表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
久遠の夜 千夜の果て  ―――辺縁の姫君  作者: トグサマリ
【第七章 史書に秘められるもの】
39/44

01

 狭すぎず広すぎず。奥まったその部屋は、外部に声が届きにくいこともあり、選ばれたのだった。

 こざっぱりとした部屋で、五代前の愛妾上がりの国母が、その子を宿した部屋だと言われていた。

 白と薄紅を基調とした美しい部屋は、しかしいまは見る影もない。

 天井からのカーテンは引きちぎられ、壁にかけられていた絵画も床に落ち踏み潰されている。テーブルは倒れ、ひと抱えもある花瓶も割れて、床几は部屋のあちこちに転がっていた。飾られていた花はそこらじゅうに散らばり、ただ床の一角が何事もなかったかのように四角く綺麗なままだった。

 おそらく、レミンの魔法陣が発動した場所なのだろう。

 イルマイラは、苦々しくその場所に視線を投げつけた。

 ライコはその向こう、寝台の端に腰をかけ、両腕で額を支えていた。荒れ狂う激情が全身を包んでいる。

「ハイカイネン伯爵を死刑というのは……」

 ためらいがちな声にむくりとライコは顔を上げ、入室をためらう筆頭予見者を認めた。

「ひと言目がそれか。お前にはほとほと呆れるわ」

 掠れるほどに、ライコの声は低い。

 奏音をライコに献上する計画が失敗したのは、部屋の惨状と先程のふたりの様子から明らかだった。

「申し訳、ございません」

「申し訳ございませんだと? は! いい気なものだ、謝ればすべてかたがつくと!?」

「……いえ」

 幽鬼のようにライコは立ち上がり、ふらふらとイルマイラに迫る。そのあまりの形相に、イルマイラは動くことができなかった。

「まったく、こんなにも役に立たない女だとはな。何年も何年も予見はしない、夜伽(よとぎ)を用意することもできぬ。なんのためにお前はここにおる!? 余を邪魔するためだけにおるというのか!?」

「そのようなことは……!」

 なんのためにここにいる。イルマイラを解放しなかった張本人の口からは決して聞きたくない言葉だった。

 ライコの右手が咎めるようにイルマイラの腕を摑み、もう一方の手が肩を摑んだ。

 砕かれそうなほど激しい力だった。血走った目が、ずいと眼前に突きつけられる。そのまま乱暴に壁に押しつけられた。

 打ちつけられた背中の痛みに眉をひそめたイルマイラだったが、がっしりと肩と腕を拘束するライコの腕の強さとその目の前に迫る彼の顔に、ぞっと肝が冷えた。

 逃げることができなかった。鼓動は激しく胸を叩くが、全身にめぐる血はまるで氷のように冷たく、痛い。

 この距離は、あまりにも近すぎる。

「おやめください陛下」

「ハイカイネン伯とのことの仕返しか。あのとき里帰りを許さなかった余を恨んでのことか」

「!?」

 どくんと、心の臓がひときわ強く絞られる。

『あのときの里帰りを―――』

 ライコが、十年以上前のあの出来事を覚えているとは思わなかった。

 レミンが大怪我をしたと聞いたあのとき。なりふりかまわず、予見の職を辞したいと願い出た。大きな騒動となったのに、ライコはあれ以後も何事もなかったかのように彼女を筆頭予見者として扱っていた。

 王にとっては、レミンの事故も怪我も、取るに足りない瑣末事なのかと思っていた。

 驚愕に目を瞠るイルマイラを、ライコは珍しいものを見るかのようにしみじみと見つめ返す。

「ほう。お前の顔が苦悩に歪むのが、こうも美しかったとは」

「陛下……ッ!?」

「いまになって気付くとは、余も目が曇ったものだ」

 イルマイラが瞬きを返すその前に、ライコの手がドレスの襟元にかかった。

「ッ!」

 おやめください。静止の言葉すら間に合わなかった。

 容赦なく引き裂かれる。

 音をたてて血の気が引く思いを、このときイルマイラは、初めて経験した。



 カリエ翼の向かいの棟の地下室に、レミンと奏音は連れられた。天井近くに小窓はあるものの、差し込む光はあまりに薄い。ほとんど使われることのない部屋なのか、埃とカビの臭いが漂っている。

