03
王朝開闢三百年を祝い、王宮に集った各国王族ら賓客は、それぞれ国を誇る祝いの品を持参していた。
繊細な切子硝子の酒杯。千里を数日で駆けるという名馬。神話の世界を細やかに描いたタペストリー。某国王室付きの名匠が製作した狂いの少ない仕掛け時計……。
賓客たちの紹介と、それら祝いの品々の紹介で、時は費やされていく。
この日のために作曲された祝いの曲が演奏され、天才カストラートは喉を披露し、贅を極めた料理が所狭しと並べられ大勢の賓客たちの胃を満足させた。
そこここの部屋で談笑やゲームが始まり、明るいながらも夜になると、大広間ではダンスが始まった。
礼拝前の一件や教皇の戒めがあったにもかかわらず、ライコは懲りずに奏音を追いかけていた。
さりげなさを装ってドレスに触れようとしたり、思わせぶりな視線をよこしてきたり。賓客をだしにして隣に並ぼうともした。そのたびごとレミンは奏音の盾となっていたのだが、宴が始まってどれくらいが経ったろう。さすがに気分屋なだけあって飽きてきたのか、ライコはいつしかお気に入りのストウ嬢と戯れ始めた。
大広間では、もうずっとさまざまな曲調でダンスが続けられている。壁際に下がった人々の間を縫うようにして、給仕たちが軽食や飲み物を運び歩いていた。
奏音はレミンと数曲踊ってはみたものの、付け焼刃で練習したダンスでは、他の貴族たちのように優雅に踊ることはできなかった。レミンの足を踏みつけてばかりであまりにも申し訳がなく、さっさと壁際に避難していた。
壁際に逃げると、待ってましたとばかりにさまざまな貴族たちが好奇の眼差しで話しかけてくる。
酒を飲むつもりはなかったのだが、場の流れもあって、結局グラス二杯ほどを口にしてしまった。
下戸ではないが、強くもない。
ほろ酔いの自覚がある。まぶたの重たさが、なんだか可笑しい。
隣に必ず張りついているレミンは、カンクネン子爵と談笑している。なにを話しているのか、流れる曲や人々のざわめき、それらが大広間に響く音が邪魔をしてよく判らない。
そういえば、カンクネン子爵がやってくる前に、アーニキともお喋りをしていた。
(えと……、なにを話したんだっけ?)
その前に言葉を交わしていたのは?
頭はぼんやりしていた。
甘い口当たりだったが、先程の果実酒はかなり強いのかもしれない。
耳が拾うレミンの低い声が、愛を囁かれているようで、くすぐったくて心地いい。
(あたしの好きなひとの声ってば、すごくいい声なんだから……んふふ)
誰に自慢するでもなく、ひとり胸の内で上機嫌になる奏音。
楽団の奏でる曲が、緩やかなテンポに変わった。
しっとりしたその曲調に、身体は無意識にリズムに乗る。ふらりと一歩バランスを崩したとき、背後の人物に背中が当たり、髪に挿していたヴェールが外れそうになった。
「……っと」
レミンは咄嗟に手を伸ばし、奏音の背中とヴェールを守る。
「すみません」
ぶつかった男性はかなり酔っているのか、奏音の背中が当たったことも謝罪されたことも判っていないようだった。
「―――ありがとうございます」
奏音は頭を下げ、レミンに礼を言う。レミンは確認するように背後の男性に目をやってから、ヴェールをぎこちない手つきで直してくれた。
「外れやすいから気をつけて」
ヴェールを外してはいけないと、邸を出る前から何度も念を押されていた。このヴェールは頬にも流れているので、不用意に表情を悟られることもなければ、貴族たちからのあからさまな視線もしっかりと遮ってくれる。
判ったとレミンに頷いて見せた奏音に、彼は再びカンクネン子爵と話しだす。
緩やかな音楽。音楽に合わせ踊る人々。さわさわという衣擦れの音。あちらこちらでたてられる笑い声、人々のおしゃべり。香水の香り。ひといきれ……。
「―――カナ?」
一歩、あらぬほうへと足を踏み出した奏音に、レミンは問う。カンクネン子爵も窺う顔をする。
なんでもないと、誤魔化すように奏音。
「ちょっとそこまで」
手洗いだ。レミンは辺りを見渡し、アーニキを探す。ひとりで行動させるには、王宮は危険すぎた。
しかし、姉の姿は見当たらない。
「大丈夫。場所、わかってうから」
困惑に眉を曇らせるレミンに、奏音は安心させるように笑んでみせる。
「……酔ってるだろ?」
「へいき」
まだなにか続けようと口を開きかけたレミンを、すぐそこだから大丈夫と制し、彼女はレストルームに向かった。
王はストウ嬢とどこかに消えていたが、すぐそこのレストルームに行くだけなら問題はないだろう。本心はレストルームの入口までついていきたいところだが、奏音に気遣いを見せるたび他の貴族たちからからかいの眼差しがよこされるから、そういう意味ではさすがにいい加減辟易していた。奏音もそれが判っているからこそ、レミンをそっとしておきたかった。
