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02

 復活祭、そして春を迎えたことを祝うワルプルギス祭が過ぎた頃、ルヴァネリンナの婦人会が主催するバザーが教会で行われた。

 ルヴァネリンナの婦人会とは、市長の妻や裕福な商人の妻など、地元名士の妻たちの集まりである。領主の妻である奏音は、必然的に婦人会の一員でもあった。

 ルヴァネリンナの婦人会は恐ろしいぞとレミンに冗談混じりで脅かされてはいたが、なんとかうまく付き合っている……と思ってはいる。

 最初こそ婦人たちのお高くとまった態度にひるんだ奏音だったが、こちらの世界について右も左も判らないことや領主の妻という立場を笠に着ない彼女に、皆の態度はすぐに軟化した。日本人がフィザーン人にくらべ幼く見えてしまうことが、もしかすると彼女たちの母性本能を刺激したのかもしれない。

 そんな中、古くなった孤児院を建て替えるためのバザーを、ルヴァネリンナの婦人会が催すことになったのだった。



「バザーということは、カナもなにか出品するのか?」

「みたいなんです……」

 眉を曇らせながら言葉を落とす奏音。

 なにを出品するかにもよるけれど、バザーまでの残り時間は正直それほどなかった。それなのに奏音は、婦人会でおおせつかった『なにか用意しておいてね』という皆のどこか期待に満ちた言葉に応えられるものを、なにも思いつけなかった。バザーなどこれまでまったく縁がなかったから、なにをどうすればいいかなんて判らない。頭が灰になるのではというくらい、悩みに悩むばかりだった。

 今日も一日ずっと考えていたのだけれど、結局夕食を終え居間でレミンと一緒に団欒の時間を迎えていても、これだというものが思い浮かばない。

「みたいなんです、って、ずいぶん他人事みたいだぞ」

 読んでいた書物――魔術関連らしい――から目を上げ、難しい顔の奏音を見るレミン。ほのかに口元に笑みを浮かべているのが、奏音には余裕綽々に見えてなんだか不公平に思えて、溜息が出てしまう。

「他人事にできればいいのに、って思います。あたし全然器用じゃないし、得意なこととかなかったし。なんにも思いつかないから、もうホントどうすればいいのか」

「いざとなったらすっぱり敗北宣言して裏方に徹すればいいさ」

「実はいままではそうやって誤魔化してたんです」

 軽く笑みをこぼすレミン。

「なるほど。今回は通じなかったか」

 頷きを返すしかない奏音。笑い事ではないのだけれど。

日本(ニホン)でコウコウ……だった? 学校に通ってたんだろ? そこで習ったなにかでなにかするとか」

「レミンさんが行ってた魔術学院みたいに技術を身につける学校じゃないんです。普通科だったから、公式や年号だったり文法を覚えるばっかりで」

「フツウカ?」

 普通科という単語は、フィザーンにはないようだ。そもそも、高校という単語もなかったことを奏音は思い出す。

「古文や英語……外国語とか数学とかをひたすら勉強するだけなんです。大学に入るためだけ、……というわけでもないんですけど、それが暗黙の了解というか前提で、とにかく詰め込む勢いで勉強ばかりしてたんです」

 高校は大学――こちらにも大学というものは存在していた――に行く前に通う学校だと、以前説明したことがある。塾に通ったり通信教育を受けたりしていたが、受験勉強の知識は、こちらではなんの益ももたらしてはくれない。

「そうか。―――カナは、大学でなにを身につけるつもりだったんだ?」

「―――……」

 目をぱちくりさせる奏音。

 なにげない質問だったのだろうが、すぐに言葉が出てこなかった。日本人とは違う感覚から尋ねられた質問だ。こうやって正面から真面目に訊かれると、戸惑いを覚えてしまう。

 なにかを身につけるために大学に行こうと思ったことが、ない。

 そんなこと、思いもしなかった。

 あらためて愕然とする。

「……、教員免許は欲しいかなとは思ってたけど……、先生になりたいわけじゃなかったし、国文科……ええと文学を勉強するところを第一志望にしてたんですけど、べつに公務員になれるならどこでもいいかなって思ってて……」

