表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/44

05-1

 どうしてこんなことに。

 目の前の白い扉に、奏音は拳を強く叩きつけた。

「―――!!」

 開けてと叫ぶものの、喉は凍りついて声にならない。恐怖という名の空気の塊が、かすかすと喉を震わせるだけだった。

 扉の取っ手を押しても引いても、外から鍵をかけられているのかびくともしない。手が震えるせいで、よけいにままならない。

 そうしている間にも、死刑宣告のような硬い靴音が背中に迫り来る。

「無駄だ。バルファイに部屋を封じさせた」

 優位を楽しむライコの声に、奏音は扉から飛び退(すさ)る。

 バルファイとは、ライコ付きの魔術師だ。名前は何度か聞いたことがあった。

 奏音はすんでのところで伸びた腕をかわすが、縮められた距離を引き離すことはできなかった。もてあそぶように、ライコは奏音を追い詰めていく。

 手近な物を投げつけても、ライコの足が止まることも、その目から狂ったようにぎらつく光が消えることもなかった。

(どうして……!)

 レミンがこの部屋で落ち合うつもりでいると、そう言われてついて来たのに。

 あのとき。

 レストルームから出たところで、呼び止められたのだ、小さな声で。

 振り返ったそこにいたのは、イルマイラだった。レミンの、元恋人。彼に以前愛されていた女性。

 彼女は伝言を託されていると言った。レミンが帰るつもりでいる、と。このまま王宮にいては、帰るに帰れない状況になりかねない。皆がほろ酔いのいまなら、誰も気にはとめないだろう、と。

 にわかには信じることができなかった。レミンと恋愛関係にあった女性の言葉を頭から信じるには、抵抗があった。

 けれど、

『わたくしとハイカイネン伯とのことは御存知でいらっしゃるのでしょう? だからこそです。わたくしのことを信じてくださっているからこそ、伯はこの伝言を託してくださったのです』

 イルマイラのひととなりを知っているからこそ―――。

 確かにこのまま大広間に戻っても、人々のざわめきとお酒に翻弄されるだけだ。いつまたライコに狙われるか不安も尽きない。奏音自身、早く帰りたい気持ちは正直あった。

『どうすれば、いいんですか?』

『ふたり同時に姿を消しては怪しまれるからと、いったん別室で待機してもらいたいとのことです。伯はしばらくしてから、いらっしゃるそうです』

『……判りました』

 ―――そうしてイルマイラに誘われるまま、奏音はカリエ翼の奥まった一室へと導かれたのだった。

 部屋の扉が開いた瞬間、

『これが、レミンが本当に望んでいることよ』

 奏音はそう言われ、イルマイラに背を押された。たたらを踏んだ奏音が眼差しを上げたそこに、部屋の奥から現れたライコの姿があった。

 そのときになってようやく、これが罠だと思い知らされた。


 鋭い音が床で弾けた。床に砕け散ったのは値が張りそうな花瓶だ。ライコめがけて投げたのだが、彼はひょいと身をかわしただけでそれを避けてしまった。

 この展開に酔いは醒めたが、思うようにライコを止められならない。

 テーブルや床几をなぎ倒しながら、懸命に奏音は逃げまわる。

『レミンが本当に望んでいることよ』

 イルマイラの最後通告が、胸を凍らせていく。

(そんなことない。そんなこと、あるはずない……!)

 自分は自発的に大広間を出た。ひとりは危ないと、レミンこそが気にしてくれた。

 レミンが自分を売るなんてことは、ありえない。

 奏音は自分に何度も何度も言い聞かせる。

(あたしは、独りなんかじゃない!)

 レミンの眼差し、彼の笑顔。

 真実のものだ。

『レミンが本当に望んでいることよ』

 本人の言葉ではない。イルマイラが勝手に言っているだけ。

(レミンさんに言われたわけじゃない! 言うわけないッ!)

 荒い息を繰り返す奏音の視線が、窓に流れた。

 扉がだめなら、窓がある。

 ここは確か二階だから、飛び降りられないこともないはず。

 奏音は窓際の床几を摑んで大きく振り上げ、窓へと投げつけた。

 ぐゎんと重たい音がした。

 桟とともに嵌められたガラスがたわみ、跳ね返された床几が床に転がる。

「!?」

(うそ、どうして!?)

 重たい床几はそのままガラスを破り、窓の外へと消えていくはずなのに。

 ガラスは割れもしなければ、ひびひとつ入らない。

(そんな……!?)

 どれだけ暴れても大きな音をたてても、なんの反応も示さない扉の向こう側。

 部屋を封じさせたというライコの言。

 ―――封じる。

(この部屋……)

 たんに鍵をかけたのではない。魔術によって、外側から封印されているのだ。だから窓を割ろうとしても、跳ね返されてしまう。

(やだ……、レミンさん!)