 レミンの手首から、近衛兵はするりと縄を解いた。

「伯爵は、我々の裏をかいて逃げだすような方ではありませんから」

 壮年の近衛兵は怪訝な顔のレミンにそう答え、一礼をして部屋の外へと出て行った。もうひとりの若い近衛兵も、ヴェールを腕にかけたまま、丁寧に頭を下げてあとについていく。

 小部屋からは、魔法陣を描けるようなものはすべて持ち出されていた。

 戸口の向こうに近衛兵たちがつくと、ふたりは壁際にどちらともなく腰を下ろし、寄り添うように身体を預けあった。

 レミンは思いつめた表情のまま、ひと言もない。

 敗北のような沈黙だった。


 得体の知れない『死刑』という言葉が、奏音の頭をぐるぐると駆けめぐる。

 死刑なんて、日本にいたときももちろんフィザーンに落とされてからもまったくの他人事でしかなかった。自分の身にその単語が突きつけられる日が来るとは、想像すらしなかった。

 あまりにも縁のない言葉だと、そう、思い込んでいただけだったとは。

 奏音は重たく、肺の空気を押し出した。

「ごめんなさい。あたしが逃げてれば」

「いや」

「あたしのせい……ごめんなさい」

 ちゃんとレミンの言うとおりに逃げていれば、こんなことにはならなかった。

「カナのせいじゃない」

 なにかを責めるように、そして諦めるようにレミンは言う。

「誰かのせいにするのなら、カナを手放せないおれのせいだ」

「違う。全然レミンさんのせいじゃないよ。だって、―――!」

 言葉途中で、強い力で抱きすくめられた。

「済まなかった」

 たったひと言が、彼の唇からこぼれ落ちる。

「レミンさん……」

「済まなかった」

 レミンの声は、掠れていた。

(あたし……)

 レミンがなんと言おうと、ライコのもとへ行くべきだったのか。

(―――ううん、できないよ。できない)

 レミンは奏音と離れることを望まないし、奏音もレミンと離れたくはなかった。

 乞うように唇が落ちてくる。

 触れ合う最初は優しく、すぐに貪るように乱暴で、なのに傷をいたわり、こんなときにも心遣いを見せるキス。

 レミンの背に添えられていた奏音の手に、きゅっと力がこもる。

 胸を焦がすほどに愛しい狂おしさ。

 唇が離れては触れ合うごと、背中の腕に力が込められ緩むごと、迫る死の足音が聞こえてくるようだった。


「カナのせいじゃない。逃げてもどのみち、きっと捕まってた。結果は変わらない」

 唇が離れたあと、レミンは吐息をつく。

「おれの覚悟が甘かったんだ。転移魔術でなら逃げられると、過信してた」

 しかし現実は、出口となる魔法陣が直前で効力を失ってしまった。あまりにもはかない退路だった。それを頼みにしていた、自分の浅はかさ。

「王宮で転移魔法使うのは、いけないことなんでしょう?」

 小さく頷くレミン。

「陛下がカナをお召しになることは、式典の招待を受けた時点で判っていた。欠席ができる種類の式典でもないことも。それでも、カナを失いたくなかった。だから、―――不敬罪は、覚悟の上だった」