「緊張してるみたいだな。あのくらい酔ってるほうが、いいのかもしれないけど」
ひと波に消えていく奏音の背中を見遣りながら、カンクネン子爵はそうこぼす。
酒に酔っていれば、些細なことは確かに気にならなくなる。
「まぁ、な。……いや、でも、そういうわけにもな。魔物の巣窟、王宮だぞ、ここは」
レストルームまで彼女についていくことはできない。レミンは奏音が見えなくなるまで、その背中を目で追い続ける。
「頃合いを見て、早いうちに退出するつもりではいるが……」
「そのほうがいいかもしれんな」
長くいても奏音に負担をかけるだけだ。祝宴はまだまだ続くだろうが、退出してもおかしくないだけの時間は、もう過ぎている。
―――遅いな。
レストルームに行ったきり、奏音はなかなか戻ってこない。レミンは、彼女が消えた扉が気になってしかたなくなり、そこから目が離せない。
酔いがまわって個室で倒れでもしていたら?
(大丈夫だろうか)
適当な言い訳でも作って、レストルームに駆け込んでしまおうか。
「!」
奏音が戻ってきたら邸に戻ろう。彼女を送り出した際のそんな決心すら翻し、いまにも駆け出したい思いと葛藤しながら、カンクネン子爵と他愛のない話題で時間を潰していたレミンの顔が、ぎょっとなった。
「どうした」
「やば。ぬかった」
「え?」
「御無沙汰してます、レミンさまぁ」
甘ったるい声が、ざわめきの間を縫って届いてきた。
現れたのは、五つ年下の女性だった。
「これは。どうも。ユヴァスリンナ伯爵夫人」
レミンはあくまで社交辞令の笑みを貼りつける。
「イヤですわ。レイリアと、呼んでくださって構いませんのに、もぅ、つれないお方ですのねぇ」
しなを作ってわざとらしくはにかみを見せるレイリアに、レミンも子爵も引きつった笑みしか返せない。
ユヴァスリンナ伯爵夫人レイリアは、レミンが王宮に出入りし始めた頃から、彼に秋波を送り続けている女性である。親の勧めで年の離れたユヴァスリンナ伯爵と結婚をし子供も産んでいるものの、レミンへの恋慕はやまないらしい。
イルマイラとの別離のあと、やけになって共に夜を過ごした過去が、実はある。
当時は気持ちが荒んでいて、レイリアに限らず、喪失の苦しみを紛らすために数多くの女性を求めた。
魔術師貴族として蔑まされがちなレミンだったが、女性たちにはその精悍な顔立ちや思いやりの深さもあってか、なかなか評判はよかった。いまとなっては、汚点でしかない過去だったが。
深い関係になっても、ほとんどの女性は大人の遊びとして割りきってくれていたのだが、ときどき彼女のように勘違いしたままの女性もいる。
「オルボリンナにおいでになったと窺ったのに、なかなかお会いできる機会がなくて、わたくし、ものすごぉく寂しゅうございましたのよ」
背の高いレミンに、ここぞとばかり上目遣いで媚びるレイリア。
「わたしもいろいろ忙しくて」
「リュシアン公爵のために、いろいろ走りまわっていたとか」
どうとでも取れる笑みで適当に濁すレミン。子爵はさっさとあらぬほうを見て我関せずの態度を決め込んでいる。
レイリアは唇を尖らせる。
「レミンさまはきっと疲れておいでなのですわ。公爵よりも、わたくしのほうがレミンさまにはどう考えても相応しいのにぃ」
レミンはこれにも返事は返さない。
「わたくし、悲しゅうございます」
「……悲しい?」
レミンの気を引くことに成功し、レイリアは演技がかって「そうですわ」と大仰に頷いてみせる。
「公爵に恋愛感情を持っていらっしゃるとか。公爵の身の上に心を動かされるレミンさまの優しさは判っておりましたけど、それを愛情と思い込まれるなんて、悲しゅうございます」
そういうことかとレミンは思う。どの御夫人方、令嬢にも言えることだが、彼女たちは自分たちを悲劇の主人公に見立てて、ひとりで勝手に陶酔するきらいがある。レイリアも、奏音を愛しいと公言するレミンに、それは勘違いなのだ、目を晦まされてはいけない、真実愛されるべきは自分のはずだと主張したいのだろう。
興味を失った観のレミンに、レイリアは勢いづく。
「公爵はレミンさまの優しいお心を利用して陛下のもとを離れておきながら、その実こっそり密会なさるお方ですのよ。わたくしそれはな」
「―――なんのことだ?」
レイリアに最後まで言わせず、レミンは目を鋭くさせた。
ただならぬレミンの声音に、子爵もこちらに向き直る。
レイリアは予想に反して剣呑になるレミンに困惑を見せつつも、話を続ける。
「こ、今夜の宴は、三百年の祝宴ってなってますけど、本当は公爵を陛下のもとに呼び寄せる口実だと……」
「知っている」
誰がどう考えても、そういう裏があるのは明らかだ。
だが、奏音が王と密会とはどういうことだ?