 逃亡する手段を見失い、絶望に呑まれそうになる。

「ひッ!?」

 一瞬の隙に、背後から羽交い絞めにされた。

「がむしゃらになるお前も、久しぶりになかなか楽しませてくれるじゃないか」

 足元からせり上がってくる不快感が、ねっとりと全身を絡めとる。吐き気がした。密着してくるライコの身体に、とにかく暴れ、なりふり構わず抵抗をする奏音。

 背中から拘束するライコの腕は強い。どれだけ抵抗をしても、男の力には勝てない。必死になる奏音を、ライコはおかしげに(わら)いさえする。

「!!」

 その暴れる足が、偶然にもライコの足の甲を踏みつけた。

 ヒールの高い(かかと)が容赦なく叩き下ろされ、ライコの腕が思わず緩む。奏音は身を振りほどいた。

 しかし。

 逃げだそうとする奏音にライコの手が伸びた。翻ったヴェールを摑まれ、引き剥がされる。更に腕が伸び、

「―――!!」

 力任せに顔を殴られた。

 あまりの衝撃に部屋の端まで吹っ飛び、一瞬前後不覚に陥った。胸倉を摑まれ、部屋の奥へと引きずられる。

 寝台に放り投げられた。

 激しい耳鳴りと顔の痛み、定まらない視界の中、奏音の上にライコが覆いかぶさってきた。



 レミンは扉へと駆けだした。開けようとするが、かけられた鍵にびくともしない。

「開けろ!」

 扉の向こうに近衛兵の気配はあるものの、動く様子はまったくない。

「緊急事態だ、開けるんだッ!」

 あらかじめ命令されているのか、近衛兵はレミンの叫びになんの動きも見せない。

「どうしたのいきなり」

 突然の取り乱しぶりに、イルマイラは怪訝に訊く。

「イルマイラ殿ここを開けさせろ! 早く!」

 扉に拳を叩きつけるレミンとは対照的に、背中からの声は、憎らしいほどに冷静だった。

「ここで待っていればいいのよ」

「待つだと?」

 レミンの声に険がはらんでも、イルマイラはさも当然のように言う。

「陛下が公爵とともにおいでになるまで待てばいいの。そうすれば、わたしたちは一緒になれるようになってるもの」

 ぞっとした。恐ろしいことを、何故平気で言える。

「長かったわ」

「ふざけるな!」

 奏音の身に降りかかっている事態に、レミンは恐慌状態に陥る。

 奏音は、いま危機にある。

 禁忌に触れると判ってはいたが、なにかあったときすぐに判るよう術を施していた。

 それが反応している。

 詳しい状況は判らないが、危機にあることは確かなのだ。

「なにを企んだ!?」

「企むだなんて。わたしはただ、公爵とふたりきりで面会できる機会を陛下に提供しただけ。うまくいったあかつきには、あなたと一緒になれるようお願いはしたけれど」

「莫迦やろう!!」

 レミンの罵声が、部屋中に轟く。

 イルマイラは自分勝手な一方的な想いに囚われ続けている。これ以上、無駄に言葉を交わす時間も惜しい。

 レミンは部屋をざっと見渡した。目についた壁の張り出し燭台から、乱暴に蝋燭を引き抜いた。蝋燭の先を床に当て、素早くそこに魔法陣を描く。

「なにをするつもり?」

「来るな」

 許可なく王宮で魔法陣を描くことは、それだけで禁忌に触れる。

 不穏なものを感じ取ったイルマイラだったが、レミンは彼女にもう一方の手を掲げ、魔術で身体を拘束させた。

「邪魔をするな」

「―――!」

 声も封じられ、イルマイラは喉を詰まらせ、うめく。

 蝋燭をまるまる一本使いきって、レミンは魔法陣を描いた。青白く淡い光をたたえだす魔法陣に、足を踏み入れる。

「―――!」

 動けないイルマイラの頬に、涙が落ちた。

 それでもレミンの決意が変わることはない。彼女にかける言葉すら、もう無くしてしまった。

 呪文を紡ぐ。

 一瞬にして足元から光の噴水が立ち上がり、―――消えたときには、レミンの姿はどこにもなかった。

 部屋にただひとり残されたイルマイラは、ようやく彼の魔術から解放され、その場に崩れ落ちたのだった。



 癖がないからこそ丁寧に結い上げられた髪が、寝台で乱れうねっている。ライコは奏音を組み敷き、荒い息を繰り返していた。

「調子に乗るなよ。お前は、余の子を産むと運命付けられている」

「―――」

 声は出ない。しかし、ライコを睨み上げる目は苛烈にして頑なだった。

 両手両足は抑えられて自由にならないが、諦めるわけにはいかない。

 拠り所となる場所があり、守りたいひともい、かつてのようにもう独りではない。

(絶対に負けない……!)

