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02

 そんな一幕があったあとの礼拝だった。

 謁見の間にいなかった貴族たちも、その場にいた貴族たちから状況を伝え聞き、それがまた別の者へと伝わり、結局堂内に集うすべての貴族の知ることになっていた。

 だからこそよけいに、皆の注目が集まるのだった。


 ―――一連の儀式が終わった堂内に、一瞬静寂が落ちた。

 典礼を進める教皇が内陣の前に進み出で、年老いた目で堂内の貴族たちを見渡したからだ。

 予定にはないことだった。まだ儀式が続くのだったかと怪訝に思う貴族たちに、教皇はあらためて王朝開闢(かいびゃく)三百年を祝う言葉を述べた。

「―――さて」

 いったん言葉を切った教皇の声は隅々にまで(とお)り、朗々と響いた。

「現在フィザーンには、辺縁の姫君がおいでにございます。公爵におかれましてはハイカイネン伯爵という伴侶を得、仲睦まじい日々を過ごしておられるとのこと。まことにありがたきことにございます」

 教皇は奏音に向かい、深々と頭を下げた。フィザーンに落とされたときに会った以来だが、年数以上にしわが深くなった気がする。

「男女がめぐりあい夫婦となる。(しゅ)の定めた婚姻は、国家の根幹であります。この根幹が強く揺るぎないものであればあるほど、国の繁栄は続くことでしょう。公爵の婚姻が幸福に続くことは、フィザーンの幸福にも通じます。主のいっそうの祝福が、どうかハイカイネン伯爵夫妻にあらんことを」

 教皇の寿(ことほ)ぎが、息を呑む王侯貴族の間に静かに響く。教皇はライコが顔色を変えたことに気付いているはずだが、言いたいことを述べ一礼をすると、何事もなかったようにしずしずと脇へと下がっていった。

 教皇による奏音たちへの突然の寿ぎ。

 それは、ライコの気紛れで結婚することとなったふたりへの、教会による後ろ盾を意味していた。

 後ろ盾でもあり、勝手気儘なライコへの牽制でもある。

 教会が――神が――ふたりの結婚をあらためて保証したことで、この結婚はライコの気紛れだけで成立するわけではないのだと、皆に知らしめたのだ。



 大聖堂での礼拝が終わり、一同はざわめきながら王宮へと向かう。

 奏音たちが皆に続いて大聖堂を出ようとしたとき、呼び止める声があった。ひとりの司教が翼廊(よくろう)からこちらにやって来る。

 隅に招かれたレミンは、(こら)えきれず礼を述べた。

「教皇猊下には、あたたかなお言葉を賜りました。どれほど勇気付けられたことでしょう。深く感謝をしていると、どうかお伝え下さい」

 司教は穏やかに笑む。

「猊下は、奥方さまのことを切に想う伯爵の愛情に、いたく心動かされたそうです。本来の夫婦の姿を貴族階級の中に見ることができるとはと、感心しておいででした」

 言下に、王侯貴族の婚姻に対する誠意のなさを非難している。レミンは頭を下げただけで、確たる返答を避けた。

聖寵(せいちょう)という形で、主からお許しをいただきました」

 司教はそう言って、両手に持ったなにかを差し出した。奏音は促されるまま、手のひらに収まる青い包みを受け取る。

 包んでいた布の端をそっと持ち上げた奏音の目が、はっと大きく(みは)られた。

(これ……!)

 塾の講義中に使っていたバレッタだった。中途半端な長さの髪だったので、前かがみになると横からばさりと落ちて邪魔だったのだ。そのためのバレッタ。ハローキティのキャラクターものである。

「これは?」

 怪訝に訊ねるレミン。

「辺縁の至宝です。教皇猊下が、特別に下賜してくださいました」

「これが……」

 目を瞠り、レミンはバレッタを見つめる。奏音の所持物の返還をずっと交渉してきたレミンだったが、現物を目にしたのは初めてだった。

 なんの変哲もないキティのバレッタも、レミンにとっては辺縁の至宝である。

「その他の至宝は、残念ですがお心に()うことはできません」

「いいんですか?」

 せきこむように奏音。

 たったひとつだけだが、途方もなく懐かしい。まだ日本に繋がっているのだと、背中を押された思いがした。

「はい」

 司教は円い笑みをほのかに浮かべて、頷き返す。

 奏音は背後のレミンを振り仰ぐ。

「レミンさん……」

「ありがとうございます」

 レミンは奏音に深い眼差しを送ると、司教に礼を言った。

 妻の願いを聞き届けて欲しい。毎日大聖堂に通い、聖職者ひとりひとりを説得したことも、この聖寵に繋がっているのかもしれない。

 奏音はバレッタを胸に抱き、深く深く頭を下げる。

「本当に、ありがとうございます。教皇猊下に、感謝していたと、すごく嬉しいと、どうぞお伝えください」

「かしこまりました。公爵と伯爵に、主の御加護があらんことを」

 辺縁の至宝を渡すという役目を終えた司教は、その場を去っていった。

 奏音は司教の背中に、あらためて頭を下げた。

「よかったな」

「レミンさんのおかげです」

「役に立つ夫だろう?」

「本当に、本当に、ありがとうございます……!」

 深々と頭を下げる奏音。その背中に、そっとレミンは手を遣った。

「行こう。まだ戦いは終っちゃいない」

「―――はい」

 手の中のバレッタが、新たな勇気をもたらしてくれる気がした。

 もう二度と目にすることはないかもしれない。そこまで覚悟していた辺縁の至宝―――バレッタの思いがけない返還。

 なにもかもうまくいくのかもしれない。

 悪いほうへ悪いほうへと、転がってなどいかないかもしれない。

 たったひとつのバレッタが、こんなにも勇気と希望を抱かせてくれるとは。

 身体の底から、見えない力がどんどん沸き起こってくる気がした。

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