 なにかを身につける。

 例えば看護師や弁護士を目指しているのなら、大学で知識や技術を身につけるけれど、そういう手に職を持つ職業を目指しているわけでもない。

 ただ、卒業して大卒の肩書が得られればいいのだと漠然と思っていた。

 要領を得ない奏音の答えに、レミンも困惑気味に小首を傾げる。

「コウムイン?」

「公の役目を負うひとたち、でしょうか。税金の計算をしたり、すごく頭が良かったりすると法律も作っちゃったり……とか……」

 一応目指していたにもかかわらず、公務員がどんなものなのかの説明ができない自分に、ひしひしと虚しさを感じた。

「日本では女性がそんなこともするのか?」

「あたしはそんな頭良くないし要領も悪いから難しいけれど……けど、そういうひともいます」

「家庭教師やナニーになるわけでもなく。―――公の役目……」

 判ったような判らないようなレミン。

 フィザーンには、大昔の日本のように、女性は外で働くものではないと言う意識が普通に存在している。例外は、乳母(ナニー)や家庭教師くらいだった。

 レミンが公務員の説明に考え込むのは、当然かもしれない。

 奏音も、それ以上の説明が出てこなくて、唇を閉ざしてしまう。

 自分は本当に、公務員になりたかったのだろうか。

 いまさらになって、疑問を抱くだなんて。

 なんにも考えてなかったあの頃の自分。

 それでもまわりのみんなも同じだったろうし、充分楽しい日々だった。あれはあれで、かけがえのない眩しい時間だった。

 けれど、なんて無駄に時間を費やしていたのだろうと、いまなら思う。

 日本にいたときの自分があまりにも薄っぺらくて、レミンになにひとつまともに説明ができない、なにも知らない自分が恥ずかしかった。

「日本の女性は、皆コウムインを目指すものなの?」

「みんなではないです。お医者さんだったり、弁護士だったり、建築家だったり、いろんな職業に女のひとはいます。あたしの公務員ていうのは、ただ親が……両親が、たまたま勧めてただけだったし……」

「―――家族は、何人だったの?」

 そっと、尋ねられる。

 レミンのほうから辺縁の―――日本でのことを訊いてくるのは、おそらく初めてだ。奏音は、自分の声が僅かに震えていることに気付いていなかった。

「お父さんとお母さんと、お兄ちゃんとあたしの、四人です」

「兄君がいるんだ」

 こくりと頷く奏音。

「あたしがこっちに来るとき、就職活動してたんですけど、ものすごく苦労してて。……どうなったのかな……。って、さすがに就職できてますよね、三年以上……もっとなのかな、経ってますし」

 なかなかうまくいかない兄の就職活動。けれど兄は、心配かけさせないようわざとなのかもしれないけれど、いつもけろりとしていて、母をやきもきさせていた。

「カナ……」

 奏音の小さくなった声に、書物を置いてレミンはその隣へと移る。やや間を開けた場所に座る奏音の肩はすぼまり、なにかを堪えるように震えている。

「ごめんなさい……」

 胸の奥底から熱いものが沸き起こっていた。抑えられないかもしれない。奏音の唇から咄嗟に謝罪の言葉がこぼれた。

「カナ」

 すぐ隣にいるというのに、レミンには彼女がひとり孤独に置いていかれたように見えた。

「お母さん、きっと泣いてる。いきなりこんなことになって、誘拐騒ぎとかになっちゃったかも……」

(ダメ。泣いちゃだめ……)

