 奏音は気付く。

(なにかが、あるんだ)

 レミンはなにかを知っている。イルマイラに関わる、なにか重大なことを。

 それがなにかは判らないけれど、このまま否定をしなければ、確実に死刑になってしまう。

 どうして隠そうとするのか。

 もはやミカに頼んでとりなしてもらう状況ではなくなっていた。国王の弑逆(しいぎゃく)という重大な容疑を前に、言い逃れる余地などどこにもないのに。

(レミンさんの)

 ―――レミンの知っているなにかは、命に代えてまで秘密にしなければならないほど重大事なのだ。それほどまでにイルマイラを守らねばならない、理由があるのだ。

 元彼女のイルマイラを―――。

 女として見てしまった、と? だから口を閉ざしていると?

 すっと、感情が冷めていくのを感じた。

(だめ。違う)

 奏音を喰らおうと、不信感が暗い口を開けて構えている。

(違う)

 まぶたを伏せ、沸きあがる不信感を押しやるようにレミンのいままでを思い返す。

 初めて出逢ったあの日、酔客から守ってくれた。

 空を飛ぶ馬車。大きな魔法陣。別れる直前の顔。

 あたたかな春の陽射しのような優しさに包まれる日々。

 胸に降ってきたオーロラ。コイヴァリンナでの暮らし。

 雨の夜、重ね合わせた肌。

 魔法陣から突然現れ助けてくれた力強い腕。

 どのレミンも、フィザーンでの奏音を支え、その一部になっていた。

 奥深いところで、言葉や想いを超えたところでレミンと繋がっている。自分が知っていること。自分の根底に流れているもの。自分が、信じているもの。

 成り行きに呑まれ、信じる気持ちを見失ってはならない。

 レミンは、イルマイラとはもう終わったと言っていた。

 それ以上のどんな言葉を、信用できよう?

「―――レミンさんは、夫は、そのような人間ではありません」

 唇からこぼれた声は小さかったが、部屋中に沁み透った。全員の眼差しとともにしんと、沈黙が降りた。

「勝手な憶測で、夫を侮辱しないでください」

「これは、おめでたいことをおっしゃる」

 唇の端を軽く上げ、ヴィヒレア伯爵は(わら)う。

「夫君の行為が、侮辱に当たると?」

「これはただの浮気騒動とは違う。そうですよね? フィザーンの将来に関わる問題が、根幹にあるんじゃないんですか?」

 核心を突く奏音の言に、ヴィヒレア伯爵たちは表情を引き締める。

 そんな彼らの顔をゆっくりと眺め渡しながら、奏音は自分の心をそのままに語る。

「わたしは知っています。夫は、浅い人物ではないということを」

 皆の注目の中、不思議と身体の芯はまっすぐ背筋を貫き、熱い塊が胸の底でたぎっている。それなのに、意識は限りなく透明に澄んでいた。

「夫は、自分自身に後ろめたい行為を働く人間ではありません。みなさんはこれまで、そのふたつの眼で、いったいなにを見ていたんです? その眼は、曇っておいでなのですか?」

「―――畏れながら、申し上げたき議が」

 沈黙を割るようにして、言いよどみながらもバルファイが口を開いた。

 皆の視線に、彼は乾いた唾をこくりと呑み込む。

「イルマイラ殿の、ことにございます」

 はっとレミンが身を固くする。バルファイは気付いたようだったが、そのまま続けた。

「わたくしが思いまするに、イルマイラ殿が魔術の能力を失ってしまったのは、その……、予見を、……予見に、手を、加えたせいではないかと……」

(―――え?)

「なんだと」

 ヴィヒレア伯爵が恐ろしい声で目を剝く。

「なに莫迦なことを。予見に手を加えるなど自分の首を絞めるようなものだろう!? 筆頭予見者ともあろう者が、そんな莫迦なことするはずなかろう!」

「しかし、わたくしにはそうとしか……」

「思いつきで言うでない!」

「いや。バルファイ殿のおっしゃることは、間違ってはいないでしょう」

 ミカの静かな声が、激昂するヴィヒレア伯爵を振り返らせる。

 思いもしなかったバルファイの発言に、奏音は、ただただ呆然とするばかりだった。

(予見、に、手を加えた……?)

 予見、とは?

 どの?

