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06

 なにを思ってレミンが黙っていたのか判らないけれど、知らなければ話が続かない。そう前置きしてアーニキは話しだした。



 レミンがイルマイラと出逢ったのは、王立魔術学院第一学年に在籍していた十六歳のときだった。イルマイラはひとつ下の十五歳。彼女は既に第四学年生であり、予見者としての才能を期待される存在だった。

 貴族であるレミンと、優秀な生徒のイルマイラ。ふたりが互いの存在を知るまで、それほど時間はかからなかった。神の導きのようにふたりは出逢い、恋に落ちた。

 予見者は身体が純潔でなければ未来を観ることができない。

 愛しい相手にくちづけすら叶わず、恋の情熱にほとばしる想いも抑えるしかない。魔術学院に通うからこそ、ふたりは痛いほどその現実を理解していた。

 あくまでも純潔な関係のまま、愛は育まれていく。

 イルマイラが最終学年である第六学年を迎えたときには、ふたりは既に将来を誓い合うまでになっていた。

 若さゆえ、結婚を考えていた。

 そこに立ちはだかる身分という壁。

 レミンが貴族階級にあったのに対し、イルマイラは小作農出身。最下級平民である。

 さすがに、なんともし難いほどの身分差だった。

 どこかの豪農にいったん養女に入り、そこから郷士(ごうし)、下級貴族と順番に養女に迎え入れてもらえば、身分の差は超えられたかもしれなかったが、国王の寵姫を目論んでいるならまだしも、一田舎貴族ごときのために誰がそんな骨を折るだろう。しかも当のレミンは魔術を修めようとしている変わり者。誰も関わろうとしてくれない。

 正妻に迎えるのは無理だろう。ふたりが半ば諦めたときだった。

 イルマイラに王宮から命が下された。

 国付き予見者として王宮に詰めよ、と。

 レミンは自分たちの関係が、畏れ多いと思いながらも、色好みの国王によって壊されてしまうのではと危ぶんだ。もちろんレミンがどう思おうと、王命は決定事項。イルマイラ側に拒否権はない。

