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05-2

「!」

「わたしのすべては彼女であり、彼女もまたわたしがすべてなのです。彼女の存在は、国よりも重いのです」

 揺るぎないレミンの声に、奏音の中に一陣の風が吹きぬける。眼差しの先で、レミンは誰よりも大きく見えた。

 胸の内から熱い想いが奔流となって溢れだす。抑えきれないほどに、それは翻弄するように奏音を激しく揺さぶる。

「ふざけたことを!」

「そうよ!」

 苛々と一歩を踏み出したライコの足が、奏音の悲鳴に止まる。

「あたしは、あんたの子なんて産まない! あたしが産むのは、レミンさんの子供だけよッ!」

「―――!?」

「あんたの子供だなんて、考えるだけで吐き気がする!」

 あんた呼ばわりされたことも相まってライコは瞬間息を呑んだが、すぐにその顔を真っ赤にさせた。

「いいように手懐けたじゃないか」

 対して、レミンはライコを捉える眼差しに、憐みを乗せる。

「ひとを手懐けることなど、できはしませんよ」

「なんだと」

「相手が誰であれ、誠意をもって接する。妻に、ひとりの人間として、まっすぐに向き合っただけです。そうしてなににも代えがたい愛情が生まれただけのこと。それだけです」

「知ったような口を!」

「畏れながら陛下は、妻を道具としてしか見ていらっしゃらなかった」

「口を慎め!」

「陛下」

 レミンは、ライコの怒号にも揺るがず、落ち着いた声で続ける。

「ほんの僅かでも妻に愛情を感じていらっしゃるのなら、どうか妻を、彼女を予見から解放していただきたく存じます」

「解放だと?」

「妻はどこにでもいる普通の女性です。予見のためにフィザーンに来たのではなく、フィザーンに来た彼女に、たまたま予見が関わっていたというだけです」

「辺縁の姫君に変わりはない。予見は、主の姫宮に下されたのだ」

「彼女は少し不器用で、寂しがりで一生懸命な、フィザーンに迷い込んだだけの女性、それだけです。我々が『辺縁の姫君』と勝手にお呼びしているにすぎません」

「はん!」

 見下すように、ライコは鼻で嗤う。が、レミンはそんなライコをまるで憐れむように見据える。

「陛下は、妻のことをなにもご存じでいらっしゃらない。彼女を理解しようと、御心を寄せることすらなさらなかった。それをせめてなさるべきだったんです」

「な……」

 レミンは奏音を促し、床のヴェールへと向かう。唸るように低い声が、耳に届いた。

「田舎貴族が。たかが転移魔術ごときでいい気になるな」

 レミンは足を止めた。

 険しい顔で、冷ややかに突きつける。

「魔術でわたしを拘束し、妻の自由を奪うおつもりですか。妻がフィザーンに絶望する日々を送ることを、主は二度もお許しにはならないはずです」

「生意気をッ」

「魔術は、予見は、誰かを思いどおりにさせたり苦しめるためにあるのではございません。こんな、部屋を封印し、ひとりの女性を我が物にしようと魔術を行使させるなど……!」

「フィザーンのためだ! 手段を選んでる場合ではない!」

「一国の王がなさることではございません!」

 レミンの一喝が部屋中に轟く。その覇気に、ライコは息を呑む。

「ひととして、主が与えてくださった玉座を預かる存在として、このなさりようはあまりにもひどすぎます」

「言葉が過ぎるぞ、伯爵!」

「相手が陛下であろうと、わたしは愛する者を守りとおします。己の愛する存在を守れずして、なにがフィザーンの貴族でしょう?」

 まっすぐなレミンの眼差しに、ライコは言い返せない。

「―――行こう」

 レミンを見上げる奏音。強く、大きな眼差しがこちらに注がれていた。

 頷くと、レミンは上着を羽織らせる。背の高い彼の上着は、奏音には膝丈にもなる。ライコによって乱されたドレスを隠すにはちょうどいい大きさだった。

 魔法陣に足を踏み入れようとしてレミンは気付く。床に広がるヴェールから、いまのいままであった青白いほのかな光が消えていた。先程あの部屋に描いた魔法陣を、イルマイラが崩したのかもしれない。あれはヴェールの魔法陣と対となっている。繋がっていた出口を失ったこの魔法陣は、もう使えない。

 だが、それを悟られるわけにはいかない。

 レミンはヴェールを拾い上げ、危うい思いを抑えながら、奏音を抱き寄せ扉に向かう。

 この扉は奏音を拒絶し続けていた。出ることは叶わないのではと表情を曇らせた彼女に、レミンは告げる。

「大丈夫」

 レミンが取っ手を沈めると、それは音もなく簡単に外側へと開いていった。

「え」

「転移魔術で、封印が破れたんだ」

「そう、なんですか……」

「結果的にだけど」

 扉の向こうには、驚いた顔をした数人の近衛兵と、閉じ込められたときにはいなかった男性がいた。知らない顔だ、―――いや、見たことが、ある。

(どこかで……)