(『どの』、って)

 あの予見しか、奏音は知らない。

 ―――予見。

 奏音の運命を、いたずらに翻弄したもの。すべてを破壊し、奪ったもの。

 挑むようにレミンを見つめながら、ミカは話し出した。

「わたしが気付いていないとでも? 筆頭予見者殿が予見をしなくなって何年が経つ? 他の予見者や一部の宮廷魔術師たちからも、怪しむ声は出てきている。イルマイラ殿は予見の力を失くしたのではないのか、と。ならば、彼女の身になにが起きたのか。予見者がその力を失うのは、身体が穢れたときと、偽りの予見をしたときだ」

 バルファイが「予見に手を加えた」と表現したことを、ミカは「偽りの予見」と迷うことなく言いきった。

「誰かと身体の関係を持っただけなら、失うのは予見の力だけだ。だが予見を偽ると、予見者はすべての能力を失うと言われている。―――魔術の力のすべてを」

 レミンは唇を噛み締める。その表情に、彼は実情を知っていたのだと奏音は嫌でも悟らざるを得ない。

「畏れ多いことだが、陛下が過去のどこかの時点でイルマイラ殿に手を出したのかと危惧していたのだが、今回のことで、イルマイラ殿は魔術が行使できなかったと証明された。これが意味する事実は、ひとつだ」

「予見を、偽った……と……」

 ヴィヒレア伯爵は血の気を失った顔をしていた。

 ミカはその場に落ちた衝撃をやり過ごし、静かに、そして確信をもって続ける。

「偽った予見とはなにか。考えてみると、イルマイラ殿の予見で最後に有効だったのは、公爵、あなたがフィザーンにおいでになるというものです」

「おやめください、殿下……」

 弱々しくレミンは抗議をする。しかし、ミカは一瞥もくれない。

「予見どおり公爵はフィザーンにおいでになった。だが、この予見は単独ではない。『王太子殿下をお産み申し上げる』という文言(もんごん)がついている。それについて予見は当たっていない」

 奏音の胸は激しくかき乱された。倒れ込んだままに寄り添うレミンの手が伸び、奏音の冷たい指を包む。

 レミンもまた、危うい表情をたたえていた。

「当たっていない、ではなかったのだ。この予見は外れたのではなく、故意に歪められたのだ。イルマイラ殿ご自身によって」

「何故、そのような、そのような真似を? おかしいではないか。自らの能力を手放してまで、フィザーンを誤った方向へ何故導こうとする!?」

 理解ができないと、ヴィヒレア伯爵はわめく。対してミカは冷静だった。

「敢えて歪めなければならないほど、真実の予見が意味するものが強かったのだろう。フィザーンにとってあまりに悲観的なことだったのか、それとも―――個人的な要因か」

 ミカは、いったん言葉を切ってレミンを再び見据えた。眼差しが、訊いてくる。

 お前は、そのなにかを知っているのだろう?

 レミンはじっと唇を閉ざしていた。ミカはやるせなさそうに吐息をひとつ落とした。

「お前には、いまだ罪人として囚われている自覚がないようだな」

 冷酷に告げるミカ。

「その沈黙は、叛意のしるしか」

「……そうでは、ありません」

 レミンは弱く否定をする。ミカは目を眇めた。

「お前は誰よりも貴族らしい貴族のようだ。生き長らえることより、名誉ある死を選ぼうとする。だが、お前の選択次第で、公爵には反逆罪以上の不名誉な死が待つことになる」

「不名誉……?」

 死という単語が、奏音の胸に静かに沈む。しかしレミンには、『不名誉』という部分が聞き流せなかったようだ。

「何故です」

「〝辺縁の姫君〟は国益をもたらす存在だ。だが公爵はどうだ。王太子殿下をお産み申し上げるという予見を反古にし、筆頭予見者から予見の能力を奪った。加えて、保護者である夫は謀反人として処刑され、なによりも国主に死をもたらした。混乱が生じるのは必至だ。国民感情も不信に乱れ、諸外国の介入を許す事態ともなりかねん。どこが国益をもたらす存在だ? むしろ、フィザーンを滅ぼさんとする悪魔の手先とすら言える」

「そんなはずは!」

 ほとばしるように反論したのはレミンでも奏音でもなく、身分上黙り込んでいたバルファイだった。ミカはバルファイに目をやるが、すぐにレミンへと容赦ない眼差しを戻した。

「たとえ公爵がなにかを為したわけでなくとも、(わざわい)をもたらした存在としてお命を返上していただくのは、避けられないだろう。それでもまだ、頑迷に口を閉ざすのか? お前を浅い人間ではないと証言した妻を、そんな目に遭わせたくはなかろう?」

「―――わたしが知っていることを申し上げれば、カナを、妻を助けてくださるのですか」

「正直にすべてを話せばな」

 ぶつかるように絡まりあうふたつの視線。

「……わたしが、知っているのは……」

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