 レミンが不安な思いでイルマイラのもとを訪れると、意外にも彼女は希望に溢れていたという。

『王宮で実績を残せば、あなたの妻として、認められるかもしれない』

 予見者は魔術師の延長上にあるため、いくら権威ある王立魔術学院を卒業しても、世間に出れば町の占い師に毛が生えた程度の扱いしかされない。

 しかし王宮で実績を残したとなれば別である。

 国政に深く関わる立場だ。それこそ、レミンのような一地方貴族よりも立場は上になる。

 五年。

 それだけの年月をイルマイラはレミンに提示したという。

「王宮で五年働いたら、暇をもらってレミンの妻になると。そう彼女は言っていたそうよ」

 感情を窺わせないほど、静かにアーニキは語る。抑えられた声だからこそ逆に、胸に深く刻みつけられる。

 アーニキはイルマイラを悪く思っていなかったのだろう。ふたりの恋を応援したいと、そう思っていたのかもしれない。

「レミンが学院を卒業して、二年経った頃かしら……」

 その事故は起こった。

 レミンの転移魔術が失敗したのだ。

 第三者に被害はなかったものの、彼は命にかかわる大怪我を負った。

 魔法陣を発動中、文様の描き間違いに気付き、直そうと腕を伸ばした途端、炎の刃に襲われたのだ。

 ひじから右肩からまでを炎は裂き、右腕と左足の骨は砕け、背中には大火傷を負った。

 コイヴァリンナの一室での事故。部屋にはレミン独りだった。倒れ込んだレミンは身を引きずって扉を目指す。だが血の海の中、身体は動かず、ついに意識を失ってしまう。

 幸いにして、事故時の悲鳴は廊下の向こうにまで届いていた。

 駆け込んだのは、いまはもう亡くなった父親だった。

 命は助かったものの、レミンの意識はなかなか戻らなかった。呼び寄せた医師も、覚悟はしておくよう両親に伝えたほどだった。

 しばらくして、無事意識は戻る。

 レミンは身体中包帯を巻かれ、眠れないほど全身が激しい痛みを訴えていた。もちろん、絶対安静である。

 事故の報は、すぐにイルマイラの耳にも入る。

 いてもたってもいられず、彼女は是が非でも駆けつけようとしたらしい。

 けれど―――国王ライコは許さなかった。

 彼女はその有能さから、既に筆頭予見者の地位にいた。簡単に暇を出せるような立場ではない。

 ましてや、怪我をした恋人に逢いに行くという。

 許せるわけがない。

 イルマイラがどれだけ懇願しても、ライコは彼女の願いを聞くことはなかった。

 一方、コイヴァリンナで療養生活を送るレミンは、イルマイラのことばかりを考えていた。

 彼女からは一通の手紙もなかった。

 相手は国付き筆頭予見者。国王や洗練された貴族たちと接する機会は頻繁にある。田舎貴族との関係は、もう終わりにしたかったのかもしれない。

 ―――いいや、彼女はそんな女性ではない。

 頭では判るものの、逢えない寂しさはレミンを不安へと追いつめていく。負担に思われるだろうかという後ろめたい思いより、ただすがるように彼はイルマイラに手紙を書き続けた。

 ライコの悋気でその手紙が握り潰されていることなど、レミンには知る由もない。

 イルマイラも、自分の手紙が届いていないこと、レミンからの手紙が止められていることを知らなかった。

 ふたりの距離と想いは、操られるままにすれ違っていく。

 所用でコイヴァリンナにたまたま帰っただけだった。イルマイラに早く逢いたいがため焦って、転移魔術を誤った。ずっと王都にいれば、こんな事故など起こらなかったのに。

 悔やんでも悔やみきれない。

 王都で毎日を過ごし、王宮に参上してはイルマイラの部屋で時間を過ごしていた。ふたりきりになれるわけではなかったが、それでも一緒にいられる時間はなににも代えがたく、日々は満ちたり、輝いていた。

 その日々の、なんと遠いことか。

 失ってしまったものは、あまりにも大きかった。

 転移魔術は得意だという慢心が、事故の根底にあったのだろう。

 イルマイラが国付き予見者となって、皮肉にもそれは五年目のことだった。

 結局、ふたりの気持ちはすれ違ったまま、レミンの怪我は治るまでに三年もの時間を必要とした。

 レミンは動けるようになってすぐ王都へ向かったが、王宮に顔を出すことはなかった。重要な催しなどがあれば出席はするものの、以前のようにイルマイラの居室に足を向けることはなくなった。

 彼がひとと距離を置くようになったのは、この頃からだった。さすがにこの頃にもなれば、王によって互いの手紙が握り潰されていた事実に気付いていたが、もはやそれも過去のことだった。いまさら、どうすることもできなかった。

「きっと、王都に戻ったときには覚悟はできていたんでしょうね。予見者さまも、すぐに顔を見せなかったレミンに、すべてを理解したのかもしれない」

 結局ふたりは、別々の道を歩むことになる。

 距離とすれ違いで離れてしまった互いの人生は、二度と重なることはなかった。

「―――レミンさんは、いまでも、イルマイラさんのことを、想ってるんでしょうか……?」

「さあ……。本当のところは判らないわ」

 あのとき。

 フィザーンに落とされたあの日、あのとき。奏音を間にして、ふたりは向かい合っていた。

 思い返してみれば、確かにどこかぎこちなかった。

 氷のように冷たい美しさを具えたイルマイラ。奏音には怖い印象しかない。

(でもレミンさんは)

 イルマイラを愛していた。

 彼女の美しさは、レミンにはお似合いだ。

 レミンは奏音が見たことのないような甘い眼でイルマイラを見つめ、彼女も、優しい顔を返していたのだろう。

 レミンは。

(いまでも、イルマイラさんを、愛しているの?)

