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04

 冷たい壁が、レミンとの間に落とされた気がした。

 失言を悟り、数瞬戸惑いを眼差しに浮かべたアーニキだったが、すぐに自分を取り戻し、訊いた。

「あのこ、カナデさんになにかをしたの?」

「なにも……ないです、全然。……判りません」

 混乱と落胆が、溢れ出さんばかりに渦巻く。

 迷惑をかけているのは自分のほうなのに、レミンが償いと言う意味が判らない。

 肩が、情けないくらいに落ちているのが判る。

 どんな理由にせよ、これが、レミンが優しく接するわけだったのか。

(償い……)

 なんと残酷な言葉なのだろう。

 気持ちのどこかでは、ほんの少しでもいい、憎からず思っているからだと信じたかった。

 彼の優しさに呑み込まれ、溺れて、もう抜け出すことができないのに。

 どうしようもないくらいに、惹かれてしまっているのに。

(―――ああ……)

 そうなのか。

 そうだったのか。

 いまさらになって、霧が晴れるように理解した。

(あたし―――、レミンさんが好きなんだ。好きだったんだ……)

 どうしようもないくらいに。泣きだしたいくらいに。

 レミンのことを考えるだけで胸の奥は熱く疼く。切なく震える。透明に輝くなにかがとめどなく溢れてくる。

 償い。

 たまらなく、狂おしい。

 レミンが好きだから、彼の優しさに不安を覚えていたのだ。

 なのに、償いという言葉が、自覚したばかりの想いを打ち砕く。

 眩しいまでの彼の笑顔。

 レミンの心は、やはり自分に向いていたわけではなかった―――。

 愛情からでは、なかった。

 ふたりの関係は、政略的な夫と妻という、ただそれだけの淡白なものでしかなく、〝償い〟だけが、ふたりを繋げている絆だった。

 陽の光が、痛い。身の内に、空虚な闇が広がる。

 伯妃という立場ではなく、レミンから愛される立場が欲しかった。

(こんなにも良くしてもらってるのに)

 レミンの愛を求めるなど、我儘なのだろう、贅沢なのだろう。〝妻〟という立場だけで満足すべきなのに。

 それなのに心底寂しくて、苦しくて、悲しい。

 すべてが、あらゆるすべてが崩れ壊れていく―――。

 青い顔になって黙り込む奏音に、アーニキは気付く。

「レミンのこと、好きなのね?」

 返答もできない奏音に、どこか悲しい笑みを浮かべる。

「そう。そうだったの……」

 自分の夫に恋をする少女を、しかしアーニキは(わら)うことも責めることもしなかった。

 痛ましくてならない。

 弟が彼女を大切に思っているのは知っている。けれど、それが言葉どおりすべて償いによるものなのか、それ以外のものなのか真相は判らない。

 ただ、

「レミンね、昔と比べて変わったわ。角が取れてすごく穏やかになった。あのこを変えたのはカナデさんなんだと、わたくしは思ってる」

 硬く(こご)ったレミンの魂を解かしたのは、辺縁から来たこの娘なのだと。

「あのこがカナデさんを心から大切に想っているのは間違いないわ。だから、そんなに気落ちしないで」

 奏音がレミンを想ってくれているのなら、応援したいとすら思う。

 それ以上慰めの言葉をかけられず、アーニキはただ黙っていることしかできなかった。

 しばらくの沈黙のあと、奏音は気持ちを落ち着かせ、顔を上げる。

「済みません、気を遣わせてしまって……」

「カナデさんが謝ることじゃないのよ。口を滑らせたわたくしに責はあるわ」

 そんなことはないと奏音は首を振った。

 おかげで、レミンの優しさに勘違いをして増長し、いい気にならずに済んだのだから。

 そんな奏音を、アーニキは眩しそうに見つめる。

「カナデさんも、変わったのかしら……」

「―――え?」

 アーニキはあたたかく包み込むような目をしていた。レミンが奏音を見つめる眼差しによく似ている。

「以前のカナデさんを知っているわけじゃないから具体的にどうとは判らないんだけど、コイヴァリンナでお会いしたときよりも、強くなったって気がする」

「強く……ですか」

「ええ。だから。―――そうね……。ん……」

 なにかを言おうとしてアーニキは口をつぐむ。ためらうように眼差しは揺れて、グラスを口に持っていく。難しい色を眼差しに乗せ、ひとくちふたくち飲む。

 それは、アーニキらしくない態度だった。

 なにかを、迷っている?

 そう思ったとき、おもむろにアーニキは顔を上げた。

「レミンは多分、話さないかもしれない……いいえ、話せないと思う」

「あ……の……?」

 なにを?

 不安な顔の奏音を、アーニキはひたと見据えた。

「償いのこと」

 思いもしなかった発言に、奏音は目を瞠る。

 アーニキはレミンの言う〝償い〟の内容までは知らない様子だったが、多少なりとも思うところはあるのか。

 背筋が、緊張する。

「知っていたほうがいいと思うの。さっき言った宮廷での見方よ。まことしやかに囁かれている噂。根拠がないわけじゃないから、ほとんどの貴族が不安を感じているという噂」

 噂。不安。アーニキの唇からこぼれる言葉に、背筋は知らず緊張し、奏音の顔をこわばらせる。

(宮廷での、見方……?)

 自分の知らないなにかが、背後でうごめいている、そんな気がした。

「伝えるつもりは本当はなかったけど、口を滑らしてしまったし、カナデさんが不安を感じているのなら、なおさら知っているべきかもしれない。王宮で誰かからいきなり聞かされるほうが、辛いと思うし」

 まっすぐこちらを見つめるアーニキの言葉に、不安はいや増していく。

「それは、悪いお話なんでしょうか……?」

「そうね。荒唐無稽で真実ではないと信じてるけど、あのこの〝償い〟を説明できるこの見方を覆すほどの別の説を、悔しいけどわたくしは見つけられない」

 苦いものを(こら)えるような声音だった。

 レミンは話せないという内容。

 レミンは、本人の口から聞かなかったことに落胆するだろうか?

 そうは思っても、アーニキの話を拒絶することが、どうしてもできなかった。

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