「……」

 二度とあんな目に遭わせないと言っていたレミン。

 不敬罪を覚悟しての式典参加。

 どんな思いで、彼はヴェールに魔法陣を描き込んだのだろう。

「爵位の剥奪、領地の没収……国外追放で済めばと軽く考えてた。甘かった。反逆罪が来るとまでは、思わなかった」

 消えてしまいそうな彼の表情に、奏音の胸は締めつけられる。レミンは、ふと笑みを眼差しに乗せる。

「カナの刑は大丈夫だ。すぐに撤回される。いくら陛下でも辺縁の姫君を処刑はできないさ。辛い思いをさせたな」

 こんなときにも奏音の心配をしてくれるレミン。奏音は眼差しに決意を浮かべ、彼を見上げた。

「あたしも、すぐに()く」

「?」

「撤回なんていい。あたしも死刑になる。それがだめなら、自分で逝く」

 揺るぎのない声に、レミンの顔色がさっと変わる。まっすぐに瞳の底を見つめこまれる。

「だめだ。おれのあとは追うな。約束してくれ」

「どうして」

「お前は、生き続けるんだ」

「どうして」

 判らないと、奏音は首を振る。

「ひとりでなんて生きていけない」

「ひとりじゃないだろう。姉上も、領地のみんなもいる」

 言いながら、彼らにも罪は及ぶと気付くレミン。だが、それを言うことはできなかった。奏音をこちら側に繋げておくためには、不安をあおることをいま言う必要はない。

「レミンさんがいない。レミンさんがいなきゃ、全然意味ないよ」

 レミンの袖を摑み、訴えかける奏音。

「レミンさんがいなくなったら、陛下のひとが捕まえに来る。レミンさんひとりで勝手に逝っちゃって、あとは生きろだなんてずるい。いやだよ。できない。この気持ち守りぬいて、一緒に死ぬほうがいい」

「カナ……」

「二度とあいつのとこになんか行かない。王太子だって絶対に産まない。この国のことなんて知らない。レミンさん殺したフィザーンなんかどうだっていい。あたしにはレミンさんがいなきゃ、全然意味ないんだよ」