 頭の中では泣いてはいけないと叱咤し鼓舞する自分がいる。

 けれど、ずっと考えないようにしていた。日本でのこと。両親や兄、友達のこと。絶対に泣いてしまう。泣いてしまったら、レミンに心配をかけてしまう。

 だから考えないように、敢えて目を向けないようにしていた。

 なのに。

 まぶたの縁から、熱い郷愁はこみあがってくる。

「みんな心配してると思う。あたし、なんにも言わずにこうなっちゃったから」

 声の震えは、もう隠しきれなかった。

「そうだな。心配してるだろうな。いまでも」

 帰る手段がないことは痛いほど判っている。どれだけ天を駆け登っても、辺縁は―――日本は奏音へとその手を差し伸べてはくれなかった。

「会いたいよな」

「会いたい……」

 せめてなにか、言葉を残していたのなら。

 もっと親孝行すべきだった。反発なんてせずに、兄の就職活動もバカにせずにもっと応援すべきだった。そうすれば、こんな目に遭わずに済んだかもしれない。

 そうすれば、こんな後ろ髪を強く引かれずに済んだかもしれないのに。

 止まらない。

 指の間からすり抜けてしまった家族たち。もうきっと、二度と会うことのできない大切な存在。

 なんやかんやと怒られながらも、家族はいつだって奏音のことを想ってくれていた。

 いまさら懐かしんでも、遅すぎるけれど。

「会いたいよぅ……」

「少し、許してくれな」

 不意にそう言われ、奏音の頭に大きなてのひらがそっと乗せられる。

「泣けばいい。我慢するな」

「―――ぅ」

 胸が熱くはちきれそうになる。

「ここにいるのはおれだけだ。泣けばいいから。我慢しなくていいから」

 レミンの声はずっと押し込めていた硬い思いに、するりと沁み込んでいく。

 胸の奥深くまで沁み込んだその声に、封印していた郷愁がじんわりと解け、涙という形となってほろりと(まなじり)からこぼれた。ひと筋こぼれると、あとからあとから溢れて止まらなくなる。

 嗚咽を漏らしながら、奏音は両手で顔を覆い、背を丸めて泣いた。

 その間、レミンはなにも言わず、ただ静かに奏音の嗚咽に震える背中を撫でてくれた。


 声をあげて泣いていた奏音だったが、静かに過ぎゆく時間とともに、少しずつ気持ちも落ち着いてきた。

 背中に置かれたレミンの手が、時々思い出すように優しく動く。

(あああたし……!)

 レミンの手の優しい重たさに、唐突に我に返った。

 涙をぬぐい、鼻をすすり上げながら身体を起こす。泣いた痕を見られるのが恥ずかしくて、顔から手が離せない。

「ごめんなさい、あの。泣いてしまって……その」

「大丈夫か?」

 いつもと変わらない様子でレミンは問う。

「はい。あの……すみません……」

「無理をして笑顔を作られるよりも、こうして泣かれるほうがいい」

「……」

 気遣わせてしまっているのが、申し訳なかった。

「―――カナと兄君は、幾つくらい離れてるの?」

 奏音の気持ちをほぐすような穏やかな声だった。

「『兄君』って、そんながらじゃないです。貴族とかそういうわけじゃないですし、普通の家の、普通のお兄ちゃんです。あたしと同じで、お兄ちゃんも要領悪くて」

 泣いたことで、胸につかえていたものが流れたのかもしれない。多少は冷静に家族ことを口にできた。

「年は四歳離れてるんです。こっちに来たときは大学四年だったから、もしかすると、もう結婚してたりして」

 兄には高校時代から付き合っている彼女がいる。付き合いが七年という長さもあって、奏音も彼女とそれなりに接している。優しくて気配りができて、感情移入がちょっと激しいせいかひどく涙もろいひとだ。

(もしかするとお兄ちゃん以上にあたしがいなくなったこと悲しんでるかも。きっと……―――)

 はっとなった。

 思いもかけないところから、思いもかけないものが突然閃いたのだ。

「どうした?」

 動きを止めた奏音に、レミンも気がつく。

 奏音はレミンを見、そうしていままで彼が座っていた椅子の座面に置かれた書物に視線を遣った。

 ―――紙。

「カナ?」

「あの、レミンさん。書類とかメモとか、紙なんですけど」

「紙? 紙がどうかしたのか?」

 レミンには当然ながら、いきなり表情の変わった奏音の言いたいことが読めない。

「あの、紙って、羊皮紙……えっと動物の皮とかそういうのですか? だったらダメかもしれないけど……」

「いや。いまはほとんどの紙は植物の繊維からできているはずだけど、それが?」

 その返事に、ぱっと奏音の顔が輝く。

「いらない紙とかないですか? このくらいの大きさで」

 奏音は指で囲うようにして二十cm四方の大きさを示す。レミンは少し戸惑いながらも、「あるはずだ」と言って、書斎からわざわざ何枚かのなにも書かれていない紙を持ってきてくれた。