周囲のざわめきが、引き絞られるように耳から消えていく。
あの王に奏音が逢おうと思うわけがない。
まったくもってありえない話だ。
レミンの剣呑な迫力におされ、次第に声が弱々しくなるレイリアだったが、その発言は息を奪うほど衝撃的なものだった。
「王宮の奥へと向かう公爵のお姿を、わたくし、見ましたの……」
「!?」
「伯爵夫人は御髪を直しに席を外しているはずだが」
手洗いに立ったのだと、子爵は婉曲して訊く。
レイリアは首を振った。
「カリエ翼のほうへ、わざわざ案内されておいででしたのよ。だからてっきり……」
カリエ翼とは宮殿の北棟、その東側に延びる部分のことだ。この大広間から見て、レストルームとは反対側に位置している。
そして、奏音が以前、王宮で忘れ去られていた当時の居室がある場所でもある。
「酔って見間違えたのでは?」
「いいえ、あれは公爵です。ヴェールをつけているのは公爵しかいらっしゃらなかったもの」
愕然とした。してやられた。
「案内していたのは、誰だ?」
奏音が独りでカリエ翼へ赴くなど考えられない。誰かになにかを吹き込まれ、騙されてのことに違いない。
さあ、と白を切っていたレイリアだが、レミンの睨みに、淡い色のドレスの裾を見ただけだと告白する。
「どんな様子だった」
「……レミンさま、ひどうございます」
レイリアの不機嫌な呟きに、レミンの眉間にしわが刻まれる。
「なにがだ」
「わたくしが目の前にいるのに、どうして公爵のことばかりなんです?」
ふて腐れるレイリアに、レミンの頭は一瞬白くなる。
「子供子供した公爵のどこがよろしいんですの? わたくしのほうが、ずっとずっと、女として魅力的ですッ!」
うっすらと涙を浮かべこちらを見上げるレイリアに、レミンは憐れみすら覚えた。
彼女の言うとおり、確かに女性としての魅力は、奏音より勝ってはいる。
だが、それだけだ。
美と己の恋愛にはのめり込めても、それ以外の事柄には無頓着。人間としてあまりにも薄い。
この宮廷に集うほとんどが、そういった人種であるのも事実。
「ならばあなたの魅力を理解する殿方と共にいればいい。わたしには無理だ」
あとを頼むと子爵に目で合図を送ると、レミンはカリエ翼へと急いだ。
「―――ハイカイネン伯爵さま」
廊下に出てすぐ、静かな声がレミンを引きとめた。
もどかしげに振り返ると、若い女性がひとりいた。薄いピンクのドレスを着ている。
淡い色のドレス。
どこかで見たことがある気がする。だが、それを思い出す時間すら惜しく、もしやこの女性なのかと感情が沸騰しそうになった。
一歩彼女に詰め寄ったと同時、落ち着いた声で女性は続ける。
「奥方さまが、気分が優れないと別室で休んでおいでです」
「え」
レミンの中で荒れに荒れていた嵐が、すとんと収まった。
自覚はなかったようだが、奏音はかなり酒に酔っていた。やはりレストルームで気分を悪くしたのかもしれない。
レイリアの勘違いに、過剰に反応していたらしい。
「それは、申し訳ないことをした。妻はいまどこに?」
「宴の喧騒が届かないほうがいいと、少し離れた場所にお連れいたしました」
「そうか。案内を頼みたい」
ほっと安堵の息が漏れた。慌てた自分が恥ずかしい。
女性はカリエ翼へとレミンを導いていく。もしかすると、以前の自室で休んでいるのかもしれない。
そんなことを考えながら、レミンは女性のあとについていった。