 男性は困惑していた。貴族の盛装ではない。着飾っていても単調な印象でしかない質素な姿―――。

 見たことがある。どこかで、この男性を。

 記憶にひっかかる壮年の男性。やや下がり気味の目、年のわりには多めの白髪。

 奏音の脳裏で、音をたてて符合するものがあった。

 国王付きの魔術師。レミンとの婚姻の際、ライコのすぐそばで自由を魔術で奪った男―――バルファイ。

 紹介されたことがないため名前しか知らなかった魔術師。

 このひとが。

 一度ならず二度までも。

 このひとが。

 かっと怒りがこみ上げてきたそのとき、突然背後から怒号が響いた。

「その者を捕らえよ!」

「―――は、はッ!」

 王の声に、数瞬呆けていた近衛兵たちが両側からレミンの腕を摑みあげた。

「! 逃げろ、カナッ!」

 咄嗟に叫ぶレミン。捕まる直前、奏音は彼に突き飛ばされる。よろめきながら振り返ると、身体をよじり、腕を振り上げ抵抗するレミンの姿があった。

「レミンさん!」

「逃げるんだ、王宮(ここ)から一刻も早くッ!」

「でも」

 レミンが拘束されている。彼を置いて逃げるなんてできない。慌てて奏音は近衛兵に追いすがる。

「離して!」

 彼を摑みあげる近衛兵たちの腕は力強く、女の奏音には外そうにもどうにもならない。抵抗も、虚しくただ足掻くことしかできない。

「やめてください!」

「いいから! 早く逃げるんだ! 逃げろ早くッ!」

「だって、レミンさん」

「さっさと牢に連れていけ。余に対する不敬の罪だ」

 背後からの冷たい響きに、愕然とする奏音。

「そんな、待ってください、だって、助けに来てくれたんです、あたしを!」

 奏音は近衛兵やバルファイに訴える。

「なにも悪いことしてないじゃない!」

 不敬などありえない。愚かにもかどわかされた自分を助けただけだ。

 しかしどれだけ理不尽でも、近衛兵たちにとって重要なのは、ライコの言葉。

 彼らは抵抗をやめないレミンを封じ続けたし、どんなに懇願してもバルファイが動くことはなかった。

「おれはいいから! 早く! 捕まる前に!」

 レミンは青い顔で必死に訴える。

 奏音は、状況を理解していない。

「だって、どうして」

「追い出せ」

「は!」

 近衛兵たちは短く答え、レミンを続き部屋の向こうへと引き立てていく。

「やだ、レミンさ……!」

 追いかけようとする奏音の腕が、ぐいと後ろから摑まれる。

「お前は残れ」

 すぐ耳元に降ってきた声に、肌が粟立った。

 レミンは色を失い、悲鳴をあげる。

「カナ!!」

「お前はまだ、義務を果たしていない」

 蛇のようにライコの腕が絡まる。レミンが逃げろと言った意味が、捕まると言った意味が、いまようやく判った。

 今度こそ完全に引き離されてしまう。

 すべてはもう、遅い。

(いや……)