 嫌い合って、憎しみ合って別れたわけではないふたり。

 心が、軋むようにひび割れていく。そこからわき起こる疑念が、黒い雲のように奏音を絡めとる。

 レミンが過去に、炎のように激しく誰かを愛し愛されていても、おかしなことではない。むしろ、当然だ。

 予想はしていたけれど、覚悟もしていたけれど、―――どうしてその相手が、自分の知る相手だったのだろう。

 まったく関わりのない誰かであって欲しかったのに。

「筆頭予見者さまが辞める辞めないの大騒動になったせいもあって、このことは公然の秘密なの。みんなは不安なのよ。あのふたりが、言ってみれば陛下によって別れさせられた事実があるから。あのあと縁談の話もいろいろあったのに全部断って、ずっと独身を貫いてきた。だから……まだイルマイラさんを愛してるんだって、そう思われてるのよ、あのこ」

 唇をきゅっと噛み締める奏音。

 奏音の知らないところで、知らなかった過去がひとり歩きをしている。

 アーニキはその場しのぎの優しい言葉は言わない。事実を、そのままに伝える。

「無粋な言い方になるけど、レミンは陛下に貸しがあるのよ。だから……、元に戻ったカナデさんを献上して、代わりに予見者さまを貰い受けるつもりなのだと、みんなは考えているわ」

 ―――献上。

 奏音は青い顔を更に白くさせた。

 恋よりも、政略結婚の妻を選ぶ、―――その意味。そこに隠された、冷たい計算高さ。

「カナデさんを通して国政を牛耳るつもりだとも思われてる。魔術師というだけでレミンを蔑んでた者たちは仕返しを恐れているのよ。それでも、フィザーンの将来を思えば、反対することもなにも言うこともできない」

 牛耳るなど、レミンには程遠い言葉なのに。

「カナデさんに優しく接するのは、陛下に献上するまで幸せな日々で誤魔化しているに違いないって、貴族全員ではないでしょうけど、ほとんどがレミンをそう捉えてる。後ろめたいことを企んでいるからに違いない、って」

 アーニキの顔は真剣だった。そのどこにも、不安を抱く貴族たちを(わら)う様子はない。

「だって……」

 反論しようとするものの、負けそうな声しか出せなかった。

「レミンさん……そんな、そんなひとじゃない……」

 彼の優しさの裏側にそんな計画があるなど。

 信じられないし信じたくもない。彼は、奏音を売るつもりはないとはっきり言ってくれた。

 貴族たちの一方的な思い込みに過ぎない。そうに決まってる。

 そうに、決まっている。

 懸命になって自分に言い聞かせる奏音の手に、すっとアーニキの手が伸びた。

「そうよ。レミンはそんな残酷な男じゃないわ。カナデさんを帰すつもりはないとはっきり言っていたもの。レミンの償いの理由は、わたくしには判らない別のところにあるのだとは思う。でも、真実がどうであれ、みんなはイルマイラさんと絡めて信じているわ。あのこの態度を説明するのに、悔しいけど一番信憑性があるから」

 諦めすら窺える声音だった。

 打ちのめされる奏音。アーニキはその眼差しに、いたわりを浮かべた。

「カナデさんを追いつめるつもりはないのよ。でも、みんなは真実じゃなくてもこのことを前提としてあなたたちに接するわ。レミンがどれだけ隠しても、なにも知らないまま王宮に上がるのは無防備すぎると思ったの。知って覚悟をつけておくべきだって。言葉をそこまで取り戻してるなら、知るべきだと思ったから。どんなに辛くても、知っておくべきだと」

 自分の発言が奏音を苦しめることを、充分承知しているのだ。

 アーニキは励ますように奏音の手を握った。涙を堪える奏音を見つめる彼女の目にもまた、うっすらと涙が浮かんでいる。

 献上するための、償いのための優しさ。

 違う。

 レミンはそんな男ではない。

 そんなひとではない―――。

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