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久遠の夜 千夜の果て  ―――辺縁の姫君  作者: トグサマリ
【第三章 コイヴァリンナ】
12/44

01

 奏音の体調が戻るのを待って、彼らは王都を出発した。

 コイヴァリンナまでは、馬車で十日ほどかかるとレミンは言っていたが、実際はあちこちの町を見物をしながらの旅だったので、半月以上を費やすことになった。

 旅の最初、奏音はレミンとふたりで馬車に乗るのをひどく怖がり、青ざめた顔で拒絶をした。

 初めてフィザーンに来たときの記憶がよみがえるせいだ。そのことに気付いたレミンは敢えて無理強いはせず、自身は御車台に乗って行程を進むことにした。


 ゆったりとした旅路だった。

 雨が降れば宿でただやむのを待ち、晴れたときは風の爽快さを楽しんだ。

 訪れた町で小さな祭に飛び入り参加をしてみたり、旅芸人の芸を見学したりもした。

 そうやって時間を過ごす間に、ふたりの距離は一歩、また一歩と少しずつ近付いていった。いつしかエレネが視界に入っていなくとも、奏音はレミンのそばにいられるようになっていた。

 そして、領地に入る直前の町で物売りの親父から親子だと間違えられた頃には、エレネと一緒ならば、レミンと馬車に乗れるようになっていた。


 半月をかけて辿り着いたコイヴァリンナの館は、広い庭に囲まれた三階建ての古い城館だった。

 一面緑の草原の中、青い空と白い雲、紺色にそれを映し込んだ湖を背景に、それは静かにたたずんでいた。

 夏の王都も涼しかったが、北の領地だけあってコイヴァリンナは肌寒い。

 奏音は用意されていた上着を重ね、馬車を降りた。

 石造りの武骨な城館が、目の前にそびえていた。輝くばかりでどこかひとを寄せつけない王宮とは、まったく印象が違う。不思議と懐かしささえ感じさせる。

 玄関前に、幾人かのひと影が待っていた。

 初老の男性と女性。もう少し若い女性もいる。レミンの紹介によると、執事と家政婦長、メイド頭だという。玄関を入ると、更に大勢の使用人たちが待っていた。

 レミンは彼らをざっと紹介していく。

 言葉を手放していなくとも、簡単に名前を覚えられる人数ではない。

 名前や役職を覚えることはできなかったが、ただ、彼らのすべてが皆、優しく穏やかな表情をしていることは、奏音の胸に刻まれる。

 出世競争にしのぎを削るばかりの宮廷人の表情をしか知らなかった奏音には、あまりにも新鮮だった。



 穏やかな時の流れの中始まったコイヴァリンナでの生活は、王宮のように毎日なにかしら催しがあるわけでもなく、かといってすべてから放っておかれたあの日々のように無為なものでもなかった。

 レミンは毎日の食事を一緒にとることを望み、領主としての仕事が入っていないときは、できうる限りそばにいてくれた。

 村でなにかの催しがあれば行ってみようと誘ってくれ、なにもなくても、ともに庭をそぞろ歩き、遠く放牧された羊を眺めたりなどして時間を過ごした。

 コイヴァリンナで毎年催される、夏至祭にも参加をした。

 空高く積み上げられた焚き木に、松明から火を移すという大役を任されたからである。この役は、その年に結婚した新婚夫婦が受けるものだという。

 なにからなにまで初めての経験におっかなびっくりしながらも、奏音の胸は興奮に昂ぶる。

 言葉を失くした領主の妻を、村人たちは偏見の目で見ることもなく、あたたかな笑顔で受け入れ、見守ってくれた。

 毎月やってくる月のもの。奏音がその痛みで苦しんでいるとき、部屋の外でいつもレミンはうろたえていた。

 ある程度落ち着いた頃に、大丈夫か、済まないなと、何度も声をかけてくれた。魔術では怪我や病気の痛みを和らげることができないのだという。

 なにかをしてもらえなくとも、ただそばにいてくれるそれだけで、奏音の胸はあたたかく癒されていく。


 言葉は返ってこないと判っていながらも、レミンは奏音に対し、普段見過ごしてしまうような小さな出来事を、ひとつひとつ語りかけ続けた。

 庭園の芝生の緑が綺麗だ、裸足で歩いてみないか。

 この絵画に使われている炎の色は、描かれた当時は深紅だったが、時が経つにつれて青くなったらしい。

 見てごらん、風に乗って綿毛が飛んでいる。

 湖の輝きが綺麗だ。

 空に流星群が現れているよ。

 ほら、初雪だ。

 耳を澄ましてみて。蝋燭の燃える音がするよ。

 木々の枝を見てごらん。新芽が芽吹いている……。

 優しさの波が、少しずつ少しずつ奏音の心に甘く触れる。

 虚ろな洞でしかなかった胸の内に、レミンの眼差しや声、さりげない気遣いが、ゆっくりと沁み込んでいく。

 いつも優しくいたわってくれるレミン。そんな彼になにも返せない自分に、奏音はもどかしさを感じるようになっていった。

 レミンは毎日語りかけてくれる。見返りを期待しているようではなかった。だからこそ、もっともっと奥深いところでなにかを求めているように思えた。

 けれどなにを求めているのか、自分になにができるのか。

 奏音には、それを想像をすることそれ自体が、できなかった。

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