 自分は、独りきりじゃない。

 崩れてしまいそうなほどの恐怖と戦いながらも、奏音は抵抗を諦めたくはなかった。

 近付くライコの顔めがけ、奏音は頭突きを喰らわせる。

「!」

 予想もしなかった反撃に、ライコは思わず頭を抱え込む。

 その脇を抜けようとするが、髪を摑まれ、再び組み伏せられてしまう。

「どれだけ抵抗しても、結果は同じだ」

 声には怒りがにじみ、眼差しは狂気と思えるほど凄みがあった。

「お前がここにいるのは、そのためだ」

 ライコの手が胸元へと伸びたそのときだった。

 部屋の隅に大きな光が生まれ、ガラスが割れるような、細かい音が響いた。

 背を向けていたライコは、視界に割り込んできた突然の光に何事かと振り返る。

 その顔が、凍りつく。

「きさま……」

 視線の先に、ここにはいないはずの人物がたたずんでいた。光のかけらをまとわりつかせながら、無言で王をひたと見据えている。

 ライコの下から覗く奏音の顔を見、その人物―――レミンは表情を一変させた。

 頬に殴られた痕がある。口を切ったのか、口元は赤く、シーツは血に汚れていた。

「あなたという御方は……!」

 辺縁の姫君に、ひとの妻に手を上げるなど。

「なにをしに来た、ハイカイネン伯爵。ここは転移魔術で遊ぶ場所ではない」

 部屋の隅、ライコが引き剥がしたヴェールの上にレミンは立っていた。

 しわひとつなく広がるヴェールには、ほのかな光を放つ魔法陣が浮かび上がっていた。

(レミンさん……!)

 決して外してはならないと言われていたヴェール。魔法陣が描かれていたとは気付かなかった―――見えなかった。髪から外れた瞬間に魔法陣が浮かび上がるよう、あらかじめ術が仕込まれていたのかもしれない。

「妻を、迎えに参りました」

「レミンさんッ!」

 どうしても出なかった声が、喉からほとばしる。

 渾身の力をこめ、奏音はライコを押しのけた。バランスを崩し、寝台の反対側へと倒れるライコ。

 駆け寄るレミンの胸に奏音は飛び込んだ。

 背中を大きな腕で抱き締められ、身体のすべてでレミンの体温と力強さを確認して、ようやくほっと安堵の息が漏れた。

「ごめんなさい。ごめんなさい……!」

 もっと気をつけていれば。もっと警戒してさえいれば、こんなことにはならなかった。

「大丈夫か?」

 レミンは奏音の顔を覗き込む。間近で見ると、血にまみれていていっそう痛々しい。

「―――ごめんなさい。ごめんなさい」

 顔はきっと腫れるだろう。それほど殴られたのに、奏音はただひたすら謝ってくる。胸がひどく締めつけられる。

 かつても頻繁にこんな目に遭っていたのだ。誰も助けてくれない毎日を独りで堪え、次第に心を閉ざしていった……。

 レミンは奏音の頬に指を這わせ、唇の血をそっと拭う。

「謝らないで。おれが甘すぎたんだ。―――行こう」

 奏音を蝕んでいた言いようのない不安が、その眼差しに、声に、ぬくもりに霧散する。

 イルマイラの言葉に、どうして一瞬でも揺れてしまったのだろう。

 レミンは間違いなく、こうして来てくれた。

「伯よ、自分がなにをしたのか判っているのか?」

 怒りに震える声が、奏音の背中を凍らせた。安心させるように、レミンの手に力がこめられる。

「もちろんです」

 ひたとライコを見返すレミン。激昂を懸命に抑える彼の眼差しは、その言葉のどこにも偽りがないことを示していた。

「彼女を守るためなら、わたしはなんだってします」

 ライコも激しい眼差しでレミンをねめつける。

「狂ったか、伯」

「いたって正常です。妻が暴力を振るわれ、いささか気はたっていますが」

「暴力だと?」

「違いますか?」

「違うな。反抗的な態度をとるゆえ、少々強硬手段に出たまでだ」

 ライコは平然と正当性を主張する。

「だがお前は、禁忌を犯したな」

「彼女は、わたしにとってかけがいのない存在です。失うわけにはまいりません」

「そうだ。失うわけにはいかぬ。公爵はフィザーンの至宝。フィザーンの未来を継ぐ唯一の希望だ」

 ライコは寝台を降り、酔いしれるような輝きを瞳に乗せて距離を縮める。

「フィザーンの女に余の子は孕めぬ。主の姫宮である公爵にしか、この血を受け継ぐ子は産めぬのだ。さあ渡せ! 邪魔をするでない!」

「できません」

「!?」

 目を剥くライコに、はっきりとレミンは言いきる。

「彼女はわたしの妻です。たとえ陛下であっても、夫の同意がなければ、その妻を自由にはできないはずです」

「では別れよ。お前に公爵を降嫁させたのは、そやつにまともになってもらうためであって恋愛ごっこをするためではない。お前の役目は終わったのだ。いますぐ別れるがいい。命令だ!」

 国王という権力を笠に、ライコは言い放つ。

「さあ、公爵を渡せ!」

「お断りします」

 奏音へと腕を差し伸ばしたライコのこめかみが、ぴくりとひきつる。

「フィザーンの貴族なら、己の恋情より国の将来を優先するのは当然であろう!」

 レミンの指先に、困惑にも似た力が走る。

 王の発言は、あまりにも正論だった。

 彼の迫力に萎縮する奏音に、レミンはちらりと視線を流す。その気配に顔を上げた奏音は、彼の覚悟を感じた。

 レミンはほのかな笑みを一瞬浮かべ、ライコに目を戻す。

「それは重々承知しております。しかし……できません」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