 それを受け取り、手触りを確認する奏音。A4サイズほどの大きさの長方形の紙だった。

 胸の内で、頷く。

 羊皮紙は折ったそばから脆く切れてしまいそうだけれど、この紙なら大丈夫かもしれない。

「あの、これ。切ってもいいですか?」

「切る? 構わないけど。どうしたんだ、突然」

「バザーに出すもの、思いついたんです」

「バザーに……」

 日本を想って気持ちをさらけ出していた奏音だっだが、もともとはバザーの出品について頭を悩ませていたのだった。

 待ちきれないように奏音は目の前のテーブルに紙を一枚乗せて、短いほうの辺を長辺に合わせて三角に折ると、長方形に余った部分に折り目をつけて丁寧にそこを破り取った。

「これが、バザーに? どうやって?」

 怪訝な顔のまま、レミンは訊く。

「鶴を折ろうと思って。折り紙です。日本の文化のひとつで」

「ツル? オリガミ?」

「折り紙っていうのは、紙を折っていろんな形を作っていく……工芸品みたいなものです。鶴は、日本にいる鳥の名前で、折り紙で折られる代表的な題材なんです。あたしが折れるのは、鶴くらいしかないんですけど」

 説明しながら、奏音は正方形に切り取った紙で、鶴を折っていく。日本にある折紙よりも硬くざらついた紙のため折りにくかったけれど、なんとかなりそうだ。

 レミンがじっと手元を見つめる中、奏音は鶴を折り上げていく。頭を作り、羽を広げる。

「これで、完成です」

 テーブルに置かれた折鶴に、レミンは感嘆の声をあげた。

「鳥の形……。これが、ツルという鳥なのか?」

「はい。日本には願いを叶えるためにこれを千羽折る、『千羽鶴』っていうのがあるんです」

 兄の彼女はきっと、奏音のことを思って―――もしくは奏音を失った家族たちを思って折ってくれたかもしれない。そう思ったのだ。病気や怪我が治るようにという意味のものらしいが、「辛い思いがなくなりますようにって意味も込めてるの」と、いつだったか彼女が言っていたことがあった。押しつけになってしまうから相手にあげるのではなく、彼女はただ、自分の願いを鶴にこめて折るらしい。

 彼女のそういう行為を聞いたとき、正直『良いひとぶってウザイ』と感じた奏音だったが、こうしてバザーの作品のきっかけになったのだから、思いがけないことが思いがけない結果を生むようだ。

「手に取ってもいいか?」

「はい」

 恐るおそるレミンは折鶴に手を伸ばす。そっと手のひらに乗せると、顔の前に持ってきて()めつ(すが)めつ眺めやる。

「すごいな。なんで一枚の紙からこんなのができるんだ? 魔術でも使ってるのか?」

 目の前で実際に折って見せたのに、レミンは感動のせいか声すら掠れている。

「魔法じゃないです。日本じゃ普通にみんな折れますよ、もっと綺麗に。その、こんなふうに端っこが潰れたり裏側が目立っちゃってるのは、あたしが不器用だからで」

「不器用? まさか! こんなすごいの初めて見た」

「……えっと、その、レミンさんも、折ってみます?」

 あまりにも目を爛々(らんらん)と輝かせるレミンに、なんとなく奏音は訊いてみる。

「いいのか?」

「もちろんです。たぶん、あたしよりも上手に綺麗に折れるんじゃないかと……」

(レミンさん、手先器用っぽいし)

「折ってみたい。教えてくれ」

 こちらに向けられた彼の眼差しがあまりにも楽しそうで、なんだか奏音も胸がうきうきしてしまう。自分がレミンに対してなにかを教えることがあるだなんて、思ってもみなかった。

 そうしてこの夜の居間は、奏音の折り紙教室になっていったのだった。



 レミンが折りやすい紙を用意してくれたこともあって、バザーには折鶴を三十羽ほど出品することになった。レミンが折った折鶴も、幾つか出品をした。

 婦人会の人々やバザーに訪れた人々が皆、レミンと同じように純粋に折鶴に感激してくれたことに、奏音はほっとした。予想どおり、レミンが折ったもののほうがより美しく、人気があったのには内心思うところはあったけれども、みんなの喜んでくれたその笑顔に、奏音も自然笑顔になる。

 地元の人々とのそういった繋がりは、少しずつ奏音に自信を与えていった。彼らの存在が、自らの足で自身を支える力となっていく。

 自信は、次第に王都への恐怖に対抗する力にもなっていった。

(あのときのあたしとは、違う)

 もはや、なにも知らずに怯えているだけの小娘ではない。どれほどの困難が王宮で待ち構えていようと、立ち向かえるだけの覚悟と勇気が、胸に生まれていた。

 夏至の式典参加への準備を進めながらも、日常に大きな変化はない。

 相変わらず激しい月の痛みに寝込む日々があり、それ以外は、時間を見つけたレミンと一緒に過ごす。そんな毎日だった。

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