「……」

「一緒に罰してもらう。それがだめなら、自分で逝く」

 思うのだ。

 本当は、自分は事故かなにかで死んでいるのかもしれない、と。

 フィザーンは死後の世界であり――もしくは死の世界へと至る前段階の世界であり――生や死を語る意味などないのかもしれない。

 そう思ってしまうと、生きることに執着する必要など、どこにもない。

 ましてレミンがいないのなら、なにを頼みにこの世界を生きていけばいいのか。意味のない世界に生きる屍となって、ただ流れるまま時を費やすなど。

 奏音の固い決心に、レミンの思いは揺れる。

 奏音を奪われたあとの人生が無為に思えたように、彼女もまた、自分が死んだあとの人生に希望が持てないでいる。

 自分が処刑されようがされまいが、奏音がライコに再び捕まるのは明らかだった。

「あたしは、レミンさんの妻です。それ以外はないの。レミンさんの妻のままで死なせて欲しい」

「……」

 政略での結婚だった。

 初めは本当にただ同情と憐れみでしかなかった。

 言葉を失くした娘が、いま彼女自身の言葉でもって、自分はレミンの妻だと、妻のままでいたいのだと迷いのない眼をまっすぐに向けている。

 レミンの中に、抑えきれないうねりがわき立った。

「それ以外には、させないで。あなたの妻でいさせてください」

 言い終わると同時、奏音は大きな腕で、背中を包み込まれた。

「自分で命を絶つことは、するな」

「レミ」

「待ってる。待つよ。地獄でも天国でも、一緒に行こう」

 泣きそうな声だった。奏音は深く頷いた。

 それ以上、レミンはなにも言わない。ただ優しく、髪を撫でるばかりだった。

 静寂の向こう、どこかから喧騒が聞こえてくる気がした。こんな王宮の端、しかも地下室に届く賑わいなどないだろうに。

「『辺縁の姫君』は国益をもたらすって、あたし、全然そんなことなかったね」

 レミンの背を抱き締めながら、奏音は呟く。

 初めての例外だと、奏音は疎外感のような寂しさを覚える。レミンは小さく首を振る。

「きっと、おれたちには判らないんじゃないかな」

「判らな、い?」

 奏音の頭上で、レミンは遠い眼差しをする。

「たぶん歴史が、答えを出してくれるんだと思う。ここでおれたちが果てても、なんらかの形が歴史には残るんだと思う。きっとそれが、カナがもたらした国益の形なんだ」

 その眼差しにはなにが映っているのか、彼の胸に頬を寄せる奏音にはもちろん判らない。

 ただレミンの静かな答えに、自分にはなにか意味があったのだと、そう信じたいと思った。



 窓から差し込む弱い光が、更に陰りを帯びだした。戸口の近衛兵たちに、動きはまだない。

「このまま刑は執行されるんですか? 裁判とか、そういうのもなく」

 死を受け入れているからか、奏音の声は驚くほど平静だった。

「形式的な裁判はあると思う。死刑が覆されることはないだろうけど」

「なら教皇さまやミカ殿下が、異議ありって反対してくれるかもしれない」

「最悪でもカナはそれで助かるよ。でもおれは、無理だろうな」

「どうして?」

「カナほど、フィザーンに価値のある人間じゃないから」 

 辺縁の姫君と一田舎貴族。この国では、たったそれだけのことで命が選別されていく。

 寂しい表情のレミンに、胸が痛くなる。

「あたしには、世界で一番価値があるひとよ。一番、必要なひと……」

「ありがとう」

 微笑み、唇を寄せるレミンに、奏音は自分の往生際の悪さを思い知る。

 このひとを、死なせたくなかった。

「―――ミカ殿下なら、本当に助けてくれるかもしれない」

「どうかな」

「悪いことは悪いと言ってくれるはずだわ」

 言いきる奏音に、レミンは眼差しに、おやという軽い驚きを乗せる。

「殿下を、信頼してるんだな」

 頷きながら奏音は思い出す。

 フィザーンに落とされた翌日、うちひしがれたまま王族たちに紹介されたあのときのことを。

 その部屋の天井近くまで届く窓からは、眩しい光が部屋の奥にまで差し込んでいた。記憶の中の光景は、だから白い紗がかかっている。

「初めて殿下に紹介されたとき、おっしゃってくれたんです。『一日も早く、お健やかな王太子殿下のご誕生をお待ちしています』って。他のみんなはただ『早く王太子を』ってばかりだったのに、『お健やかな』って。優しい方なんだって感じたんです。それに、たぶんですけど、あたしが一日でも早く陛下のひとから解放されるようにっていう意味もあったんだと思うんです」

 フィザーンにやって来たばかりの奏音を気遣うように、眉宇に憂いさえ浮かべていた王弟ミカ。

 装ったものでもなければ、自らの慈悲深さを誇示するものでもなかった。ミカのその一挙手一投足、ほんの僅かな瞳の動きにすら、胸にあたたかなぬくもりを覚えた。

 それはきっと本能なのだろう。

 うるさいまでに華美な王宮で見つけた、魂が洗われるほどにまっすぐな心。

 このひとは、誰とも違う。

 話を心で聴いてくれるひとだ―――と。

「殿下だけは、ひとを思いやる心を持っている。政治とか立場とか思惑とかそんなの関係なく、まっさらな目で公正に物事を見る方だと思うんです」

 確かに、とレミンは思う。

 以前結婚式で意識を失った彼女に典医を向かわせてくれたのは、ミカだった。ミカならば、ライコのように一方的に物事は見ないだろう。

「もし殿下に裁判をご覧いただけたら……。いや。そんな希望は、持たないほうがいいのかもしれない」

 レミンは緩く首を振り、それ以上を言葉にしなかった。

 おそらくミカが裁判に顔を出しても、反逆罪は覆らないだろう。よくて、領民たちに多少の恩情がはかられるだけで。

 どう考えても、自分の行動は国に仇なすものだ。

 きっと死刑は、免れない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