「おやめください陛下! なんでもいい、とにかく逃げるんだカナ! 早くッ! 逃げろッ!」

 だが恐怖に硬直してしまい、奏音は声も出ない。

 小部屋で叫ぶレミンの姿はもう見えない。近衛兵と争っている荒々しい気配が届くだけ。

「離せッ、やめさせろッ! カナ!」

「バルファイ! 部屋を封じろ! 次は破られるな!」

 乱暴に奏音を抱え込みながら、ライコは戸口のバルファイを怒鳴りつけた。

 息を詰めて成り行きを見守っていた魔術師は、突然呼ばれた自分の名に、はっと身をこわばらせる。

「ハイカイネン伯の身体も拘束せよ! これ以上邪魔されては子も宿せぬ!」

「やめてッ!!」

 ぞっとしたと同時、腹の底から悲鳴がほとばしった。悲鳴とともに無意識の力が爆発する。

 女性とは思えない強い力の反撃にライコは怯むが、それでも逃げられない。

 ふと一瞬、奏音は動きを止めた。

 観念したのかとライコの腕から力が抜けた瞬間。

 奏音はライコの(わき)へと腕を伸ばし、くすぐりだした。

「!?」

 さすがのライコも、これには油断していた。

 抵抗する力を抑え込むことはできても、腋をくすぐられることまでは想定外だった。奏音を手籠めにするつもりでブラウス一枚でいたことも禍いした。

 奏音はライコの腕を引きちぎるようにして振りほどき、バルファイによって閉じられる直前の扉に取りすがった。

「封印すんじゃないよ」

 扉の隙間に差し込んだ腕で、こじ開けるようにして間を広げる。

「レミンさんになにもすんな、いい!? 判った!?」

 鬼気迫る勢いで乱暴な言葉遣いになる奏音。高貴な姫君からの暴言にバルファイは混乱し、身動きもできない。

 部屋から転がり出た奏音は、勢いあまってたたらを踏んで倒れ込む。辺りを見渡すと、続きの部屋の戸口の向こうに、抵抗しながらも引き立てられるレミンの背中があった。

「レミンさん!!」

 奏音の叫びにレミンの肩がはね、こちらを振り返る。両手首は、縄で拘束されていた。

「カナ!」

 レミンに駆け寄ろうとする奏音の背中に、その怒声は降ってきた。

「ハイカイネン伯が死んでもいいのか!」

「―――!?」

 思いもかけない言葉に、足はその場に縫いとめられた。

 問うように眼差しを返す奏音に、勝ち誇ってライコは吐き捨てる。

「不敬罪では生温い。反逆罪だ。フィザーンの未来を潰そうとする立派な反逆。死をもって償うのは当然であろう?」

「そんな……!」

「……」

 たったいま下された刑の衝撃に堪えているのか、レミンは目を瞠ったまま唇を固く引き結んでいる。

「お前次第だ、公爵。お前が意地を張らねば、命は助けてやる」

 ライコの言葉が、奏音の中でぐるぐると渦巻く。

 反逆罪。死。レミンが殺される……?

 自分がどうするかで、ライコに下るか否かで、レミンの命が決まる。

(そんな莫迦な)

 冗談だと、思いたくなる。

 だが一瞬にして凍りついた空気が、冗談でも夢でもないことを突きつけていた。

「どうする公爵。お前はその手で愛する伯を死に追いやるつもりか?」

「―――」

 酷薄なライコの顔。

(この男なら)

 ライコなら、平気でレミンを殺すだろう。

 信じられない思いでレミンを見た。

 レミンはただ、まっすぐに奏音を見つめている。その深い眼差しに―――残酷な答えが浮かんでいた。

 振りきるように視線を外した。

(だめ……)

 こればかりは、レミンの言いぶんを聞けない。聞けるわけがない。

 レミンを死なせるわけにはいかない。

 ぎゅっと、こぶしを固く握り締める。

 ライコに下るのは堪えがたいほどの屈辱であり、未来の喪失を意味する。

 けれどレミンを失うことのほうが、辛く、絶望は深い。どんな形であれ、生きていてもらいたい。見つめ続けていたい。たとえ、―――一生そばにいられなくとも。

 レミンを失いたくはなかった。

 レミンが生きてさえくれるのなら。

 どんなに足掻いても、結局はこうなる運命だったのか。

「カナ」

 奏音の身体がライコへと重心を変える直前、レミンの硬い声が耳を打った。

「おいでカナ。おれのところに来い」

 すべてを受け入れる声音だった。

「―――でも」

「いいんだ。そばにいてくれ」

「なに言って、そんなことしたら」

「判ってる。いいんだ」

 静かな覚悟がにじんでいた。微笑みすら口元に浮かべ、頷くレミン。

「やだよ……」

「おれのそばに。頼む。ひとりにしないでくれ」

「死んじゃうんだよ!?」

「お前を犠牲にしてまで生きるつもりはない」

 血を吐くような言葉だった。魂が剥きだしになったような、なのに静かな眼だった。

 それ以上、なにも言えなくなる。

「行くな」

「……」

 レミンは、覚悟をしている。

 彼の想いが、奔流のように流れ込んでくる。

 途方もなく重たい覚悟を、―――受け入れたいと思った。

(あたしは、レミンさんの妻だわ)

 息を詰め、奏音は心を決める。

 ライコへと流れていた重心が身体を移動する。

 右足を、レミンに向けた。

 一歩、また一歩とレミンへ踏み出す足の重たさを、これほど苦しいと思ったことはなかった。

「それが答えか!」

「―――おいで」

 どすを利かせるライコに、足は止まりそうになる。けれどやはり、レミンは優しく促すのだった。

「反逆罪により、ハイカイネン伯爵を死刑に処す! これは決定事項だ公爵!! お前も同罪だ。お前も反逆罪で死刑にしてやる!」

 はっとライコを見遣るレミン。ライコは狂ったように声を荒げた。

「余の子を産みたくないと豪語した報いだ。いまさら命乞いをしても無駄だ!」

「命乞いなんてしない。死んだって、あんたの子供なんて産まない」

「!」

 きっぱりとした奏音の断言に、ライコは言葉を失う。

 奏音はただレミンだけを見つめ、足を止めなかった。

 歩を進めるごと、目から涙がこぼれ落ちる。

 これは、愛するひとを死へと追いやる歩みだ。

 同時に、愛する者と一緒になるための歩みでもある。

 こんなことになるなんて。

 腕を伸ばす奏音。

 レミンの胸に、すがりつく。胸に抱きつく奏音の頭に、レミンの頬が寄せられる。

 抱き締めあうことはかなわなくとも、それは確かな抱擁だった。

 レミンを、失いたくなかった。

 ずっと、ずっとずっとそばにいたい。

 嗚咽を繰り返して泣きじゃくる奏音の姿を、その場の者たちは言葉もなく見守るしかできなかった。

 駆けつけたイルマイラも、廊下に面した部屋の影で、息を呑んでいた。

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